空鉄砲でなく目標を射る思想家


 むかし修道院であった美術館の庭には人々が三々五々ベンチに腰掛け、昼寝をし、彫刻がすすけてありました。見るとロダンの「アダム」とあり、「影」とも記されていました。西洋美術館のアダムのように逞しくなく、打ちひしがれた人間として木陰に溶け込んで立っていました。                               ・


                                        ティキコとオネシモ (上)
                                        コロサイ4章7-10節


                              (1)
  コロサイ書の最後の結びの部分に入りました。ここには10人程のパウロの同労者、互いに心を通じ合い、信頼し支え合う男たち、そして女性も加わる集団が出て来ます。今日はその最初の部分です。

  「私の様子については、ティキコが全てを話すことでしょう」と語られ、また一緒に行かせるオネシモも共に、「こちらの事情を全て知らせるでしょう」と述べています。


  先ずそのティキコです。彼はアジア州出身の人であったことは、使徒言行録20章で分かりますが、恐らくパウロが今囚われの身になっているエフェソ出身の人であったと思われます。

  彼は、エフェソでパウロと出会い、パウロの直弟子また伝道者になった人です。信仰に入るや、キリストとの約束を固く守り、忠実に主の教会に仕える人になりました。

  それから何年経つか不明ですが、年を経るに従い、人々から益々「忠実な愛される兄弟」と呼ばれる人になりました。彼の真実さ、確実さ。言葉だけの人でなく、率先して仕える人であったからでしょう。彼は「仲間の僕です」と紹介されていることにもそれが窺われます。同労者の間で僕のごとく進んで仕える人であったのでしょう。愛されると共に慕われてもいたに違いありません。

  気さくで、気難しくない、こういう腰の低い人はどこの世界でも愛されるでしょう。

  ここは別の訳では、「主に仕える僕仲間」となっていました。もしそうだと、彼だけでなく、パウロの周りに、多くの「主に仕える僕仲間」がいたと思われます。パウロ自身も僕仲間の一人であった。キリストに仕えようと、皆率先して互いに僕のように仕えていたので「僕仲間」と呼んだのかも知れません。それはヨハネ福音書13章で、イエスが弟子たちの足を洗い、「師である私があなた方の足を洗ったのだから、あなた方も互いに足を洗い合わなければならない」と語り、上に立つ者は僕になりなさいとも語られたことが初代教会の中で実践されていたことを窺わせられます。

  パウロは仲間の中から、ことさらティキコを選び、コロサイ教会に遣わしました。忠実な信頼できる兄弟を遣わすのは、獄中のパウロの様子を偏らず的確に伝えると共に、パウロパウロたちの様子を知ってもらって励ますためでした。

  しばしば繰り返して来ましたように、リュコス渓谷にあるコロサイは、東西交通の要衝地にあり、当時世を風靡しつつあったグノーシスの異教的な宗教哲学的思想によって混乱させられようとしていました。その上、パウロは獄中にあります。キリスト教は今、苦難の時代を迎えようとしているかに見えたのは当然です。皇帝ネロによるキリスト教徒迫害ももうすぐそこに迫っていた時代です。

  だが、パウロは獄中にあっても行き詰まっていないのです。暗い世相の中で弱るのでなく、返ってキリストの平和に与り、その平和が心を、人格を支配し、大胆に行動している。同じ獄中書簡のフィリピ書では、彼は、「私の身に起こったことが、返って福音の前進に役だった」と書き、「私が監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体…び知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの…多くの者が、…私の捕われているのを見て確信を得、恐れることなくますます大胆に、み言葉を語るようになった」と報告し、神をほめたたえている。そういう様子を伝えて、コロサイの信徒たちを力づけるために遣わしたのです。

                              (2)
  一体、パウロはどうしてこの逆境の中で弱らなかったのでしょう。気持がふさぎこんで、鬱的にならなかったのでしょう。

  彼はキリストの十字架と共に復活の希望と終末の勝利を信じていたからです。彼の信仰は十字架と復活に立った終末的信仰です。彼は獄中にありながら、キリストの終末的勝利の信仰に生きていたのです。イエスは、「あなた方はこの世では悩みがある。しかし私は既に世に勝っている」と言われました。終末的勝利とは、最後究極的に必ず勝利するという信仰です。罪の世は必ず滅ぼされ、神が勝利されるという信仰です。

  画家のゴッホは、父も祖父も牧師で、彼も元は貧しい伝道者ですが、やがて画家となって先週申しましたアヴィニヨンという町の近くアルルに住んでいました。彼はそこで耳を切り落とし、精神病院に入りました。そんな彼は、「海に干満の変化はあっても、海が海であるのに変わりはない」と言っています。世がどんなに荒れ狂い、大揺れに揺れても、神がご支配しておられることには変わりがなく、また最後に神が勝利されることに変わりはないのです。

  終末的な勝利の信仰は、失敗しそうになる時も、誤解される時も、前向きに生きる勇気を与えます。復活信仰と終末的信仰をもつことが人間をいかに望み溢れる人にするか、喜びと平和の人にするか。そのことを、パウロの様子を具体的に知らせることでコロサイの人たちに教えるのです。

  別の言い方をすれば、心頭滅却すれば火もまた涼しと言いますが、心頭滅却すれば無私になれるわけではありません。キリストの終末的勝利に目を向けるから、無私になれるのです。パウロが、「侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、罵られては優しい言葉を返しています」と語っているのは、この終末的勝利を生きているからです。

  ティキコはそのことを口頭で語るでしょう。だが同時にこのコロサイ書を携えて行きますから、この書簡でも目にするでしょう。確かに2章には、キリストの終末的勝利の信仰が活き活きと書かれ、3章において、復活の信仰が私たちをいかに望み深くするかを記されています。ティキコを遣わし、彼がこの書簡を携えて行くことが2重にコロサイ教会を力づけるに違いありません。

  パウロは空鉄砲を撃ちません。実弾を込め、それが命中するように撃ちます。それがティキコという人物であり、この書簡でした。深い思想を持ちながら、パウロの現実主義、実際家としての冷静な人物像がここに出ています。

         (つづく)

                                          2011年8月14日


                                         板橋大山教会   上垣 勝


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