S.ジョブズへの絶賛と闇
リヨン美術館で
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鎖につながれても (上)
コロサイ4章14-18節
(1)
今日はコロサイ書の最終です。15、16節にある回章の手紙、回覧の手紙の意味については前回触れましたので、それは飛ばし、今日は14節と17、18節からお話しさせて頂きます。
パウロは手紙を閉じるにあたって、7節以下から8人程の紹介や彼らの挨拶を記しましたが、その最後が今日の「愛する医者ルカとデマス」からの挨拶です。
ルカは、元はシリアのアンティオケ出身だと言われます。即ちアジア人です。だが後に遠くヨーロッパ大陸に移ってフィリピに住むことになり、彼が、パウロがヨーロッパに渡って伝道するように促したのでないかと言う説もあります。もしかすると彼は医療伝道でフィリピに来ていたのかも知れません。
彼は、後にルカ福音書と使徒言行録を記しましたが、そこには医学的用語が多いことから、彼がこれらを書いたのは間違いないと思われます。
彼は生涯にわたってパウロの良き理解者であり、助け手でした。医者として物ごとを冷静に客観的に、しかも温かい目で観察する資質を備え、生涯穏やかに真実を尽くす人だったと思われます。
彼はパウロの最後のエルサレム旅行に加わりましたが、以後、パウロから決して離れず、常に行を共にし、同労者として旅をしています。フィリピからエルサレムへの旅は重苦しい旅でした。パウロの身に危険が迫っていたからです。パウロの2年に渡るカイザリアの獄中生活にも彼から去らず支援しました。その後、ローマに送られる囚人パウロの海上護送にも同行しました。危険の多い船旅を共にしたのです。
医者でしたから、マラリアによる眼病と激しい頭痛、その上癲癇(てんかん)という病身のパウロに寄り添い、他の弟子たちが離れようと決して離れませんでした。
「愛する医者ルカ。」この極めて短い言葉にすべてが言い尽くされていると言っても過言ではありません。
パウロの処刑後、彼は「ルカによる福音書」を出来るだけ客観的な資料をあさってイエスの生涯を後世に書き遺しました。それを終えると、彼は弟子たちの活動と教会の誕生を記す「使徒言行録」を著すことに取り掛かりやり遂げました。両書には、彼のバランスの取れた見方、健全さが見て取れます。
(2)
パウロはこのルカと並べて「デマス」の名も挙げています。ここにある「愛する」という形容詞はルカだけに懸かるのか、デマスにも懸かるのか日本語でではよく分かりませんが、原文では「愛する医者」とルカだけを形容しています。
しかしルカとデマスを並べて書いたのですから、パウロは、デマスにもこの時、ルカ同様の信頼を置いていたに違いありません。コロサイ教会に紹介し甲斐のある、将来コロサイ教会を支援しうる器量ある人物と見ていたかも知れません。
ところが、驚くことにテモテ第2の手紙には、「デマスはこの世を愛し、私を見捨ててテサロニケに行って」しまったとパウロは書いているのです。この人ぞと考えていた、当てにしていた人間がコロッと態度を変えて行ってしまった。パウロといえ愕然としたでしょう。
こういう時、ショックなのは、相手の酷さもそうですが、これは自分の何かがいけなかったのでないかと考えて悔やむことです。すると2重に苦しめられます。
先日、アップル社のスティーブ・ジョブズという人が膵臓癌で亡くなりました。多くの人がその死を惜しみ、その業績を絶賛しました。世界をあっと言わせた人でした。
そして数週間後に、アイザックソンというライターによる彼の自伝が出ました。日本ではその後篇が明後日出ます。ところが自伝が出ると全く酷い言葉が書かれていたのです。競争関係にあったビル・ゲイツというマイクロソフト社の最高責任者は、死を悼んで悲しみの言葉を記しました。だが、ジョブズの自伝には、ビル・ゲイツへのあからさまな酷評が書かれていた。
かと思うと、ジョブズに40数回にわたってインタビューしてこの自伝を書いたライターのアイザックソンは、「彼は最も優れた経営者ではなかった。彼は時々意地悪だった」とあからさまに評したのです。
デマスは「この世を愛し、私を見捨てて行ってしまった」とありました。「この世を愛」するのは、むろん自己愛からです。損得勘定でパウロさえ見捨てました。
私はジョブズの死を通して、この世を愛し、血も涙もなく人をこきおろして行く競走社会のドロドロした人間模様を見せつけられました。イザヤが、「人間に頼るのをやめよ。鼻で息をしているだけの者に」と語ったのは真実です。人間の罪の情況は、世が絶賛する人たちの所にも満ちあふれています。
ヨハネ福音書6章を見ると、イエスについても、「弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった」と記されています。イエスもまた私たちと同じこの世の悲哀を経験されました。これは私たちを慰めます。しかしイエスはどんなことがあろうと言葉を翻さず、人が偽ってもイエスは偽わらず真実であられました。ここに私たちが唯一信頼できるものがあります。世が私たちを捨てても、この方は捨てられないのです。
ですから、この移り変わりの激しい時代の中で、永遠に変わらぬものに根ざして生きたいと思います。「この時代は滅びるであろう。だが私の言葉は決して滅びない」というお方に根を下ろして生きるべきだと思います。
(つづく)
2011年10月30日
板橋大山教会 上垣 勝
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