若者の問い 「生きる値打ちはあるのか」


                             イエスの昇天
                         1100年代のリヨンの教会
                               ・



                                        目標は目先の利益でなく (下)
                                        Ⅰテサロニケ2章1-6節


                              (3)
  イエス・キリストの福音は全生涯また全存在を掛けて信頼していくに堪えうる真理であったからでしょう。十字架と復活こそ永遠の真理だからです。たとえ全く行き詰っても、神は必ず復活の希望の道を備えて下さるからです。しかもパウロと同じように、行き詰まりは決して無駄にならない。「無駄であるどころか」、却(かえ)ってという風にして下さるのです。

  ですからパウロは、「私たちの宣教は、迷いや不純な動機に基づくものでも、また誤魔化しによるものでもありません」と語るのです。「不純」とは汚れた心です。「誤魔化し」とは人を騙(だま)すことです。それは、先週学んだように、私たちは、神の独り子という貴い「代価を払って買い取られた」からです。

  そのような真実な神の愛からは、今申しました誤魔化しや不純な動機、また4節以降で言われている人に喜ばれるため、人の関心を買うため、取り入るため、へつらったり、かすめ取ったり、人の誉れを求めたりといった目先の利益を優先する空しい生き方には向かわないでしょう。

  無論私たちもそれに近い事をする場合があるかも知れません。だが、そういう顔色を窺う生き方が人生のメインになることはないでしょう。たとえそこに陥っても、また必ず出ようという意志も道も示して下さる。

  先週は、「あなた方は代価を払って買い取られたのだから、自分の体で神の栄光を現わしなさい」という事を学びましたが、今日の個所では、「私たちの心を吟味される神に喜んでいただくためです」とあります。同じことです。私たちの目標は目先の利益でなく、神に喜んでいただくこと、目先の利益を越えたものだからです。

                              (4)
  今、世界の多くの若者たちは、「なぜ生きているのか」と問い始めています。かつて私の世代が青年時代に問った問いと同じです。再びそういう時代が来ています。

  理由は、大学を卒業し、大学院を出ても、就職できない時代を迎えているからです。日本の失業率は4%台半ばから5%近くですが、アメリカもイギリスも8%台、フランスは9%台、スペインは20%を越えます。これは平均ですが、若者の失業が非常に多く大体この1.5倍から2倍です。ですから欧米では若者の15%から20%、中には40%が失業中で、職探しをしています。一旦就職したが、突然会社が傾いてお払い箱になってしまうケースも出ています。企業が生き残りのために勝手に首を切って行く。若者たちは、血も涙もない社会を経験しています。これは相当つらいことです。健康なのに何日も仕事がないのは、とても辛いです。

  すると、青年たちは「自分は生きる値打ちがあるのか」という所まで自分を追い詰める。「自分に生きる意味があるのか」と思えて来るのです。

  片や富める者は、年収5千万円とか、1億とか、野球選手が何十億でトレードされるのを見ていると、生きるのが嫌になる者もあるわけです。

  だが、こういう点でも、心の闇に語らせてはならないし、心の闇に耳を傾けてはならない。また人と比較して悲観的に考えてはならないでしょう。

  私たちの目標は目先の利益でなく、それを越えたものです。人を経済的成功で測ることは決してできません。経済は重要ですが、それが人を測る尺度にしてはならないでしょう。人の魂の霊的な、スピリチュアルな次元が人間の根本です。どんな人も人としての尊厳を持ち、尊ばれなければなりません。

  「人生が余り容易であればクリエイティブな良い仕事は出来ません」とある人は語っています。不便で、色んなものを欠き、苦労があるから、新しく工夫し、思いがけないものも生み出せるのです。

  パウロのように逆境の中で、神に勇気づけられ大胆に生きていく。困難でしょうが、そこで主を信じて一歩前に出る。

  参考になるかどうか分かりませんが、去年亡くなったアップル社のスティーブ・ジョブズは、小さい時に見ず知らずの養父母に貰われました。大学は中退。自分が始めた会社を30歳で首になりました。だが、逆境の中でしっかり生き、次の逆境においてもしっかり生きたそうです。これをしないと死に切れないというようなものをして行った。そして、振り返って点をつないでみると、いつの間にか点と点が繋がって線になっていた。或いは面が出来ていた。

  マリアとマルタのことを思います。イエスは、あなたは多くのことで心煩っている、だが必要なものはただ一つだと言われた。そういう一つのものに打ち込むことです。

  順境は人を軽薄にします。薄っぺらです。自分は楽しんでいますが、決して人を励ましはしません。欲望を味わい尽くしても、それはただそれだけで終わります。だが逆境は人を成長させ、深く物事を考えるようにさせ、成熟させるのです。逆境は神が与えられるまたとない機会です。神は逆境を授けて、愛する人を育てられるのです。ですから神を信じ、腰に帯びして困難に立ち向かえばいい。すると道は開けます。

  世界の若者に向けて書かれた2012年のブラザー・アロイスの手紙にこうあります。「私たちの信仰の中心、私たちの只中に復活のキリストがおられます。この方が一人ひとりと愛の絆を結んで下さるのです。この方に向って目を転じると、私たちの存在についての驚きに気づかされ、私たちの存在を更に深く理解させられます。 祈りの中でキリストの光に目を向ける時、光が私たちの中で徐々に輝き始めます。」

  目先の利益でなく、目を神に、復活のキリストに向けて生きるのです。今の厳寒の1月に梅は芽を出し始めます。試練の時こそ、新しい芽が出る時です。

          (完)

                                        2012年1月22日


                                        板橋大山教会   上垣 勝


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