オランジュ古代劇場で考えたこと


     オランジュ古代劇場。丁度オランジュ音楽祭のためにトロイの木馬の大道具が準備がなされていました。
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                                        ティキコとオネシモ (中)
                                        (8月14日大山教会説教を加筆改訂)

                                        コロサイ4章7-10節
                                        於 百人町教会


                              (3)
  パウロは、ティキコと共にもう一人、オネシモも同行させました。彼は「あなた方の一人」とあり、「忠実な兄弟」であるとも述べています。

  この「あなた方の一人。兄弟」という言葉の中に、多くの意味が含まれています。先ず、オネシモはコロサイ出身であるからです。まさにあなた方コロサイ人の一人です。しかも、彼は主人フィレモンから逃げた逃亡奴隷だったのです。逃亡奴隷は捕まれば処刑される恐れがあり、少なくとも手足に重い鎖を付けられ、所有主のもとに送還される。また闘技場などで逃亡奴隷同士、死ぬまで戦わせられます。

  オネシモ事件は小さいコロサイの町では大事件で、誰一人知らない者はいなかったでしょう。もし奴隷の子なら、幼少時からのオネシモの姿、その性格や癖、言動、家庭の事情、働きなど一切が知られていた可能性があります。そして、主人のフィレモンは、何とコロサイ教会の有力信徒でしたから、オネシモのことは教会の人たちの非常な関心事であったでしょう。

  そのオネシモは主人の下から逃亡したのですが、全くの偶然から、パウロと出会ったのです。「監禁中に儲けた私の子」とフィレモン書で言われていますから、パウロが監禁中にオネシモも同じ獄中にいたのでしょう。古代の獄中生活ですから彼らは四六時中顔を見合わせています。今でも雑房ならそうです。そしてその生き方、その考えにじかに接します。すると、主人の所ではキリスト教に関心を示さず、むしろ憎悪したり、軽蔑したりしていたのに、獄中でパウロからキリストの十字架と愛に触れ、180度転換して、逃亡先でキリスト者になったのです。その詳細な事情はフィレモン書をご覧ください。

  ですから、彼は今、ティキコがコロサイ書を携えて行くのと同時に、パウロがしたためたフィレモン書を彼が携えて、主人の家に帰されて行った。それを、「オネシモを一緒に行かせます」と表現していると思われます。

  これほど感動的な出来事は稀なことです。ここには、キリストによるどんでん返しがあります。キリストが人生の転轍機になった。主人を裏切って逃亡したオネシモ。オネシモとは有益な者という意味です。彼がキリストに捕まって、キリストの僕となり、主人の下に帰って、今や、町の人が見守る中で、キリスト者として有益な者となって生きていく。

  主人フィレモンは、一時彼を失いましたが、まるで失われ死んでいた放蕩息子が、砕かれて生き返って父の下に帰って、有益な息子となっていくのに似ています。キリストが主人と奴隷の間を取り持ち、和解させて下さったのです。

                              (4)
  先程、フランスのアヴィニヨンまたオランジュのごく近くの原発関連施設で爆発があったことを申しましたが、私はこのオランジュの町をゆっくり訪れたことがありまして、その町で聖書をまた新しく読み直すことが出来ました。それは2千年前のローマの身分制や階級性がいかに厳しく人々を分けていたかです。

  オランジュの小さな町には、今も残る巨大建造物があります。世界遺産になっています。それはイエス時代かそれ以前に建てられた石造りの巨大な古代劇場で、今もまるで山のように聳える建物でした。オランジュの古代劇場ほど2千年前の原形をとどめているものはヨーロッパにないようで、劇場ですから舞台がありますが、その舞台の長さは何と100m以上あります。舞台ですから後ろに2m程の厚い石造りの壁がありますが、高さが36mもあります。今の建物で言えばほぼ10階建てです。もの凄い建築物で恐らく世界最大の舞台でしょう。その最上段の切り込みの棚に皇帝アウグストの石像があって当時の姿を留めていました。ただ皇帝が変わる度に銅像を造るのは大変なので、首だけ造ってすげ変えたようです。経費節減のためです。

  まるで化け物のような巨大な建物が屹立している。しかも2千年間そこにあり続けたのですから驚きでした。ちなみに、この劇場でオランジュ音楽祭というのが140年前から行なわれているのだそうで、世界で一番古く有名な音楽祭で、これに出演することは世界のトップスターに躍り出る印だそうです。

  ローマ社会は自由と規制の入り混じった姿をしています。この巨大な古代劇場は貴族、軍人、この町や近辺の有力者、一般市民と共に、奴隷たちも入場できたそうです。しかも無料です。現代のオランジュ音楽祭の入場料は2、3万円です。ローマは実に誰にも寛大に開放したのです。気前良かった。ただ、ローマ社会の階級に従って座席が決まっていて、別の階級の席に決して入れませんでした。勿論奴隷たちは、すり鉢型の階段の最上階の末席でしか観ることはできませんでした。階級間の区別は厳格で、奴隷と他の階級が同席することは決してなかった。あり得なかったのです。

  ところが、パウロは奴隷オネシモを、「忠実な愛する兄弟」と呼んで手紙するのです。奴隷を兄弟と呼ぶことはローマの慣例にないことです。しかもパウロはフィレモン書においてはフィレモンに、あなたにとっても彼は、「一人の人間として、愛する兄弟である筈です」とさえ書いています。奴隷を一人の人間として接する。しかも愛する兄弟として迎える。

  キリスト教奴隷制度の身分を、キリストにおいて既に超えていたことの一端をここに見ることが出来るでしょう。4章1節の言葉もこれを裏付けています。これは当時の社会ではかなりショッキングなことです。「主人たち、奴隷を正しく、公平に扱いなさい。あなた方にも主人が天におられる。」当時の社会を思うと、よくもここまで言えたと思いますね。

  翻って、なぜティキコが遣わされたのかと思います。それは、オネシモをコロサイ教会が冷たくでなく、兄弟の愛をもって温かく迎えて欲しかったからでしょう。いや、熱く歓迎して欲しかった。そして特に主人フィレモンに、逃亡奴隷オネシモを信仰の友として、信仰の兄弟として、寛大に赦し、かつては主人に不義を働いたが、今、キリストにおいて忠実な人間となって帰って来たこの奴隷を、勇気をもち、大胆に兄弟として愛し、受け留めて欲しいからでしょう。これは世の常識を覆すことです。

  もし、そういう、現実社会では決して起こらないことがコロサイ教会で起こるなら、それこそキリストの誉れになり、コロサイの町でキリストのみ名が更に崇められるようになるに違いないからです。

  しかも、そういう出来事が起こるなら、グノーシス主義ならグノーシス主義に対して、別の宗教的思想的な戦いならそれに対して、キリスト教信仰の優位性がまたキリスト教信仰の現実性、具体性が証明されるようになるからです。

          (つづく)

                                         2011年9月18日


                                         板橋大山教会   上垣 勝


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