地上を旅する巡礼者


          バプテスマのヨハネから洗礼を受けるイエスレリーフがある洗礼盤。リヨン美術館で。
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                                            巡礼者 (上)
                                            ヘブライ11章8-16節


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  皆さんは今日、どのように教会に来られたでしょう。どのようにって、ほぼいつも通りですよね。籠で来た人はいませんね。近くの方々は徒歩でしょう。ある方は自転車でしょうか。また地下鉄や私鉄、JR、バスなども乗り継いで来られた方もおありです。

  大山教会に来られる方の特徴があります、外車や国産車で来る方がないということです。私が前にいた教会では、2人の方が外車で来ておられました。だが、ここでは誰も車を持たない。皆、省エネを心がけている。本当は、買えないとか、忙しくて乗るヒマないとか…そんな理由を知る必要はありません。

  冗談はともかく、いずれにせよ、信仰生活とは自分を出て神のもとへという歩みの生活だということを言いたいのです。

  アブラハムは家族を連れて旅をしました。毎週家族を連れて教会まで旅して来られる方もありますが、アブラハムは、主によって、故郷を出て、主が示す地に行くように召し出されました。行き先も知らずに出発しました。

  妻のサラは不妊の女性でした。高齢で、もはや子を儲ける力を持たないにも拘らず、その不可能を出て、神の約束を信じてやがて子どもを儲けたとあります。彼女も行き詰りながら、不可能を可能にされる神を信じて、歩み出した女性です。

  信仰生活とは、神の召しにより、信じて歩み出す生活です。停滞ではない。歩み出しです。淀みに浮かぶ泡沫のように、「且つ消え且つ結びて」というものでない。神の呼びかけに応えて、時には冒険の道を踏み出す。信仰によって前進する。トライする。これが信仰の民、神の民の主要な性格です。

  ですから一歩でも半歩でも、自分なりの歩みで僅かな一歩でも歩み出しましょう。イエスは、「私は昨日も、今日も、また明日も進まなければならない」とおっしゃいました。このイエスについて行くのがキリスト者、「地上を旅する神の民」です。

  私は若い頃、相当批判的な人間でした。誰かが何かを話すと、心の中で反発したり、批判的なことを言ったり、抜き身の剣を持っているような人物でした。当時、私たちを取り巻く社会もそういう傾向がありました。

  私は優しい目でなく、とんがった目をしていたと思います。口も目もとんがり、心がとんがっていた。平和でなく戦いでした。

  だが、聖書に「聞くに早く、語るに遅くあれ」とありました。単に聞くだけでなく傾聴する。耳を傾け、ということは、根本的には心を傾けて聞く。「聞くに早く」とは、相手を先ず受け入れて、全面的に相手を受容して聞くということです。批判でなく、相手の立場の肯定です。相手がそこにいること、存在することの肯定です。否定でなく、肯定があって、それから語る。反発の言葉を色々探して、語るのが遅くなるのとは別です。

  この夏、久しぶりにテゼに参りましたが、テゼで誰もが先ず学ぶのは、この、人の言葉に耳を傾けるということです。批判なしに、先ず耳を傾けるのです。それがテゼで学べる特徴です。それが若者を魅了しているのだと思います。ということは、どこの世界も皆忙しくなり、普段真に耳を傾けてくれる人がどんなに少ないかということでもあります。子どもたちも、妻も、夫も、家族も、友も、一緒に生活はしているが、耳を傾けてくれないという不思議なことが世界で起こっている。

  私自身、こういう方向へと、キリストを介して20代に歩み出したと思います。キリストに近づくことによって、耳を傾ける人間になるという方向へ旅する人間になりました。この方向への旅がなければ、今の私はないでしょう。ということは、子どもたちの人生も、孫たちの環境も全く違ったものになったと思うと驚きます。

  私たちが今どう生きるかは、後の人たちに影響を与えるのです。これは大事です。

  イスラエル出エジプトは、モーセが絶えず神の前に出て聞き続けたから出来たことです。非常に難しい厳しい困難な時も、彼は聞き続けました。イスラエルの民は、水がないとか、苦いとか、エジプトには肉鍋があったとか、暑いとか、敵が余りに多いとか、なぜこんな所に連れ出したかとか、しょっちゅう愚痴や不平を言っています。愚痴や不平を言うために神の民は造られたのでないのに、後ろ向きです。最後はモーセを責めて、彼を指導者から外そうとします。私たちなら、嫌になっちゃうような状況です。

  彼は、それでも主の前に出てみ言葉を求め、60万の民を40年に渡り、自ら砕かれながら、民の破れの前に立って神に執り成し、前進して行きます。彼の偉大さは、民の破れを自分の破れとして担って立った所にあります。

  先週ある集会に出ました。他の方もお出になりました。そこで知ったのは、教団の一部の牧師たちの中に、神学校を頂点として、非常に権威的になっている人たちが出て来ているということでした。目に余るほど権威主義的、また自己保身的になっています。で、気に入らない信徒を戒告処分にしたり、聖餐に与るのを禁じたり、その人に取ることを勧めた人を更に戒告処分にしたり。また別の教会では信徒を追放したり、無茶苦茶なことをする牧師たちがあり、それを支援する神学校の教授たちがある。そういうある神学校の卒業生たちの姿、教授の姿を知りました。そういう教会ですから、これまで百数十人の礼拝が、僅か三十人程になっている場合もあるようです。

  牧師が信徒を恐れているのでしょう。信頼しなければならないのに恐れる。破れがあれば、自分が担う気概が必要ですが、それをしない。これは信仰の出だしが間違い、教会とは何かということが間違っています。

  へブライ人への手紙には、信仰とは何かについて長い黙想があります。信仰とは、知的なやり取りや、知的な事柄に単に賛成することでなく、地上を旅する者として、自分の実存、存在をかけて生きることです。愛の労苦をしつつ生きることです。

  時代に流され、浮かんでは消えるのでなく、また自己流の目標を掲げ、それに固執して歩むのでもなく、神の招きに従って歩み、時にはこれまでの習慣、習わしから決別して、地平線の彼方、まことの故郷、神の国に目を注いで歩む人です。

  アブラハムは、75歳にして、「行き先を知らず、神の声に従って旅立った」とあるのはこのことです。サラも同様です。

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  信仰とは単なる知的理解でなく、自分の存在をかけて生きることだと申しました。

  まだキリシタン禁制時代に、日本最初のプロテスタントの信仰を持ったキリスト者は、横浜で宣教師バラから洗礼を受けました。では2番目の受洗者はどこで受けたでしょう。長崎です。佐賀藩の家老で、村田若狭守政矩という人です。長崎にいたフルベッキから洗礼を授けられます。

  村田若狭守の受洗には逸話が残っています。彼は鍋島藩の家老でしたが、鍋島藩の直轄地であった長崎の出島で若い時にオランダ語を学びます。家老になった彼はある時、小舟で沖に停泊しているオランダ船に赴きますが、途中海に浮かんでいる英語の本を拾います。彼はオランダ語は出来たが英語は出来ない。それで、これを持ち帰って英語を独学で学び、密かに読破するのです。凄いですね。

  読破した彼は、日本にはこれ程偉大な人物はどこにもいない。この方の弟子になりたいと、家来をフルベッキに遣わし、間接的に家臣から信仰を学び、やがて長崎に赴いてフルベッキから洗礼を受けます。これも凄いです。細川ガラシャ夫人もそうですね。キリシタン禁制の打ち首の時代です。家老がキリシタンになったと分かれば藩主も罪を免れません。それで彼は働き盛りの50歳でしたが、自ら家老職を辞し、蟄居(ちっきょ)させられて信仰を貫くのです。藩主は名君でよく彼を守ったと思います。やがて、村田家から更に信仰者が生まれ、また佐賀の僧侶もキリスト教に改宗して行きました。

  村田若狭守にとっても、信仰は単なる知的な営みではありませんでした。地上を旅する旅人として、家老を辞し蟄居させられてまで、自分の存在をかけて、イエスに従いました。

  私たちは本当の故郷を遥かに仰ぎながら旅する巡礼者です。彼もまた、「我が国籍は天にあり」として、神の国を目指して、「地上を旅する神の民」として生きたのではないでしょうか。


  (補遺)

  一説によると、海上に浮かぶ英語聖書を拾い上げた村田若狭守は、やがて中国で漢訳聖書が出版されていることを知り、急いでそれを取り寄せ、弟の綾部三左衛門や親戚とそれを研究。その中で弟や別の家臣本野周蔵を長崎のフルベッキのもとに遣わして熱心に教えを聞いた。

  やがて1866年5月14日、彼はこの2人と共にフルベッキから洗礼を受けた。聖書を拾ってから12年の月日が流れていたそうである。

            (完)

                                         2011年8月28日


                                         板橋大山教会   上垣 勝


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