伝播する神のことば
シルクロードの西の果て、リヨンの町のサン・ジャン教会は12世紀に建てられました
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伝播する神のことば (上)
Ⅰテサロニケ1章8‐10節
(1)
去年はニュージーランドの地震によるビル倒壊で若者たちやその引率者などが亡くなる災害から始まりました。その後、3・11の地震、和歌山の洪水、そして関税撤廃のTPP問題や原発問題、海外では中東の春と言われた政変、ギリシャ危機、今も続くEU財政危機など、目まぐるしいほど様々なことがあり、落ち着かない年でした。
今年は出来るだけ、どっしり根を生やすように生きたいと思います。これは願いであって、先のことは神のみがご存知ですが、ただどんな事があっても、大地にどっしり根を下ろして生きれば、少々のことでは慌てることなく、落ち着いて生きることができると思います。
テサロニケのキリスト者たちは、まさにその様に生きていました。「酷い苦しみ」、迫害や試練がありましたが、その様な中でギリシャ諸州の信者たちの模範となるに至る程、信仰に立って生き抜いていた。それは、神の福音という大地にどっしり根を生やしていたからでしょう。
パウロは、今日の8節で、「主の言葉があなた方の所から出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなた方の信仰が至る所で伝えられているので、何も付け加えて言う必要はないほどです」と書いています。
「主の言葉があなた方の所から出て」。面白い表現です。これは、彼らの信仰が色んな地域で証しされて行ったことを指していると想像されます。テサロニケ教会の信徒たちのキリストに在る一致と連帯、試練の中でも失われない喜びなど、信仰生活の実際的具体的な証しが、外に向って発信されて行ったのでしょう。
しかし、「主の言葉があなた方から出た」と言うのですから、証しに留まらず、彼らがキリストに出会い、そのみ言葉と出会い、それが周りの人々をも励ます言葉として出て行ったのでしょう。彼らがどの点においてキリストに出会ったのか、キリストの何に出会ったのか、それがクリアなはっきりした言葉となって出て行ったのでしょう。
先程、戦争責任告白で、「地の塩、世の光」という言葉を読みましたが、もう亡くなった知人は、「イエス様は、『あなた方は地の塩である、世の光である』とおっしゃいました」と、教会はむろんのこと、外に出ても、お葬式や結婚式のスピーチでも口癖のように言っていました。社会の中で、キリスト者としてどう生きるかをいつも考えておられたからです。地域に根差した仕事をしておられましたから、家庭でも、地域社会でも、日本が置かれているアジアでも、「地の塩、世の光」となることがどれだけ大事かを感じていたのでしょう。ですから、この方の場合は、「地の塩、世の光」という主の言葉がその人から出て、周りに響いていたと言っていいでしょう。
ではテサロニケ教会はどうかと言うと、10節後半が示唆的です。「この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りから私たちを救って下さるイエスです。」これはパウロの言葉ですが、前後関係から見て、彼らも大切にした言葉であったと思います。
御子キリストこそ、私たちを神の怒りから免れさせ、赦して下さる方だという信仰です。言葉を変えて言えば、「キリストによる罪の赦しの信仰」です。キリスト教信仰のこの中心的メッセージが、テサロニケ教会からマケドニアやアカヤなどギリシャ諸州に響き渡った。そしてそれを聞いた人々がテサロニケのキリスト者たちの信仰を言い広めている程であるということです。
(つづく)
2012年1月15日
板橋大山教会 上垣 勝
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