お寺に生まれたクリスチャン


                           100回読まれた聖書
                               ・

                                          ヨハネ4章1-15節

                               (序)
  Mさんは1919年(大正8年)2月28日に、A家の四女、末子として、臨済宗の天真寺にお生まれになりました。一旦結婚され一子をもうけられました。やがて戦中に東京電力に就職し、31年間お勤めになりました。その間、T様と再婚され、西片町教会で結婚式を挙げられました。既に10年程前に洗礼を受けておられました。この教会には1975年に転入されました。

  長くご長男ご一家と同居されましたが、4年前にご主人を亡くされ、Mさんは昨年まではお訪ねしてもまだ会話はできましたが、足腰が衰え、耳も遠くなり、認知症のようなものも段々に出始め、昨年ホームに入居されました。やがてゆっくりと弱られ、5月26日の朝、主のみもとに安らかに召されました。亡くなる2日前に若奥様がお訪ねになって手を離して帰ろうとすると、その手をまた求めて来られたので、また長く握りしめておられたそうです。

  若奥様たちのご配慮とお支えがあったればこそ、長寿を全うされ、安らかに召されました。

                              (1)
  今お読み頂いた聖書に出て来たサマリアの女は、イエス様に出会うまでは魂の渇きに気づいていなかったようです。いや、気づいていたでしょう。しかし自分には魂の渇きなどないと言い放ち、魂の渇きなどという、今で言う、かったるいものなどに目を向けようとしなかった女性のようです。そういう気丈な女性でした。その実、5人の男と家庭を持ち、今は6人目の男と同棲している女性でした。

  中々の能弁で且つ強気です。ああ言えばこう言う、こう言えばああ言うで、世ずれている女性です。また自分の正体を中々見せない人間です。

  古代のこの地方では女性は朝、誰より早く起きて一日の水を汲みに行きます。東南アジアやインドでは今もそういう所があって、私はそういう所に幾度かボランティアで行ったことがあります。ところが、この女性は正午頃に水汲みに来ていますから、夜の女だったのでないかとの説もあります。そう言う何かしら匂う所がある女性です。

  しかし、イエスが出会われる中で、サマリアの女に魂の渇きがあることに気づかされます。しかも、その問題こそ彼女のこれまで悩んで来た問題の核心であることを彼女に気づかされたわけです。

  また、その気づきは、彼女の人生の新しい夜明けになっていきます。そういう中でイエスは、彼女に、「この水を飲む者は誰でもまた渇く。しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」とおっしゃったのです。すると彼女は、「主よ、渇くことがないように、その水を下さい」と願ったと言います。そしてその後、この女性が担っている十字架、苦労、重荷、悲しみ、弱さが具体的に明らかにされて行ったことが書かれています。

  Mさんは、サマリアの女のようなすれっからしの女性ではむろんありません。昨夜申し上げましたので詳しく申しませんが、素性正しい、寛永元年から、お殿様の菩提寺がある相当格式高いお寺の家柄の出でいらっしゃいます。

  だが、この女性とは違いますが、何故か、大変苦労する性格と生き方。また、そのような所の水を飲んで生きていて、また渇いてしまう。飲んでも、飲んでも渇いて切りがない。そういう所にいらっしゃったように思います。キリストに出会うまでは、魂の渇きを覚え、渇いて、渇いてしようがない。そういう姿をしておられたように思います。

  だからこそ、65歳から88歳に至るまで100回も聖書全巻を読み通し、読まなければ魂が癒されないことを感じて、命の水を汲もうと、読み続けられたのでしょう。そして実際に聖書は全て渇いている人の渇きを癒す深い泉のようなところがあるからです。

  しかし、普通なら100回も読みません。ですから、Mさんの魂の渇きの激しさ、昨夜申しましたが、もしかすると幼少期のお育ちの中で魂に受けた深い傷がそのようにさせたかも知れないと思われるのです。確かに格式ある躾されたお寺のお姫様の生活の仕方だけをとっても、庶民の生活とでは雲泥の差があります。そのギャップ一つをとっても乗り越えるのは大変だったでしょう。

  しかし、真の原因はどこにあるかはご本人も分からない訳ですが、その傷を癒さないではいられない、悩める魂をもっておられたのは事実です。

  これは誰か人様(さま)が批判できるようなことではありませんが、近くで生活する者にとってはなかなか骨の折れることだったでしょう。ただこれは、この方の担われた十字架です。人はそれぞれに十字架を担っていますが、Mさんの十字架はここにあったと思われます。

  サマリアの女は自分の問題に最初は気づいていません。Mさんはどうだったか分かりませんが、ある時点で、ご自分が担っている欠点、罪、弱さ、あるいは仏教的な言葉で言うなら自分の業(ごう)のようなものに気づいておられたと言っていいでしょう。ですからそれを改めようと努力されもされました。でも、いくら改めようとしても、それが出来ない。その不自由さ、もどかしさ、苦しさを知っておられて、人を傷つけてしまう、その苦しさを打ち明けられたこともありました。

  何かがきっかけで、精神的にバランスを欠くと、誤解したり、人を責める所も無きにしも非ずで、衝突もあられたでしょうし、その一方でご自分も苦しまれました。

  この辺は幼少期の環境の中で育まれたと私は理解していますが、真実はどうなのかは誰も分かりません。「その故は、神知りたもう」であります。ただ神だけが真実を知っておられるだけです。

  自分は口下手なので、十分感謝を言い表せない。言葉がつい強くなってしまう、というようなことを言われることもありました。

          (つづく)

                                       Mさんの葬儀に

                                       2011年5月28日(土)



                                     板橋大山教会   上垣 勝


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