インドのハンセン病院で


                            リヨン美術館で
                               ・


                                           関係の中で生きる (下)

                                           Ⅰテサロニケ1章1節



  今、「希望をもって忍耐し」と申しましたが、これは3節の言葉です。テサロニケ教会は、息詰まる重苦しい忍耐をしていたのではありません。希望が彼らの顔を明るく輝かしていました。

試練は私たちを、火で鍛え、清めます。神は無慈悲な方ではありません。愛する者を訓練し、鍛えられます。火で精錬し、純粋な者に造って行かれます。神の子として、尊く取り扱っておられるからです。愛しておられるからです。

                              (3)
  インドで、ある人がハンセン病の病院、キリスト教癩病院を訪ねました。あるベッドに行ってみると、ハンセン病の男が、痩せ細って、インド人は奥目ですがその奥目が一層奥目になって、体を横たえていました。鼻が腐り、耳も足も腐った癩者であったかどうかは知りません。近づくと男は、細い腕を天井に向けて差し出して、歌でしょうか、何やら呟いたのです。注意深く、耳を澄ましてよく聞くと、こういう言葉だったそうです。

  「神は私に罰をお与えになったのではない。」

  日本でも昔は癩(らい)を天刑病と言いました。天の刑罰を受けたと言って蔑(さげす)んだのです。悲しく酷い話です。インドでも癩は天罰と考えられたようです。ですが男は、「神は私に罰をお与えになったのではない」と呟いていたのです。そして続けて、「私は神をほめたたえます。この病が神と出会うきっかけになったから」、この病気をしたお蔭で神様を知り、神様との関係で生きるきっかけになった。このような中でも生きる意味を知ったと言っていたのです。

  神の力は弱い所に完全に現れるとパウロは言いました。彼の上に、神の力が、恵みが現れていたのです。体が腐り、無残な姿を人の目に晒している。だが痩せ細った男は、不治の病を雄々しく受け止めて、感謝して歌っていた。神を賛美していた。愚かな姿を晒しているが、キリストの血で贖われて、高貴な澄んだ魂にされていたのです。

  彼も恐らく、自分は神とキリストに結び付いたと考えるよりも、神とキリストが自分の様な者をご自分に結び付けて下さった、「神とキリストに結ばれている」と感謝しているのです。

  私たちが神とキリストに結ばれて生きる時にはどうなるでしょう。テサロニケ人たちがどうであったかは、今後続けて学びましょう。

  もし医者が父なる神とキリストに結ばれて生きるなら、目の前にいる患者を、単なる身体や物体と見ないで、人間として、人格として接するでしょう。貧しい患者は値打ちの低い者だと見ないでしょう。ソロバン勘定で人を見ないでしょう。どんな患者も、神によって命を授けられた尊い存在として、身分や貴賤によらず接するでしょう。

  法律家は法によって裁くでしょう。だが、法を越えた永遠の法、神の法の前で自らも置かれていることを知っているので、思想からでなく、最後究極的に神の次元からだけ出て来る人間への尊厳を覚えて、人と接するでしょう。

  そのことは商売する者も、サラリーマンも、主婦も、どんな者も、神とキリストとの関係でどう生きるか、世にありながら、世そのものにならず、世と妥協せず、僅かながらも世の光、地の塩として世に尽くしていくでしょう。

  神とキリストから真の力を得て、そこから希望を、愛と勇気を得て歩むでしょう。神とキリストに結ばれて生きる時に、自由があるからであり、明るさがあるからであり、希望が生まれるからです。そこにこの世を突き抜ける人間を越えた力が働いているからです。

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  先週ご紹介した、フランスのテゼに来てギターを弾いていた18歳のテキサスの女の子です。彼女はテキサスのエル・パソの大学に入りましたが、自宅はメキシコのファレスという町です。以前からその国境のことは読んではいましたが、それがその町とは思いませんでした。まさか、その町からその娘(こ)が来ているとは思いませんでした。

  アメリカの町エル・パソとメキシコの町ファレスは実は同一地域なのです。だが、リオグランデ川を挟んで片やアメリカ側、片やメキシコ側にあります。メキシコ側に入ると全く英語が通じない世界です。例えば、東上線の南と北で言葉が通じないようなものです。Oさんと私が全く通じない。耳が悪いからでない。

  またアメリカ側の町は世界で一番犯罪が少ない街であり、メキシコ側は戦争地帯を除いて世界で一番治安の悪い街のようです。東上線のこちら側は治安が…。だが向こう側は一番…。というようなことが、そこにはある。理解できるでしょうか。私はなかなか理解できません。

  彼女はアメリカ側の大学にこの9月に入ったが、メキシコ側の人間なのです。そこから通学する。犯罪が驚くほど多い。僅か5万円で、15歳から17歳の少年たちが殺人を犯すそうです。だから、18歳の彼女は現実に死を考えざるを得ない。

  だが彼女は、神によって生を享けた地から逃げず、問題に立ち向かおうとしているのです。その地で信仰に生き、18歳ながら行政機関にも参加しながら生きようとしている。それで私は、先週ご紹介した彼女の作詞作曲の歌の意味がやっと分かりました。

  「私が地上を去る時には悲しんで欲しい、慈しんで欲しい。私が気取らず日々なしていた小さな事柄を覚えて。」大きな事柄ではない、素晴らしい立派な事柄ではない。自分がしていた小さい事柄を思い出して欲しい。彼女は、危険なメキシコ側の町で、地に落ちた一粒の麦になってもいいと考えているようです。テゼに来たのはその何よりもの証拠です。そういう青年が世界から集まって来るのがテゼです。

  一粒の麦は小さい。自分も大きなことをしようとか、行った大きな事柄を覚えて欲しいというのではないのです。大きなことを褒めて欲しいというのでもなく、日々為した、いと小さな人になした小さな事柄を思い出して欲しい。悲しんでくれるのなら、そういうことに心砕く者であったことを思い出して悲しんで欲しい。そういう純粋な魂が彼女の歌に込められていたのです。

  今後この女性がどうなるか分かりません。しかし、この女性も神とキリストに結ばれて生きていることは確かです。このような女性、そして先程の男性、老いも若きも、そういう人が世界に私たちと同時代を生きていることを覚えて私たちも生きたいと思います。同時代のそういう人たちによって囲まれていますが、そればかりでなく、テサロニケの人たちもパウロもそうである訳で、私たちは2千年前のそういう人たちによっても過去からも囲まれている。

  そしてパウロは(最初に述べた趣旨から考えれば)、ギリシャ人にもユダヤ人にも、アメリカ人にもメキシコ人にも、日本人にも中国人にも、恵みカリスと平和シャロームがあるようにと祈るのです。

         (完)

                                       2011年11月20日



                                        板橋大山教会   上垣 勝


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