慰めようのない悲しみに遭っても


        オランジュの街角に立つと、町並みの突き当たりに高さ36mの古代劇場が見えました。 
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                                           神のささやく声 (上)
                                           列王記上19章1-18節


                              (1)
  今日のエリアの出来事は、BC850年頃のイスラエルの激動の時代のものです。2860年前、気が遠くなる程の昔の話です。

  当時、イスラエルは南北2つの王国に分裂して北王国は繁栄の途上にありました。1節に出て来るアハブ王は、経済の繁栄を追求してシドン王と連携を密にして、王女イゼベルを妃に迎えました。だがイゼベルはクレオパトラのように気位が高く抜け目ない女性で、バアルの預言者とアシェラの預言者を千人近く連れて、イスラエルに輿入れしました。イスラエルを祖国シドン同様のバアルを祀る国家にしたいと謀っていたのでしょう。

  夫のアハブ王は宗教や思想がどうあろうと、経済が繁栄すればそれでいいと考える人間です。バアルの本性は多産と繁栄の神です。そこにはエクスタシーを伴うセックスの享楽追求だけでなく、繁栄のためなら人身御供を偶像バアルに捧げるという恐ろしい風習があります。これはイスラエルのヤーウェ信仰からすれば決して許せぬ宗教です。

  預言者エリヤが登場するのは、このバアル礼拝に「否」を語るため、正義と公平、神に造られた人間への冒涜と戦うためでした。

  戦後間もなく、日本は経済繁栄のために原子力発電を導入したと分析されています。そのため、原子力関係に色んな学者が関わって来ましたが、いつの間にか、原子力が莫大な金づるになり、多くの学者が名誉と富を求めて御用学者になりました。現代のバアル宗教は原子力かも知れません。彼らはバアルの預言者になったのです。そして、人身御供とは申しませんが、原発の操業のために隠れたところで人間性が犠牲に供されて来ました。

  少々きつい事を申し上げましたが、王妃イゼベルは、こうして経済的繁栄とそれを支えるバアル宗教拡大のために、18章にあるようにやがてイスラエルの良心的預言者のほぼ全員を絶滅させたのです。

  それに立ち向かったのがエリヤです。彼はただ一人、カルメル山でバアル預言者450人、アシェラ預言者400人を相手に戦い、最後に彼らを討伐したとあります。討伐です。旧約聖書は人間社会の赤裸々な戦いが証しされて、今日では躓く人もあるでしょうが、ここに人間社会の実像があることを決して忘れてはなりません。

  その結末をアハブ王は、妻イザベルに告げたのです。それが今日の1節です。「アハブは、エリヤの行なったすべての事、(バアルとアシェラの)預言者を剣で皆殺しにした次第をすべてイゼベルに告げた。」

  アハブ王夫妻の力のバランスが分かりますね。王が、王妃にすべてを告げた。告げなければ、えらい剣幕で「あなた!」と、妻からどやされたでしょう。古代も現代もまた洋の東西を問わずあちこちにある姿でしょう。小心な男と容赦せぬ強気の女の屈折した人間関係。

  彼女は報告を聞くと、エリヤに使者を送り、「私が明日のこの時刻までに、あなたの命をあの預言者たちの一人の命のようにしていなければ、神々が幾重にも私を罰して下さるように」と言わせた。何と鼻息の荒い勝気な女でしょう。

  それで、エリヤは「直ちに逃げた」とあります。こんな女の前では逃げるが勝ちだと知っていたのでしょう。女、女と気安く言うなとお叱りを受けるかも知れませんが、同じ女性でもこんな女の前では逃げるが勝ちです。

  エリヤは逃げましたが、ベエル・シェバの荒れ野に、国外に逃れたに拘わらず、「主よ、もう十分です。私の命を取って下さい」と願ったと書かれています。イゼベルが主の預言者にした殺戮が、いかに身の毛もよだつ恐ろしく凄惨なものであったか、対立者は容赦なく殺し、血を流すことを何とも思わぬ人間かを知っていたからです。彼女に命を奪われるより、主の手にかかって命を落とす方が本望だと考えたのでしょう。

  ところが、主のみ使いは彼に水と食料を与え、40日40夜歩いてシナイ山へ向かわせられたのです。シナイ山イスラエルの信仰の原点です。偉大な指導者モーセが神と出会い、十戒を授かった山です。彼はそこへと促され、その山に向かいました。

                              (2)
  そこに向ったものの、彼には解せない疑問がありました。それは10節と14節に2度出て来る問いです。2度にわたってとは、彼自身の深刻な問いだったということでしょう。

  「なぜあなたは、私が情熱を傾けてあなたに仕えて来たのに、王を始めイスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、その上、イスラエルの良心的預言者をことごとく殺し、私ただ一人を残されたのですか。」なぜこのような過酷な苦しみにあわせ、私一人が艱難を担い、試練の中で生きなければならなくされたのですか。もう十分です。命を取って下さい。私は先祖にまさる者ではありません、ということです。

  エリヤは9節と13節で、2度にわたり、「エリヤよ、ここで何をしているのか」という声を聞きますが、その度に、ここぞとばかり神に同じ不満を投げつけました。神はなぜ激しく怒って、敵を滅ぼして下さらないかと突っかかるのです。

  すると、11節以下で、それに応えるかのような岩をも砕く激しい風があり、山をも動かす地震が起こり、地震の後に猛烈な火が、火山の噴火でしょう、激しい火があったのです。天地を揺るがす自然の大激動が起こったのです。だが、それらの中に「主はおられなかった」と書かれています。

  エリヤが主に導かれてやって来たシナイ山は、かつてモーセが、シナイ山が煙り、燃える炎の中で神の言葉、十戒を授かったことが彼の念頭にあった筈です。モーセ同様、全山が荒れ狂う中で主に出会い、主の言葉を聞けるだろうと期待をしていたでしょう。

  だが、モーセに起こったことは彼に起こらなかったのです。しかし予期しなかったことが起りました。それは、これらの自然の脅威がすっかり収まり、静けさが戻って来た時、思いがけず、静かに囁く声を聞いたのです。細き、魂の奥深くまで沁み通る声です。それが彼の魂を揺るがしました。

  彼は、洞穴の入り口に出て、再び神に不満をぶつけます。「私は情熱を傾けてあなたに仕えて来ました。しかし主の預言者はことごとく殺され、私ただ一人残りました。…」こうなっては、もはや何もかもおしまいです。万事休すです。一体、私一人で何ができるというのでしょう。恨み、つらみ、すべてを神にぶつけ訴えたのです。

  すると魂の奥深くまで通る静かに囁く声は、「行け。私は、主の民の中に忠実に仕えようとする7000人を残している。彼らは皆、バアルに膝をかがめず、これに口付けしなかった民である」と、語られたのです。

  「残りの民」です。英語でレムナントと言います。これは聖書を貫く重要な思想です。あなたは知らず目にも見えないが、主に忠実な、良心を失わず生きる残れる民7000人がいる。あなたは一人ではない。あなたを支える民を私は地上に残している。少数者だが良心をもって生き、口先でなく、現実に、身をもってバアルに膝をかがめぬ実行力ある民である。

  決して諦めてはならない。神は切り株からも新しいひこばえを成長させる方でだ。歴史の中で起こる事柄を神は見張っているのだ。偶像のような者でなく、時満ちる時、神は歴史に必ず介入される活ける神であるということです。

  申命記33章に、「いにしえの神は難を避ける場所、とこしえの御腕がそれを支える」とあります。

  ナチス・ドイツ時代にユダヤ系の妻と子供を強制収容所に入れられた詩人で、クレッパーというキリスト者がいました。彼はこの申命記33章を引用して、「神の慈しみは果てしない。神の思いは誠実に満ち満ちている。あなたの性格が激変しても、あなたの定めが一変しても、また、いかなる試みがあなたを襲うとも、神は退かず、揺るがない。神は…契約を必ず守られる。過酷な戦いがあなたに課せられたとしても、誰一人として遭わなかった苦しみがあなたを撃つとも、誰にも慰めようのない悲しみに会うとも、神はあなたを迎えようと、両腕を広げておられる」と書いています。

  神が十字架について両腕を広げ、慰めようのない苦しむ者をなお慰めようと、迎えようとしておられるという意味でしょう。

  津波仮設住宅に入った人たちを台風の豪雨が襲いました。寝床も家具もずぶぬれで泥まみれ、踏んだり蹴ったりです。実につらいでしょう。だがどんなに酷い困難が待ち受けていようと、たとえ慰めなき所に置かれようと、神はそこにも揺るがず立っておられるのです。

  エリヤは、そこにも揺るがず立っておられる神を、そのかすかな静かな声で知りました。バアルに屈しない、神が残された「残りの民」がいると静かに語られて、勇気を奮い立たされ、再び立ち上がってイザベルがいるイスラエルに帰っていくのです。

          (つづく)

                                          2011年9月25日


                                         板橋大山教会   上垣 勝


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