「何もいらね。希望を持って来い」


                             石神井川の桜  
                               ・
 
  
                                            今も、希望はある (上)
                                            ローマ4章18-22節


                              (1)
  千年に一度あるかないかの大地震津波で、死者・行方不明者が3万人を超えています。それに原発の事故が重なり将来の見通しが立たない事態に至ってしまいました。

  政府は復興のために数兆円規模の国債発行を考えているようですが目途が立ちません。阪神大震災の時に神戸を訪ねてその膨大な瓦礫に肝を潰しましたが、今回の瓦礫は阪神大震災を遥かに超える量です。家や家族を失い、職場を失った人たち数10万人を、農業と漁業以外に殆ど産業のない地域でどう支えるのか、復興と言っても絶望が襲いそうになるでしょう。

  放射能は今や2、30km圏内だけでなく、40km圏でも危険になりつつあります。野菜や水道水だけでなく、牛肉からも放射能が検出されました。それ以上に、遂にプルトニウムが検出されたのはショックです。これは自然界にほぼ存在しない人工的な元素です。炉心の核燃料が壊れてそのまま外に漏れ出ている。炉心が決定的にダメージを受けている証拠です。吸い込めば、DNA遺伝子が突然変異を起こして確実にガンになります。

  歌にあるように、海は広いし、大きい。原発保安院の審議官が、だから大丈夫だ、薄められるからと言って安心させていますが、恐らく魚から高い放射能が見つかるのは時間の問題で、非常に深刻な状況です。まだ話題になっていませんが、イギリスではかつて放射能が砂浜に打ち上げられ、それが風で内陸部に飛散して汚染が続きました。今後それも問題になるでしょう。この事故の放射能が、既にイギリス北部のグラスゴーでも検出されています。放射能には国境はありません。今や世界に広がっています。

  この深刻な事態に、まだ希望はあるのか。考えれば考える程、深刻にならざるを得ません。

                              (2)
  三陸海岸の町の漁師さんたちは家も船もすっかり失いました。東京のある牧師にそんな漁師さんと知人がいて、何度も連絡したが返事がなくて、やっと連絡がついたそうで、「救援に行くから」と元気に励まそうとして言ったら、「物はいらない。何もいらね。希望を持って来い」と言われたそうです。

  「物はいらない。希望を持って来い。」これは、三陸や東北で被災した人たちの叫びで、魂の悲鳴だと言っていいでしょう。

  聞くところによれば、漁師さんの弟は、これまで心の病を持って、家族の温かい支えの中で励まされて生きていたそうです。ところが、津波からやっと助かったものの、災害で大打撃を受けた家族に、今後も迷惑を掛けることはできない。そう言って、命を絶ったそうです。これまでも皆に迷惑を掛けて来た。しかし、こんな事態の中、もうこれ以上自分は迷惑を掛けるのは忍びない。それで自らを殺めたのです。

  こういうことが今回の大災害の中で起こっている現実の一つのようで、相当窮地に追い詰められている人たちが、他にもおられることでしょう。「希望を持って来い。」人々の叫びは、深刻な叫びだと思います。

  日本の新聞記者は原発の近くまで行かず、東京にいて記事を書いているようです。ところが外国人記者は放射能のある原発周辺まで深く入って、現地を実際に見ながら記事を書いて、本国の新聞に載せています。ですから日本の新聞より様子がよく分かります。

  それによると、半径20km以内は、地震によるひどい被害のままの家を離れ、既にゴーストタウンと化し、猫や犬がうろつき回っているとのことです。避難命令が出て、誰も家の下敷きになったり津波で溺死したりした家族の遺体を探しに行けません。それらがどこにどうあるのか分からない。犬猫たちは何を食べて生きているか、…想像に難くありません。現地は、犬猫や野生動物による恐ろしい様相を呈しているように思われます。

  福島原発のゲート辺りに行くと、物々しい防毒マスクと防護服で身を包んだ人たちが動き回り、質問しても表情は硬く、固く口を閉ざしたままだそうです。余り離れていない同じ日本の一角で、そんなことが起こっているとは新聞、テレビだけでは想像し難いことです。

  燃料棒が壊れ、その中のドロドロに溶けた大量の核燃料を原子炉から取り出す技術はどこにもございません。取り出しても、それをどこに、どう保管するのか。その技術もございません。燃料棒にきちんと整列して入っていればまだしも、メチャクチャに溶け出たものを保管する場所も、技術などあろう筈がないのです。そばに数分いるだけで致命的なものです。周りが放射能に汚染された原子炉に近づくことは、どうすればいいか、その方法も見つかりません。今後、全て下請けや孫請けにやらせることになるでしょうが、これが使い捨て雑巾と言われる人たちで、原発の事故があるたびにこのような人たちの命と引き換えに原発が運転されてきたのですから、私たちの国は絶望的な姿をしています。既に下請け、孫請けの作業員は線量計なしで働かされていたことが明らかになっています。とてもひどい話です。

  「物はいらない。希望を持って来い。」これは、特に原発の周りで起こっていることです。

  しかし考えると、福島で発電された電力の大半は、東京の私たちが消費して来ました。私たちが一番に享受して来たのです。その事実も私たちの心を重く圧しつけます。教会も新築同然に新しくされて、こんなに煌々と電気が点いています。今は折角ですから一時明るさを楽しみましたが、来週からはちょっと暗めにして礼拝を守りたいと思います。それでいいでしょう?

パンドラの箱が開けられた時、あらゆる種類の悪い害虫たちが世界に飛び出たと言います。怒り、ねたみ、絶望、争い、わいせつ、悪意、蔭口、偽り、高慢、不和。あらゆる種類の虫が飛び出て、人の心に入ったというのです。

  だが最後に、箱の中から「まだ私が残っています」という声がしたというのです。何だろうと見ると、箱の一番底から希望という名の虫が出て来たというのです。

  パンドラの物語からすれば、まだ希望が残っている。まだ希望がある。ところが、その希望もないかのように、「物はいらない。希望を持って来い。」何と重い言葉でしょう。

  それは被災した方々だけでなく、大変な問題を抱える時、私たち全てについて言える言葉でしょう。


                              (3)
  今日の聖書に、アブラハムのことが出て来ました。…

           (つづく)

                                         2011年4月3日



                                     板橋大山教会   上垣 勝


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