イギリスの収穫感謝祭


                       オランジュ凱旋門(西暦前)のレリーフ
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                                          恩寵(おんちょう) 二つ
                                          詩編65篇2-14節


                              (序)
  今日は詩編を中心にして、最後にローマ書を学びたいと思います。題は「恩寵二つ」としています。この65篇には、神の2つの恩寵、2つの恵みが語られているからです。前半には、私の罪を贖い、赦して下さる神の恩寵が語られ、6節以降には、大自然に表わされた神の恩寵が記されます。

  後者の大自然の恩寵は、善人の上にも、悪人の上にも公平に表わされる神の恩寵です。悪人だからと言って自然災害に多く遭うということはありませんし、善人だからと言って災害が襲うことがないなどということは決してありません。神の公平さ。それは疑う余地がないと言うことを、自然ほど明瞭に告げるものはないでしょう。それは6節で、「あなたの恐るべき御業である」と表現されます。

  4月11日の「アエラ」という雑誌に、ある写真家が震災の報道写真を載せて、神の残虐さを告発しました。「この度、神は人を殺した。土地を殺し、家を殺し、沢山の善良な民やいたいけな子供たちや無心な犬や猫を、最も残酷な方法で殺した。私は屍土の上に立ち、人間の歴史の中で築かれた神の存在を疑う。神幻想から自立し、自らの二本足で立とうとする者ほど、強い者はない」と、勇ましく宣言しました。この写真家は、神への告発をこれで決定的になしえたと、神の存在に止めを刺したと言わんばかりの口調でした。

  しかし私はその荒れたものの言い方に、怖いものを逆に感じました。人の心の奥に潜む恐ろしいものが直接吐き出されているようで、身震いを覚えたのです。

  その点、この詩篇の信仰者の大自然を見る見方は、6節以下を見ると、的確であり、喜びにあふれ、神への感謝がみなぎっています。

  特に10節以下で、「あなたは地に臨んで水を与え、豊かさを与えられます。神の水路は水をたたえ、地は穀物を備えます。あなたがそのように地を備え、畝を耕し、土をならし、豊かな雨を注いで柔らかにし、芽生えたものを祝福して下さるからです。…あなたの過ぎ行かれる後には油が滴っています。荒れ野の原にも滴り、どの丘も喜びを帯とし、牧場は羊の群れで装われ、谷は麦に覆われています。ものみな歌い、喜びの叫びをあげています。」ここからは、人々の喜々とした喜びの声が聞こえて来そうです。

  震災や津波の被害の物凄さには誰もが絶句しました。だが大自然のもたらす災いにだけ目を向け、自然がもたらす恵みに感謝を怠るのは公平ではないでしょう。この詩篇には、写真家が告発しようとするものと違って、バランスのとれた健やかな感性が活き活きとあふれています。

  自然を通して示される神の第1の恩寵です。大都会で、大自然から離れて暮らす私たちはこの第1の恩寵をいつの間にか忘れがちですが、いかなる時代が来ようがこの恩寵を決して忘れてはならないでしょう。

  今は収穫感謝祭の季節です。アメリカでは11月ですが、カナダは10月、イギリスは9月下旬に教会で祝われます。イギリスのケンブリッジの教会では、野菜や果物、花などが教会に持って来られましたが、暫らく前まではウサギやニワトリ、中に教会の中に牛を引いて来る人もあったと懐かしがる人たちもありました。

  いずれにせよ、収穫感謝祭も大自然に表わされた神の恵み、恩寵を喜び、感謝するひと時です。教会は古くから、神の第1の恩寵を大事にして来たのです。このことはしっかり覚えければなりません。

           (つづく)

                                         2011年10月9日

                                        板橋大山教会   上垣 勝


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