コロサイ書を読む


                      フランス・アヴィニヨンの教皇庁(1309-77)
                               ・

                                        ティキコとオネシモ (上)
                                        (8月14日大山教会説教を加筆訂正)
                                        コロサイ4章7-10節
                                        於 百人町教会


                              (序)
  3月11日に東北を襲ったマグニチュード9.0の地震三陸部の多くの町に壊滅的な被害をもたらし、福島の原発事故は今後も多くの人たちを苦しめることになりました。ノーモア・原発。その叫びは多くの人たちの胸に鬱積しています。

  今日はコロサイ書をご一緒に学びますが、コロサイの町は現在のトルコの西部、エーゲ海に面したエフェソから内陸部に200kmほど入った、リュコス渓谷に沿った小さな、しかしここにはシルクロードが通っていましたから、地勢的に重要な拠点の町でした。ただ西暦61年に直下型地震がこの地域に発生して壊滅的な被害をもたらし、その後町は捨てられ廃墟になってしまいました。

  この手紙の執筆時期ですが、この手紙にはどこにもこの地震について触れられていませんから、恐らく61年より前に書かれた手紙でしょう。しかし獄中書簡であることは疑いの余地はありません。だがその牢獄はどこであったか、ローマであったのか、エフェソであったのか、それともカイザリアであったのかは、学者たちが研究していますがまだ明らかではありません。パウロがローマに送還されて61年から64年まで獄中にあり処刑されたと思われます。ですからローマの公算は比較的少ない。で、エフェソの獄中となるとその10年ほど前になります。

  また著者問題もパウロであったのか、それともパウロに近い人が書いたのか、あるいはもっと後世の者がパウロの名を騙(かた)って書いたのか、これも定かではありません。

  ただ今日のお話では、一応パウロとしてお話させていただき、場所はこのコロサイに近いエフェソの獄中であったと見てお話しします。

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  ここは、コロサイ書の最後の結びの部分、挨拶の部分です。7節から最後にかけて10人程のパウロの同労者、互いに心を通じ合い、信頼し支え合う男たちの集団が出て来ます。今日はその最初の部分です。

  「私の様子については、ティキコが全てを話すことでしょう」と語られ、また一緒に行かせるオネシモも共に、「こちらの事情を全て知らせるでしょう」と述べています。


  先ずそのティキコです。彼は今のトルコのアジア州出身の人であったことは、使徒言行録20章で分かりますが、恐らくパウロが今囚われの身になっているエフェソ出身の人であったと思われます。

  彼は、エフェソでパウロと出会い、パウロの直弟子また伝道者になった人です。信仰に入るや、キリストとの約束を固く守り、忠実に主の教会に仕える人になりました。皆さんの賈先生と講壇交換の準備で何度かお話ししましたが、実に謙虚な方ですね。そして実に明るい!牧師は明るくなきゃあなりません。しかも内容のないはしゃぐ明るさでなく、信頼できる明るさをもっていらっしゃいます。本当に皆さんは幸せです。悩んでいても、誰でもそばに行くだけで安心できる。オーラが出ています。私などは胸も厚くなく、華奢でしょぼくれていますから、誰も寄って来ませんね。それはそこまでにして…。

  それから何年経つか不明ですが、時を経るに従い、人々から益々「忠実な愛する兄弟」と呼ばれる人になりました。彼の真実さ、信頼のおける確実さ。言葉だけの人でなく、率先して仕える人であったからでしょう。彼は「仲間の僕です」と紹介されていることにもそれが窺われます。同労者の間で僕(しもべ)のごとく進んで仕える人であったのでしょう。愛されると共に慕われてもいたに違いありません。

  気さくで、気難しくない、こういう腰の低い人はどこの世界でも愛されるでしょう。

  ここは別の訳では、「主に仕える僕仲間」となっています。もしそうだと、彼だけでなく、パウロの周りに、多くの「主に仕える僕仲間」がいたと思われます。パウロ自身も僕仲間の一人であった。キリストに仕えようと、皆率先して互いに僕のように仕えていたので「僕仲間」と呼んだのかも知れません。それはヨハネ福音書13章で、イエスが弟子たちの足を洗い、「師である私があなた方の足を洗ったのだから、あなた方も互いに足を洗い合わなければならない」と語り、上に立つ者は僕になって仕えなさいと語られたことが初代教会の中で実践されていたことを窺わせられます。


  パウロは仲間の中から、ことさらティキコを選び、コロサイ教会に遣わしました。忠実な信頼できる兄弟を遣わすのは、獄中のパウロの様子を偏らず的確に伝えると共に、パウロパウロたちの様子を知ってもらって励ますためでした。

  先ほど触れましたようにリュコス渓谷にあるコロサイの町は、東西交通の要衝地にあり、当時この地域に何らかの新しい思想が忍び寄っていたようです。それは1、2章を読むと分かります。それはどういうものだったか、これもまだ定かでありませんが、たとえば2章に、「人の言い伝えに過ぎない哲学」、「むなしいだましごと」とあるのは、当時勃興しつつあったグノーシス思想であったと言われています。しかしまた、ヘレニズムに起因する密儀宗教であったとも思われます。1、2章にそういう要素が散見されますし、もともとこの地域は神秘宗教がはびこっていました。しかし、エッセネ派の禁欲的で終末的なユダヤ教だったのでないかとも言われます。

  今では特定できませんが、何らか世を風靡しつつあった異教的な宗教哲学的思想によってこの町のキリスト教徒たちは混乱させられようとしていたのです。問題の中心は、「キリストは第1の者であるのか」ということでした。反対者たちは、キリストでは不十分だ、何か別のものが必要だと主張したのです。それでキリスト教が危うくなる可能性があった。その上、パウロは獄中にあります。キリスト教は今、苦難の時代を迎えようとしているかに見えたのは当然です。皇帝ネロによるキリスト教徒迫害ももうすぐそこに迫っていた時代です。暗い雲行きを皆、肌で感じていた。

  ところがです。パウロは獄中にあっても行き詰まっていないのです。暗い世相の中で弱るのでなく、返ってキリストの平和に与り、その平和が心を、人格を支配し、大胆に行動している。同じ獄中書簡のフィリピ書では、彼は、「私の身に起こったことが、返って福音の前進に役だった」と書き、「私が監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体…び知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの…多くの者が、…私の捕われているのを見て確信を得、恐れることなくますます大胆に、み言葉を語るようになった」と報告し、神をほめたたえている。そういう様子を伝えて、コロサイの信徒たちを力づけるために遣わしたのです。私はパウロのこうした言葉を読むと、かつての民主化運動下で獄中に入った韓国のキリスト者たちの勝利を信じ、喜びに満ちた姿を髣髴とします。

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  一体、パウロはどうしてこの逆境の中で弱らなかったのでしょう。気持がふさぎこんで鬱的にならなかったのでしょう。私なんかはとうていこうはいかないでしょうね。

  彼は、これも1、2章で分かりますが、キリストの十字架と共に復活の希望と終末の勝利を信じていたからです。彼は獄中にありつつ、キリストの終末的勝利の信仰に生きていたのです。イエスは、「あなた方はこの世では悩みがある。しかし私は既に世に勝っている」と言われました。終末的勝利とは、最後究極的に必ず勝利するという信仰です。罪の世は必ず滅ぼされ、神が勝利されるという信仰です。

  画家のゴッホは、父も祖父も牧師で、彼も元は貧しい伝道者ですが、やがて画家となってフランスのアヴィニヨンという町の近くアルルに住んでいました。先週アヴィニヨンの近くの原発関係の処理施設が爆発して1人が死亡しましたね。あれはアヴィニヨンというより、後から申しますオランジュという町の西15kmにあります。ローヌ川という大河をまたいだ向こう側です。ゴッホはアルルで耳を切り落とし、精神病院に入りました。そんな彼は、「海に干満の変化はあっても、海が海であるのに変わりはない」と言っています。世がどんなに荒れ狂い、大揺れに揺れても、また自分自身が不安定になっても、神がご支配しておられることには変わりがなく、また最後に神が勝利されることに変わりはないのです。彼はこの言葉でそういうことを表現したのでないかと私は解釈しています。

  終末的な勝利の信仰は、失敗しそうになる時も、誤解される時も、前向きに生きる勇気を与えます。復活と終末的信仰をもつことが人間をいかに望み溢れる人にするか、喜びと平和の人にするか。そのことを、パウロの様子を具体的に知らせることでコロサイの人たちに教えるのです。

  心頭滅却すれば火もまた涼しと言いますが、心頭滅却すれば無私になれるわけではありません。キリストの終末的勝利に目を向けるから無私になれる。パウロが、「侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、罵られては優しい言葉を返しています」と語っているのは、この終末的勝利を生きているからです。

  ティキコはそのことを口頭で語るでしょう。だが同時にこのコロサイ書を携えて行きますから、目でもこの書簡からその信仰を確認するでしょう。確かに2章には、キリストの終末的勝利の信仰が活き活きと書かれ、3章において、復活の信仰が私たちをいかに望み深くするかを記されています。ティキコを遣わし、彼がこの書簡を携えて行くことが2重にコロサイ教会を力づけるに違いありません。

  パウロは空鉄砲を撃ちません。実弾を込め、それが命中するように撃ちます。その実弾がティキコという人物を派遣することであり、この書簡でした。深い思想を持ちながら、パウロの現実主義、実際家としての冷静な人物像がここに出ています。

         (つづく)

                                          2011年9月18日


                                         板橋大山教会   上垣 勝


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