旅人と放浪者


                            リヨン美術館で
                               ・

                                            巡礼者 (上)
                                            ヘブライ11章8-16節


                              (序)
  今日は、「ヘブライ人への手紙」からご一緒に学ぼうとしています。最初に導入的なことを申しますが、このヘブライ人とは誰を指すのか、今もはっきりしていません。

  ただ、ここに宛てられたヘブライ人たちは、11章後半を見ると、信仰の故にこの世的な出世栄達を拒み、拷問にかけられたり、鞭打たれたり、嘲られたり、時には鋸で引かれ、剣で切り殺され、荒れ野や、岩穴や地の割れ目をさ迷い歩く者も、同時代にはいたと考えられます。

  また12章では、私たちは、おびただしい信仰の証人に囲まれているのであって、「すべての重荷、からみつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められた競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか。信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」と呼びかけられています。彼らも同様の試練の中にいたに違いありません。

                              (1)
  この手紙の主なメッセージの1つは、大祭司キリスト論と言われるものです。イエスは永遠の大祭司である。ユダヤ教の大祭司は年1度、至聖所に入って贖罪の献げ物をしなければならない。彼らは天にあるものの写し、影に過ぎないものに仕えている。だがイエスは、ただ一度、ご自身を献げることによって、最後決定的に罪の永遠の贖いを成し遂げられた。だから、「キリストの血は、私たちの良心を死んだ業から清め、活ける神を礼拝するように」する。このような方が、大祭司キリストであると述べています。ここにキリスト教は良心宗教と呼ばれる根拠の一つが記されています。

  これらのことから、手紙の受け取り手は、迫害によって世界に散らされ、各地で辛酸をなめているディアスポラユダヤキリスト者たちであると想像されます。

  確かにこの手紙には、例えば、「あなた方はまだ、罪と戦って、血を流すまでに抵抗したことがありません」と語って、罪との果敢な戦いを促す言葉と共に、「気力を失い、疲れ果ててしまわないように…忍耐された方をよく考えなさい」とか、「事実、キリストご自身、試練を受けて、苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになる」と語って、励ましています。

  また13節で、4節から書かれて来たアベルやエノク、ノア、アブラハム、サラたちが信仰によって歩んだことを例に出して、11章には「信仰によって」という言葉が18、9回も出て来ます、「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されていたものを手に入れませんでしたが、遥かにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが、地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公けに言い表わした」と語っています。前の訳では、「地上では旅人、寄留者である」となっていました。即ち、ここに宛てられたヘブライ人とは、「地上を旅する神の民」たちと言うことが出来るでしょう。

  「地上を旅する神の民」です。だが、キリスト者とはすべて「地上を旅する神の民」と言っていいでしょう。ということは、この書は私たちの身近な問題を扱っている手紙と言えます。

  旅です。放浪ではありません。出発点があり、目的地があるのが旅人です。旅の途中で息を引き取ることがあっても、旅人は放浪者とは違います。遥かに仰ぎ、待ち望み、目指しているものがある。常に真理、神を求め続けるのが神の民です。いや、真理の方がこの旅人を引き寄せているということでしょう。信仰者とはいつの時代もそういう姿をしています。

  地上を旅するとは、言葉を変えて言えば、時代の中、世界の歴史の中を旅するということです。キリスト者と社会は切り離すことはできません。イエスが世に受肉されたように、キリスト者は旅人でありつつこの世に受肉し、世の光として生きる使命を与えられているからです。

  今、原発が問題になっています。暫く前のイギリスの新聞は、これまでの東電や政府の説明に欠けているものをすっぱ抜きました。日本の新聞もはっきり言っていませんが、原子炉のメルトダウンは大きな津波が来て、電源が回復させることが出来ず、冷却できなかったためにメルトダウンを起こしたとしていますが、そうじゃあないというのです。既にマグニチュード9.0の揺れでパイプが破断し、色んな重要な機器に破損が起こった。それで、津波が来なくてもメルトダウンを起こしていたという恐ろしい指摘です。

  自民公明党政府も東電も、これまで批判を受け付けなかった。ガンとして動こうとしなかった。地上を旅する民でなく、原発依存を固定化絶対化して、真理を探して旅するのでなく、そこに頑固に根を張る農耕型の、利権を固守する生き方をして来ました。そこに今回の問題の根があります。もし、「地上を旅する」という視点を持っていたら、柔軟に考えを改めてまた歩み出すことが出来た筈でしょう。

  原発の危険を指摘しているのは、他でもない例えば4号機の設計チームを指揮した田中三彦(みつひこ)さんという方です。むろん他の人たちもです。その頃日立の関連会社で原発の設計責任者であった田中さんは、しかしチェルノブイリ事故が起こって、初めて原発の恐ろしさに気づき、その後警告を発する人に変わった人です。それで干されるわけですが、原発を造った人ですからその脆さを熟知しています。ご家族は私たちも知るある教会の信徒の方のようですが、ご自分の良心に従って今は原発に警鐘を鳴らす活動をしておられます。

          (つづく)

                                         2011年8月28日


                                         板橋大山教会   上垣 勝


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