神のささやく声


      日本では考えられません。オランジュ古代劇場(世界遺産)の壁を大胆にくりぬいたレストラン 
                              ・



                                           神のささやく声 (下)
                                           列王記上19章1-18節


                              (3)
  「神の静かにささやく声」。これが今日の題です。

  Aさんが段々難聴になられて、今日発行の「板橋大山教会文集」に、私の「聴は既に仮死状態。…私の聴は元に戻らない」と書いておられます。「耳は鈍く、目は暗く、目で見ることなく、耳で聞くことがない。つまり私は『しない』者なのだろうか」ともありました。私も耳鳴りが段々酷くなる一方ですから、いつAさんの後継者にならないとも限りません。大きな声で言ってもらわないと聞き取れない。

  エリヤは、モーセ同様、大音響の中で、あるいは自然の猛威がたけり狂う中で神の声を聞くものと思っていました。ですから、当然、神の声も耳をつんざく大音響をもって語られるものと思っていました。

  だが違ったのです。心の内に静かに囁く、優しく囁く声をもって聞きました。これまでの固定観念が破られて、神に接する接し方、神に聞く聞き方を180度転換させられていったのです。

  むろんこれは二者択一ではありません。またこの二者しかないのでもないでしょう。もし幼児がトラックの下にもぐって遊んでいたら、親は血相を変え、大声をあげて「何してんの!早く出て来なさい」と叫ぶでしょう。モーセが聞いたのはそういう轟(とどろ)く声でした。

  しかし、大声と言うのは遠くの人にまで届きますが、深くものを考えさせることは少ないでしょう。むしろ細い声の方が物事を深く考えさせるかも知れません。エリヤに出会った神は、力任せに押し付けず、多くの陰影をもってエリヤに理解され、受け入れられるのを好まれる神です。神はエリヤに語るために、沈黙を、静けさを選ばれるのです。

  神の静かな声は、彼の石の心を打ち砕き、私たちの石の心も打ち砕きます。魂が沈黙する中で聞かれる時、神の言葉はリアス式海岸のように複雑に入り組んで奥まった、隠れた心の襞(ひだ)にまで届きます。

  ヘブライ書4章が語るように、「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣より鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離す程に刺し通し、心の思いや考えを見分けることができる」ということが起こります。

  神の前で魂が静かに沈黙する時、キリストの光が私たちの心の奥まで達し、そこを照らし、癒し、作り変えて下さるのです。

  しばしば例に出しますが、幼い幼児は母の胸にすっかり委ねて、沈黙し、安心し、憩っています。私たち大人は、口は沈黙していても、内面では想像上の相手と議論し、また自分自身とやり合って休まることがないことがしばしばです。ですから単純になることが必要です。神にすっかり委ねることが必要です。幼児は母の胸に安らって、大人たちにこの大切なことを告げています。

  詩編131篇は、「私は魂を沈黙させます」と語り、「私の魂を、幼子のように、母の胸にいる幼子のようにします」と述べています。また62篇は、「私の魂は沈黙して、ただ神に向かう。…神に私の救いはある。私は決して動揺しない」と申します。

  神の腕に安らう時、魂に休みが与えられ、安息が授けられ、心に力が回復して来ます。一時は動揺しても鎮められます。また、神の前に魂を沈黙させる時、神の静かな囁く声、私に語りかけられる声が聞こえてきます。それは神が私を愛される声であり、神が私を貴く扱って下さるお声です。

  反対に、私たちがせわしく動き回り、激しく心を掻き回されていると、人を許さぬ理由を見つけ、愛さぬ理由、冷たくする理由さえ見つけ、祈らない理由も見つけてしまします。だが神の前に魂を沈黙させて静かに留まっていると、こうした理由や論点が消えていきます。なぜ、あんな馬鹿なことを考えたんだろうということにすらなります。

  神の前に魂を沈黙させて静まるのです。「沈黙は、光への入り口である。」前に紹介した言葉です。特に永遠な方、神の前での安らかな沈黙は光への入り口です。毎日の気ぜわしい活動や雑事がありますが、一時でも静かに神の前に黙し、神の腕に、母の腕に抱かれた幼子のように安心して預けましょう。すると光が訪れます。光が見えてきます。

  神の前で魂を静めると、魂に囁く神の声が聞こえて来るのです。

        (完)

                                         2011年9月25日


                                         板橋大山教会   上垣 勝


       ・ホームページはこちらです;http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/ 

       ・板橋大山教会への道順は、下のホームページをごらん下さい。
                   http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/