愛が爆発した


                            リヨンの街角で(11年夏)
                                 ・



                                        人の言葉か神の言葉か (下)
                                        Ⅰテサロニケ2章13-16節


                              (3)
  最後に、15、16節に触れて終わります。ここにはユダヤ人たちの罪が記されています。彼らは、イエス預言者たちを殺し、パウロたちをも激しく迫害し、あらゆる人々に敵対し、異邦人が救われるように私たちが語るのを妨げている。こうして自分たちの罪をあふれんばかりに増やしている。だが、「神の怒りは余すところなく彼らの上に臨みます」とありました。ここを読むと、どうしてパウロはここまで言うのかと思います。

  ユダヤ人たちは、異邦人を救うために働いているパウロたちを妨げ、迫害している。彼らは罪に罪を重ねて、「自分たちの罪を溢れんばかりに満たしている」と語り、「神の怒りは余すところなく彼らの上に臨む」と述べるわけです。

  パウロはここで愚痴を言っているのでしょうか。憤懣やる方ない思いを発散しているのでしょうか。パウロは思想的な人ですが、同時に愛に生きた人でなかったでしょうか。その彼が、迫害するユダヤ人たちに、どうしてここまで激しく神の裁きを語ったのでしょう。投獄されたり、石打ちの刑を受けたりして、どうしても赦せない怒りが爆発したのでしょうか。私もこの言葉の前に長く立ち止まって考えさせられます。

  ここには、パウロ自身のこれまでの信仰の歩みが反映していると思います。

  パウロは、かつてキリスト教徒と教会を猛烈に迫害した人物です。迫害の先頭に立ち、ユダヤから外国に逃げるキリスト者たちを息弾ませて追撃して猛然と襲い、引っ捕らえてユダヤに連行して律法によって厳しく裁きました。

  だが、キリスト教徒やキリスト迫害の急先鋒であった彼が、ダマスコ途上で復活のイエスに出会って引っくり返ったのです。彼は律法を行なわなければ救われないと説いていました。だが人に説きながら、本当は未だ救われていない自分の真の姿があったのです。心の底には空しさがあった。だが、傲慢にも業によって救われると豪語していた。しかし、それは偽善以外の何ものでもなかったのです。

  その姿を、一瞬キリストの復活の光に照らし出されたのです。

  キリストは、迫害している自分のためにも十字架について、この自分をも救い、この自分の罪をも贖おうとされていると知ったのです。救われていないのに、まるで律法で救われるかのように、自分を欺いて振舞っている愚かさ。だが神はキリストを遣わし、十字架で磔にして、罪をぬぐえない者のためにキリストを身代わりにして贖われたことを知ったのです。罪人に注がれる神のきよき愛を知ったのです。神のきよき愛です。

  その時、今や自分は神に裁かれ、呪われ、地獄に落とされても仕方ない者だと思った筈です。にも拘らず、そんな者がイエスの贖いによって、罪赦され愛されていると知ったのです。彼は、こんな自分は愛されてはならないとさえ思ったでしょう。愛の神に敵対していた自分をも愛される方を知って男泣きに泣いたでしょう。

  彼が突然目が見えなくなったのは、これまでの律法主義的価値観では全く行き詰まり、世界が見えなくなってしまったことを示唆しているかも知れません。だが、これまでの価値観が粉々に砕かれた後、復活のイエスが自分の眼を開けて見えるようにして下さったのです。

  ですから、かつての自分同様、今もキリスト教徒を迫害しているユダヤ人たちに、ぜひ目覚めて欲しかった。そのため、ここまで強い言葉で言い放ったのです。

  「そんなことを続けていると、神の怒りが君たちの上に臨むぞ。」これは愛の忠告です。「神の怒りは、私自身に容赦なく臨んだからだ。」

  それで私は砕かれた。粉々に砕かれて私は救われた。だが、もしユダヤ人たちがこのまま砕かれずにいるなら、「神の怒りが余すところなく彼らの上に臨むでしょう。」

  私はイエスの恵み、罪の赦しにより、神の怒りから救われました。もしあの時、その後もキリスト教徒の迫害を続けていたら、神の怒りは容赦なく自分の身に臨んだでしょう。だから私を見て、ユダヤ人は皆、私同様に神の怒りを免れて欲しい。ぜひ彼らが救われてほしい。神の愛を知って、そこから離れて欲しい。

  パウロは渾身の力を尽くして、同胞を愛するゆえに、彼らが救われるように強く忠告したのです。

  愛が感情となって爆発することがあるのではないでしょうか。怒りが爆発したのではありません。愛が爆発したのです。それがパウロのこの言葉です。

        (完)

                                      2012年2月12日



                                      板橋大山教会   上垣 勝



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