聖書から見える現代社会


 今日はフランス・オランジュ凱旋門に急に移りました。2千年前の本物が目の前にあり、圧倒されます。昨日爆発事故があったフランスのメルクール廃棄物処理工場(Marcoule nuclear power station)はオランジュのわずか15km西。ローヌ川をまたいだ所にあります。
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                                         未練がましくあらず (下)
                                         申命記15章7-11節


                              (3)
  さて、7年目に畑を休ませるという掟を紹介しましたが、今日の聖書には、7年目の負債免除の規定が出て来ます。少し前の1節には、「7年目ごとに負債を免除しなさい。負債免除の仕方は次のとおりである」と書かれています。

  貧しい同胞に対して心を頑なにせず、必要なものを十分に貸し与えなければならない訳ですが、でも7年毎に負債免除の制度がある。すると来年が負債免除の年の場合は貸したものが1年足らずですっかりチャラになります。すると貧しい人に貸す人は、貸したものが返って来ないから大損をするというので貸さない、あるいは貸し渋るというのが現われた訳です。

  だが今日の聖書は、それは「邪(よこしま)な考え」である。「貧しい同胞を見捨て」るものだと断言します。それを訴えられたら、「あなたは罪に問われよう」と言います。犯罪だというのです。だから、「与える時、心に未練があってはならない。」潔く、気前良く与えよ。未練がましくあってはならぬと教えるのです。どうでしょう。皆さん受け入れられますか。

  債務帳消し制度。借金をすっかり帳消しにする、あるいはその一部を帳消しにするという取り組みです。新しいミレミアムを迎える時、日本では新聞も冷たかったですが世界的に盛り上がりました。世界の最貧国の救済。それらの国はすっかり破産している。にも拘らず、富める国は援助をして借金を取り立て、最貧国からも儲けています。現状では再起できない国々がアフリカその他に幾つもあるわけです。人口で見ると約30億の人たちです。それで借金帳消しにしようという動きが、西暦2000年、ミレニアムに起こりました。これは、聖書のヨベルの年にちなんだプロジェクトでした。

  貧しい国、貧しい国民。その人たちをどう考えるか。これは緊急な国際問題です。というのは、今日はアメリカの国際貿易センタービルなどへの飛行機による同時多発テロ9・11事件から丁度10年目に当たります。

  テロの背後にこの貧困問題があります。差別があります。極端な貧しさと差別から憎しみが生まれ、それを何倍にも煽る人たちがあり、憎悪に憎悪が積み重ねられて自爆テロリストが生まれます。私は先週何度もUチューブで10年前の映像を見ました。これはあってはならないことだと思いました。ただこの背景に貧困問題と差別問題がある。それは「戦争」によっては解決されないとも思いました。

  アメリカへのテロに加わって、あるいは準備中に逮捕され、終身刑の判決を受けている青年たちがあります。先週、その一人の青年の母親のことを読みましたが、母の思いは複雑で、息子への愛と持って生きようのない怒りで満ちていました。肌の色や民族差別が絡んで、色んな問題が鬱積してたまっているようです。ただその青年は、イギリスの大学で博士課程にありましたからある程度の恵まれた環境にいた筈です。だが貧困と差別の怒りをうまくマインドコントロールされて、自爆テロに仕立て上げられました。

  彼とは違いますが、テゼにやって来たアフリカ中部の国ザンビアの青年がこういうことを書いていました。「私は10代で両親を失い、初めて貧困とは何か、その実体を知りました。ホームレスになり、何週間も胃袋は空のまま。着る服はなく、友もありませんでした。なぜか。近所の人たちさえ貧しい少年は好きではありません。嫌いです。避けます。私は自分は存在しないと自分に言い聞かせ、長時間ただ一人で過ごしました。」しかし幸いなことに、彼の場合はキリスト教に出会います。

  こう書いています。「この痛い経験をする中で、神が私に新しい心を与えて変えて下さったのです。それで、貧しい人たち、特に孤児たちを助けたいと願い始めました。なぜなら私自身がその状況下にいたからです。痛ましい日々が続く中で、神が私を祝福して下さり、16歳で養父を与えられありのままの自分を愛してくれました。」

  貧困と差別、これらがテロや暴動の温床になります。

  今日の個所は、これらの根を断つ一つの示唆を与えています。それが7年目の負債免除です。そして負債免除の年が眼前に迫っていても、「生活に苦しむ貧しい者に手を大きく開きなさい。」「与える時、心に未練があってはならない。」

  なぜでしょうか。それは、全ての良いものは神から来たからです。金は天下の回りものと言いますが、富は本来神のものである。だから、公平に分け、公平に分配せよ。気前良く分けよ。与える時、未練がましくあるな。同胞に心を閉ざしてはならない。

  「同胞」に限定していますが、これは余りにも理想主義でしょうか。

  今朝もテゼの集りがあり、1時間半かけて全盲の女性Tさんが参加されました。集まりが終わって暫らくお話しをしましたが、4歳まで少し見えたが、その後全盲になったそうです。小、中学校は盲学校に通い、高校は丁度父親がニューヨークに転勤になり、アメリカの普通高校に直接入ったそうです。向こうではその頃、普通の学校に障害者も入ることになっていて、統合教育の600人の中で彼女は3年間、日本人一人で学びました。でも点訳奉仕者があってサポートしてくれたそうです。といっても日本語じゃありません。英語の点字です。第一、英語について行くのが大変、授業が大変。苦労だったでしょうが、Tさんは涼しい顔で高校時代のことを話してくれました。

  高校を出て帰国し、大学に進みました。大学では点訳奉仕のサークルがあって支えられたそうです。大学の2年、3年と行くうちにゼミがあります。少ないグループでの勉強です。ある時、何日までにこのプリントを読んで発表して下さいと言われて、60ページのプリントを渡されたそうです。むろん普通の墨字のプリントです。

  で、点訳奉仕者の家に直ちに飛んで行って、事情を説明して点訳を頼んだそうです。すると、今から考えるとその人は驚き、困った筈ですが、「いいですよ。何も心配いりません。簡単なことです。明日の朝、来て下さい。ポストに入れておきますから、黙って取って学校に行って下さればいいですよ」と、明るく言って下さった。そういう人々に支えられて来たそうです。

  気前良くとか、与える時、心に未練があってはならないとは、こういうことでしょう。同胞に心を閉ざしてはならないとはこういうことでしょう。頑なになってはならない、心を大きく開いてとはこういうことです。こういう方々が私たちの周りに表に出ないで隠れて存在しておられることを知ることは大事です。謙虚にさせられます。砕かれます。身を引き締められ反省させられます。

  彼女は合唱グループに入っているそうですが、楽譜の点訳奉仕をして下さる方もあります。楽譜の点訳は特別な分野ですから、特別な勉強が要って難しい。だが快く奉仕して下さる。でも点訳はしても、それがどんなメロディかは点訳者は聞かないと分からない。それでコンサートに来て聞いて下さるのだそうです。そういう応援もしてくださるのです。

  今日の個所は、決して理想ではありません。このような価値観が世界に広がることが必要であり、そうなることが神のみ心であるということです。これは人類を真に祝福するために語られた神の言葉と言えます。

           (完)


                                       2011年9月11日


                                         板橋大山教会   上垣 勝


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