デューラーの魅力はどこから


エッ!リフォームのために開けてびっくり。鉄骨の太い梁と鉄骨の太い柱がつながっていませんでした。これじゃあ大地震が来れば一たまりもありません。しかも梁を支える柱は貧弱そのもの。大急ぎで新しい柱を立てて倒壊を防ぎました。さて、鉄骨の梁と柱をどうつなぐか。そこが思案のしどころです。


                                              キリストに結ばれて歩む (下)
                                              2010年11月21日
                            

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  次に8節9節に、「人間の言い伝えに過ぎない哲学、つまり、空しいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形を取って宿っており、あなたがたは、キリストにおいて満たされているのです。キリストは全ての支配や権威の頭です」とありました。

  確かにこの世には、迷信や言い伝え、まただまし事のようなものがあちこちにあります。最近、日常的に人をだますような宣伝文句があふれています。哲学や思想の中にもそういうものがありますが、宗教にもそんなものが多くあります。先祖の祟(たた)りだと脅して高価な壷を買わせたり、多宝塔を買わせたりする詐欺のような宗教もあります。科学と宗教の融合のようなことを説いていつの間にか選挙に出る人間もいます。

  また哲学者や心理学者の中には、人の心の不安をもてあそんで金儲けをする者たちもあります。まさに人間の小ざかしい知恵やだまし事、世を支配している霊に従っているものです。そのような「だまし事によって、とりこにされないように」とコロサイ書は語ります。

  今から2千年ほど前ですが、現在の日本は驚くほど似通っています。

  私たちは時々、「どんな宗教や信仰でも、信じることができるものを持つ人は幸せだ」などと、社交辞令で言ったりしますが、「人をとりこにする空しいだまし事」や「世を支配し人をたぶらかす霊」に従っていても、本来何の救いにもなりません。

  空しいだまし事からは真善美は生まれません。本当の真理というのは、その中から美しい音楽が生まれたり、美術や彫刻が生まれたり、その他の芸術も生まれます。それは科学や人を生かす思想を生み出す力も持っています。キリスト教の歴史を見ると、様々なジャンルで素晴らしいものが生み出されて来たのは確かです。教会建築一つとっても素晴らしいものがあります。

  今、上野の美術館に来ているデューラーの版画もその一つです。丁度宗教改革時代の人ですが、その優れた作品は今日にも光を放って多くの日本人を魅了しています。彼は、「絵画芸術とは教会に奉仕するものであり、それゆえキリストの受難を描くものである。それはまた人間の姿を死後の世にも伝えるものである。…」と語っていますが、彼はキリストの受難に惹きつけられて不朽の名作を残しました。彼はキリストの真実から放たれる光を受けて、その光を版画で世に放とうとした人です。彼は版画によって福音を伝えた伝道師だったと言えるでしょう。

  「キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく見える形を取って宿っており、あなたがたは、キリストにおいて満たされているのです。キリストは全ての支配や権威の頭です」

  彼はキリストの神性に心打たれて、それを表現したのです。デューラーの版画に魅力を感じる人はキリストの受難とその福音に魅せられていると言っても過言ではありません。

  「満ちあふれる神性が余す所なく」とか、「満たされている」とかありますが、「プレローマ」という言葉が使われています。これは神性の充満、満ち満ちて、満ちあふれることを指す言葉です。まるで「ミっちゃん」ですね。

  キリストは神であり、神性を余す所なく宿しておられる。全ての支配、権威、更には死の力をも支配しておられる。だから死はもはや究極の力ではない。それら全ての頭であられる。だからそれは様々な善いもの、美しいものを生み出すことが出来たのです。

  だからキリストに結ばれて歩みなさい。恐れることはない。キリストに根を下ろし、彼に養われて歩め。恐れるなと、今日の聖書は語るのです。

  詩編90篇は、「主よ、あなたは代々(よよ)に私たちの宿るところ。山々が生まれる前から、大地が、人の世が、生み出される前から、代々とこしえに、あなたは神。あなたは人を塵に返し、『人の子よ、帰れ』と仰せになります。千年といえども御目には、昨日が今日へと移る夜の一時(いっとき)に過ぎません」と歌っていますが、神の満ちあふれる神性を宿すイエス・キリストは、私たちの理性や感性や悟性に働きかけられるだけではありません。そのお力は、全世界を統べ治める権能を持っておられ、「全ての支配や権威の頭」であります。

  「キリストは全ての支配や権威の頭。」この方が世界の究極的な頭であられるから、私たちはキリストに仕え、人々に仕える謙虚な業が可能になります。この方が最後究極的にお裁き下さる方だから、誰にも裁かれず、自分をも裁かず、この方にお任せすることが出来るのです。

           (完)


                                       板橋大山教会   上垣 勝

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