イミタチオ・クリスティ



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                                        イミタチオ・クリスティ (上)
                                        Ⅰテサロニケ1章4-7節


                              (序)
  「イミタチオ・クリスティ」という題ですが、今日は皆さんに、「イミタチオ・クリスティ」「キリストに倣いて」という本をひも解いてお話ししようと言うのではありません。パウロが6節で、テサロニケの人たちが、「私たちに倣う者、そして主に倣う者となり…」とありますので、「キリストに倣いて」という、トマス・ア・ケンピスの有名な書物の題を充てただけです。

  ただ、今からほぼ600年前の、日本の年代では室町時代に書かれたこの書物は、広くカトリックでもプロテスタントでも愛読書として読み継がれて来ました。知的世界遺産の一つと言っても過言ではありません。聖書に次いでこれ程深い知恵と透徹した信仰と思想、また人々を回心に導く書物はないと言われます。

  何と既にキリシタン時代に日本語に訳されています。細川ガラシャ夫人もこれを読んで励まされたようです。明治以降にはプロテスタントの出版社から出版されて、私たちの先輩の信徒や牧師が多く感化を受けました。

  池谷敏雄という訳者がこう書いています。「これは山の上の小さな湖である。それはその上に注ぐ日の光を反映するばかりではない。ある時は曇り、ある時は荒れ、またある時は澄み輝く大空の表情をすべて反映する。青い雲、白い雲ばかりか、湖の上をかすめる鳥のどんな小さな影も、岸辺の木の葉のどんな小さなそよぎも見落とさない。そのようにこの驚くべき書は、人間の心のあらゆる動きを反映する。」何とも読書欲を掻き立てられます。

  「…人知れず漏らした小さなため息さえ、ことごとく捉えている。…しかしそのあらゆる心のかげり、魂の動きの中にあって、著者の信仰は実に盤石のように堅く揺るぎないものである。どんな嵐にも曇らされぬ明徹な感覚と、神の内に消え入るほどに没入してゆく神への限りなき愛とが本書を貫いている。」これ程よく解説した言葉はありません。後は興味ある方はお読みいただく以外にありません。

                              (1)
  さて、パウロたちはエーゲ海を渡ってフィリピで伝道し、テサロニケにやって来ました。その時、5節に、「ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです」とあり、また、「私たちがあなた方の所で、どのようにあなた方のために働いたかは、ご承知の通りです」とあります。

  この辺の事情は使徒言行録16、17章で窺(うかが)うことができます。16章はフィリピの出来事ですが、パウロたちは、悪霊に取りつかれた女から悪霊を追い出したのです。ところが人間社会というのは全く変てこな所がありますが、悪霊に取りつかれた女をダシに商売をしていた人たちが、金儲けができなくなったと言いがかりをつけ、感謝どころか、パウロたちを投獄したのです。

  ヨーロッパ大陸に渡ったものの、彼らを待ち受けていたのは厳しい試練であり、迫害でした。気が滅入るような散々な日々だったでしょう。ところがその投獄がやがて牢獄の看守を信仰に導くと言う思いがけないことになって行きます。神さまの業は測り知れないものがありまして、「万事塞翁(ばんじさいおう)が馬」といってもいい訳で、神が整えて下さることを信じて余り悲観しない方がいいのです。

  それにしてもパウロたちはその後、町から追放されてテサロニケに来るのです。この町は以前に申しましたように、マケドニアの首都で現在テサロニキという名で残る町です。彼らはユダヤ教の会堂シナゴグに入って3週間にわたってキリストを述べ伝えたと書かれています。当時からディアスポラユダヤ人たちはユダヤ人街を作ってヨーロッパ各地に住んでいました。

  何週間か前まで、フィリピで投獄されていた彼らです。ビビってもいいでしょう。だが、再び勇敢に伝道したのです。実に大胆だったと思います。その結果色々な人が信仰に入りました。ユダヤ人も入りましたが、ギリシャ人も信仰を持ち、町の有力者、貴婦人たちにも浸透したのです。驚くべき伝道の戦線が開かれた訳です。

  ところが、それを知ったユダヤ人たちは「妬んだ」と書かれています。人間は誰しも罪を持ちますが、その一つは妬みです。妬みは石のようにズッシリ重いです。妬む方も石のような重いものを心に宿し、妬まれる方も重さを感じます。妬みというのは、フッと鎌首をもたげると中々取れない。

  ユダヤ人らは、その上殺意さえ抱きました。妬みと殺意は隣接している。そしてならず者を扇動して暴動を起こし、パウロらを捕えようとした。見つからないので、彼らが宿泊していたと思えるヤソンの家を襲撃し、彼を当局に突き出した。

  そのため、信仰仲間たちは、直ちにパウロたちを夜の闇にまぎれてベレアに逃がしたとあります。

  キリスト教のことで騒動が起こったこの大変な町が、今、パウロが手紙を宛てているテサロニケであり、その信徒たちです。

        (つづく)

                                        2012年1月8日




                                        板橋大山教会   上垣 勝


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