私の魂よ、主を讃えよ


        チェルノブイリ事故後に障碍を持って生まれた少年(昨年4月のインディペンデント紙)
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                                   チェルノブイリ原発事故25年 (上)

                                   詩編104編1-35節


                              (序)
  先ほどお読み頂いたルカ福音書の方に、「今夜、お前の命は取り上げられる」とありました。生死の分かれ目は、ほんの僅かな差です。少しの場所のずれ、少しの時の差で生死が分かれてしまいます。マグニチュード8.8(9.0と後に修正)という世界最大級の巨大地震を一昨日の午後、経験してそう思わされました。

  皆さん無事でしたでしょうか。あの時、あの瞬間、何をなさっておられたでしょう。「あの時、あの瞬間」という題で文集を作れば、色んな物語が紡がれることでしょう。O先生夫妻はあの日、東村山のMさんを見舞われました。元気になっておられたそうで安心しました。帰宅途中、高田馬場地震に遭われました。電車が止まり、9時間かかって南千住に着いたら夜中の12時だったそうです。

  全滅を報道される陸前高田にも教会があります。大船渡にも石巻にも宮古にも、そして仙台には幾つも教会があります。今後ニュースが入るのが恐ろしく思います。先週、仙台の教会に、会計のUさんが礼状を書いてお出し下さったばかりだったようです。他にも東北の教会や個人から献金を頂戴していますと、Uさんは言っておられます。

  思えば、今度の地震が去年の11月の私たちの教会の工事初期の一番危険な時期に起こらず、僅かにずらして下さったので教会は倒壊しませんでした。もし4か月前の11日ならひとたまりもなかったでしょう。リフォームしなかったら先週倒壊したでしょう。皆さんの建築献金が教会を救ったのです。

  工務店のHさんは、工事中も教会で生活できると言っていましたから、私たちが素直な人間で、あの頃この地震が起こっていれば、冷たくなって棺の中で横たわっていたでしょう。ひねくれいて従わなかった…訳ではありません。

  さて、今日は「チェルノブイリ原発事故25年」という題です。題を作った時は福島でこんなトラブルが起こるとは考えませんでした。皆さんは今はまだ変に思われるかも知れませんが、この地震で最大に心配なのは、福島原発だと私は思っています。炉心冷却システムが止まっているとのことです。もしこのまま回復しないなら、万一の場合、私たちもすぐに関西方面に避難しなければならないかも知れません。それはまた後で申します。

                              (1)
  今、詩編104編を交読致しました。今日はここからみ言葉を聞きますが、大都会の一角でこういう平和な大自然の詩を読むと、不思議な感覚に捕われます。何と素晴らしい詩編でしょう。少し学んだ139編も、「主よ、あなたは私を究め、私を知っておられる」、「あなたは、私の内臓を造り、母の胎内に私を組み立てて下さった」などとあって素晴らしかったですが、104篇の無名の信仰者による、「詠み人知らず」の神の賛美も、139編とは趣は違いますが深く私たちの心を捉えます。

  先ずこの信仰者は、「私の魂よ、主を讃えよ」と歌います。魂とは、私の存在の最も奥深くある場所であると共に、肉体と精神と心を持つ人間の全体を代表する人格、実存そのもの。辞書によれば、知情意が働く人の中心に位置する座です。私のその中心の座よ、「主を讃えよ」、神を讃えよと歌うのです。

  日々の暮らしの中で、私は最近しばしば日本の世情を憂えて、ため息が出ます。地震ですべて吹っ飛んだように見えますが、決して吹っ飛んでいません。政治も社会もどうして日本はこうなったのかと思います。草花でも、手を入れ、心を掛けなければ育ちません。しかし国益という大きな視点がすっかり欠けて、党利党略だけが見えます。政治だけでなく社会の中にも、キリスト教世界でも党利党略的な醜悪な姿が目立ちます。

  私が今お話ししようとしているのは、世の事柄にのみ目を向けていると、本当に心が鬱陶(うっとう)しくなるということです。ことによったら不安にもなり、思い煩いが深くなり、また怒りさえ込み上げて来ます。そうした中で、「私の魂よ、主を讃えよ」ということが真に必要です。私たちの魂の健康のためにも必要です。私たちの眼が神に向き直り、主を讃え始めると一挙に心の葛藤が和らぎます。

  そうなるには、実践しかありません。知識だけじゃあない。実際に魂を神に向けるのです。

  この信仰者はどういう事情の中に置かれていたかよく分かりませんが、彼は、「主よ、私の神よ、あなたは大いなる方。栄光と輝きをまとい、光を衣として身を被っておられる」と歌います。そうです。私たちが人の世の事柄にだけ眼が行っている時には、なぜか細かい所に眼が行き、微細な違いが気になり、一点一画にも目くじらを立てることになりがちです。

  しかし、「神よ、あなたは大いなる方」ですとあります。差異や違いは不要とは言いませんが、しかしもっと大らかな視点があり、もっと大いなる世界の中で私たちは生かされています。その視点を失うと誰しも迷路のような所に入り込み、寛大さを失いがちです。

                              (2)
  さて、この信仰者は、主は「栄と輝きをまとい、光を衣として身を被っておられる。天を幕屋のように張り、天上の宮の梁を水の中に渡され…、雲をご自分のための車とし、風の翼に乗って…、様々な風を伝令とし、燃える火を…」。

  自然現象を捉えて、神のなされるみ業の現れとして比喩的に物語風に歌います。光も天も雲も風も、むろん科学の目で見れば単なる自然現象に過ぎません。だが天地万物を造り、現在も創造のプロセスの中で神はダイナミックに働いておられるという信仰の視点に立てば、このことは決して間違いとは言えません。

  むしろ科学では掴むことのできないこの宇宙と世界の真理、真相を言い表わしています。

  5節以下を跳び跳びに追って行きますと、「主は地をその基の上に据えられた。地は、世々限りなく揺らぐことはない。深淵は衣となって…水は山の上に留まっていたが…、水は山々を上り…、谷を降り…、あなたは境を置き、水に越えることを禁じ…。」

  「主は泉を湧き上がらせて川とし、山々の間を流れさせ…。野の獣はその水を飲み、野ロバの渇きも潤される。水のほとりに空の鳥は住み着き、草木の中から声を上げる。」

  「家畜のためには牧草を茂らせ、地から糧を引き出そうと働く人間のために、様々な草木を生えさせられる。ぶどう酒は人の心を喜ばせ、油は顔を輝かせ、パンは人の心を支える。…レバノン杉は豊かに育ち、そこには鳥は巣をかける。コウノトリの住みかは糸杉の梢。高い山々は野ヤギのため、岩狸は岩場に…。」

  人間は万物の霊長である。言語を話し歴史を持つ動物であるとか、宇宙ステーションを作り、遺伝子組み換えをし、神の領域をも窺おうとしているというような認識ではありません。人も家畜もコウノトリも、野ヤギ、岩狸もみな等しく神に造られた、神の園に生き、生かされているものであるとの爽やかで謙虚な認識です。

  3月に入って、先週の月曜日に雪が降ったことなどすっかり忘れてしまいそうです。上板橋では一時真っ白になりました。

  雪が激しく降る中を散歩に出かけて、何度もお話している広い城北公園を歩きました。人は一人もいません。こんな日に出かけるのは余ほど変わり者です。公園は平地から高台にまで広がっていますが、400m競走ができるグラウンドまで来ますと、背の高い雑木林がグラウンドの周り一面を取り囲んでいます。その端に立ちましたら、雑木林を背景にして無数の雪がグラウンド一面に降っていました。目の前からグラウンドの向こう何百mか先にわたって、何万、何十万という細かい雪が舞い降りてそれは美しい景色で、暫く立ち止まって見とれていました。いっときなのに造化の妙に触れて、心打たれました。

  暫く佇んでからそこを離れ、公園事務所の方に行きますと、長いひさしの所でホームレスの人が寒そうに佇んでいます。傍には古ぼけた旅行の大きなスーツケースと3つのビニール袋があります。声を掛けましたら、ちょっと顔を輝かせて返事したものの、向こうを向いてしまいましたので、それ以上話せずに通り過ぎました。

  最近はあちらにも、こちらにもホームレスの人たちがいて、いつも心が痛みます。教会を訪ねて来た人たちには幾らかの支援をしたり、ある時は施設に入居できるように骨折ったりしたことがありますが、この人たちの前を行く時は、「すみません。すみません」と心で言いながら通り過ぎています。

  美しく雪の降り積もる造化の妙と人の世の世界。神が創造された美しい世界と人間の社会やその仕組み、人間の性(さが)のコントラストです。

          (つづく)


                                     2011年3月13日


                                     板橋大山教会   上垣 勝


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