あなたは悪にどう対しますか


                     今年はある事情で特に春が待ちどおしいのです
                                ・



                                          あなたは悪にどう対しますか (下)
                                          ローマ12章14-21節


                              (5)
  マタイ5章でイエスは、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と語られた後、「あなた方の天の父の子となるためである」とおっしゃり、「父は、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせて下さる」と語っておられます。

  ここでは敵への愛は、神の愛の視点から語られています。神は見返りを求めず、人を差別されない。この神に従うことが敵への愛です。

  ところがパウロは20節で、「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる」と書いて、パウロは、これを敵への愛の結論としています。箴言からの引用です。

  先日ある話を聞きました。暫く前にご主人が急に亡くなり、関西の方ですが信仰者の奥さんは本当に悲しみました。ご主人は信仰を持っていたかどうか知りません。大学の先生でした。娘さんはお母さんを何とか慰めようと色々する中で、お父さんの残した携帯電話をいじっていたそうです。

  で、携帯の履歴が目に留った。読んで行くと、大学教授のご主人は、ある女性と不倫をしていたことが分かったのです。奥さんは悲しむどころか、怒り心頭に発し、落ち込んでしまったそうです。

  「燃える炭火を彼の頭に積みなさい。」葬式どころでなかったでしょう。「全ての人と平和に暮らしなさい」どころでありません。かなり月日がたって、やっと立ち直られ、今は一生懸命に、ただキリストを仰ぐ生活をしておられるようです。これが現実社会です。

  パウロは、「…そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる」と言いました。彼は復讐を勧めているのでしょうか。もしそうなら、これこそ復讐の最たるものになるでしょう。愛することによって、敵が天罰を食らい、神からふさわしい仕返しを受けるように願うというのでしょうか。

  だが、ここは別の意味を持っています。それは21節で、「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」と勧めているからです。

  「善をもって悪に勝て」と言いつつ、仕返しを念じ愛するというのは全く矛盾です。そのような愛は偽りです。イスカリオテのユダが、接吻をもってイエスを裏切ったのがそれです。パウロはそういう仕返しをせよ、と勧めているのでしょうか。9節でパウロは、「愛には偽りがあってはなりません」と書いたばかりです。

  ですから、やはり「善をもって悪に勝て」です。偽りのない善をもって、です。ここの意味は、どう表現していいか分かりませんが、その人に対して行う善がその人を酷(ひど)くうろたえさせる程の善であれということです。こちらがしたことが、相手の中で燃え続けて、やがて相手の目を開き、いつかその人が変えられることを願ってそれをする。ですから「祈れ」と言われるのです。純粋な思いで、「善をもって悪に勝て」ということです。

  パウロはここで、イエスが、「右の頬を打たれれば左の頬をも向けよ」と言われたことを考えていたに違いないでしょう。イエスは、「一里行かせるなら、2里行きなさい」ともおっしゃいました。

  いずれにせよ、今日の個所には「善」を祈り、善を行ないなさいということが何度も出てきます。それは、パウロ自身が「善を行なうように心がけ」、そういう態度や心構えをもって周りの人たちの中で生きていたからではないでしょうか。どうすればイエスに倣(なら)うことができるだろうかと、常に考えていた証拠でもあるでしょう。

        (完)


                                          2011年2月13日


                                      板橋大山教会   上垣 勝


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