チェルノブイリ原発事故25年


    チェルノブイリで生まれた奇形の子ブタ。気持ち悪い姿です。(昨年4月のインディペンデント紙)
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                                   チェルノブイリ原発事故25年 (下)

                                   詩編104編1-35節


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  来月の26日、ほぼ1カ月後の4月26日は、チェルノブイリ原発4号機が爆発して丁度25年になります。4月に入ると新聞、テレビでも報道されるようになるでしょう。

  1986年4月26日にチェルノブイリ原発が爆発して、一瞬にして30人が死亡し、色んな統計がありますが、その後すぐに4千人が死亡しました。しかし、放射能被害で何十万人が今も後遺症で苦しんでいます。被爆した人は350万人とか、それ以上と言われます。

  事故の後、そのままだと放射能が大気中に漏れますので、急遽(きゅうきょ)コンクリート製の棺、棺桶と呼ばれるもので漏れないように蔽いました。

  棺桶を作る作業は恐ろしい作業でした。何百人も投入された作業員は何人も被爆して亡くなりました。それはウクライナベラルーシ、ロシアそしてヨーロッパだけでなく、世界の人々を救う捨て身の作業でした。広島原爆の500倍もの放射能死の灰が外に漏れて、広範囲に大地を汚染しました。

  その後もこの棺桶は修理されました。というのは、放射能というのは特別な破壊力を持ちますから、コンクリートの劣化を著しく早めるからです。修理されましたが、それでも寿命を5年延ばしただけです。

  事故後25年経ちますが、半径30kmに人が住むのを禁じられています。大体、東京都と埼玉県の広さに今も人が住めないのです。何しろ放射能には半減期というのがありますが、今、福島原発で大気に放出されたセシウム135という物質の半減期は30年です。半減期というのはそれが放射能を出して半分になる年数です。ですから、チェルノブイリセシウムはもう5年しなければ半分になりません。

  しかしプルトニウムという物質の半減期は、何と24,000年かかります。気が遠くなる程の期間です。それが広範囲にまた高濃度に土壌を汚染し、汚染したものを草や木が根から摂取します。果物をならせると、果物にも放射能が溜まります。また微生物が放射能を含む栄養物を摂取します。その微生物を小さな生き物が摂取します。そして更に大きい昆虫がそれを食べ、昆虫を鳥たちが餌にし、また魚なども虫を食べたり水草を食べたりということで、動物の体内に放射性物質が蓄積され、濃縮されて溜まります。

  放射能は火で焼いても、どんなに長く煮ても決してなくなりません。人体に溜まった放射能は、火葬してもなくなりません。煙突から煙になって出て、それが環境に散らばるだけです。また体外から放射能を浴びるのと違って、体の中から四六時中放射能を浴びますから、これは恐ろしいです。

  さて、チェルノブイリのこの棺桶の寿命があと僅かになりまして、このままだと再び高濃度の放射能が外に飛び出て世界にまき散らされるので、今なされようとしているのは、この4号機全体を厚い鋼鉄の板ですっぽり覆ってしまう計画です。もし完成すれば世界最大級の建物になります。高さ108m、長さ257m、幅164m。グリーンホールから板橋区役所の建物をすっぽり包む巨大な鋼鉄の箱です。ほぼ30階程の高さです。

  この箱を原発の横で作って、これをちょっとずつずらして、持ちあげてスッポリ被せると言うんです。この箱1つで何千億円します。今、世界各国の政府に拠出を呼び掛けていますが、どこも不景気でまだ集まっていません。

  ただこの箱もたった100年の寿命です。何しろプルトニウムは24,000年の半減期ですから、今後幾つの箱を作らなければならないでしょうか。京大の入試問題よりも格段に難しい、カンニングもできない人類に課された難題です。気が滅入るような課題です。

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  そうした中で、今人類に必要なことは、31節にあるような、「どうか、主の栄光がとこしえに続くように。主がご自分の業を喜び祝われるように」という、地球を通して神の栄光が現れ、神のみ業が喜び祝われるような世界を造ること。この世界を誰もが住みやすい、子々孫々まで美しい地球として残していくことではないでしょうか。

  即ち33節にあるように、「命ある限り、私は主に向かって歌い、長らえる限り、私の神にほめ歌を歌おう」といった生き方が、私自身に求められており、人類全体に求められていると言っていいでしょう。

  今日の詩篇は最後に、「私の魂よ、主をたたえよ。ハレルヤ」と語って結びます。私たちの人生の最後も、自分が讃えられることなど問題ではありません。「私の魂よ、私の存在の最も奥深くある場所よ、主をたたえよ。私の知情意、私のすべて、その中心の座よ、主をたたえよ、ハレルヤ」といった終わり方をしたいと思います。

         (完)

                                     2011年3月13日


                                     板橋大山教会   上垣 勝


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