心配事で心が騒然となる、そこが大事


               イスタンブール世界遺産の壁に持たれて、ゆったりカップルの水タバコ族。
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                                              隠された宝のありか (下)
                                              コロサイ2章1-5節


                              (3)
  私はこの言葉から、イエスが、5つのパンと2匹の魚で5000人を養われた出来事を思い出します。弟子たちは顔をしかめて、「こんな時間に、こんな人里離れた所で、食事を与えよと言われるのですか」とつぶやきました。だが、イエスは5つのパンと2匹の魚を受取ると、それを感謝し、「天を仰いで賛美の祈りを唱えて」配られました。焼け石に水の筈です。だが、5000人の「全ての人が食べて満腹した」と言うのです。

  「こんな時間、こんな困難な所で!」と私たちはしょっちゅう言っていないでしょうか。「こんな難しい情況なのに…」「こんな障害があるというのに…」「こんな難しい人間関係の中で…」「こんな貧しさの中で…」。この世には「こんな…」が至る所にあります。悲観的な情況認識をしてそれを嘆き、それを訴え、気持ちが暗くなって絶望し、それから逃げようともし、アダムやエヴァのように誰かに責任転嫁しようともします。神に責任をなすりつけたのはアダムでした。

  オバマさんが苦境に立たされています。敵陣営の人々はオバマ政権がやったことには少しも触れないで、大不況の中で出来ないでいることだけに目を留めます。

  先日、Aちゃんが泊まるので、フルーツの入った甘いヨーグルトが好物ですから買っておきました。プレーンヨーグルトでなく、4つつながった、小さいですが少し値が張るものです。その夜、Aちゃんにあげようとしますと、「バッちゃんの所は、いっつもこんな高いものを買うの?Aちゃんの家は、お母さんが、『買えません!』って言うよ」と言いまして、「バッちゃん、あまり買うと、お金なくなりますよ」と諌められました。

  4才の子が他人の財布の中を心配してくれて、「こんな情況で、こんなものを買っていいんですか」とたしなめてくれるわけで、両親の仕込がよくて良妻賢母の素質を持っている。愛らしいです。4才でもう、「こんな情況なのに…」という考えをしています。

  ただ暫くしてある日、平日に牧師館に来るやその日は冷蔵庫を勝手に開けて、「Aちゃんが来るんだから、色々買って置いてよ!」と言われました。


  逸れましたが、イエスは、困難な情況を知りながら僅かな物を祝福されるのです。悲観的な言葉や不満でなく、行き詰まりのような情況の中で与えられている恵みに目を向け、それを祝福し、感謝される。キリストの内には、このような知恵と知識の宝が隠されている。いや、イエスからは、汲めど尽きない知恵と知識が、また活きた命の水がふつふつと湧いています。

  パウロはこうしたキリスト、神の奥義であり、知恵であるキリストを悟るようにと願っているのです。

  今、国際ペンクラブの大会が日本であって、どういう方か知りませんが、新聞にイギリスの作家が紹介されていました。読んだ方もあるでしょう。彼女は難民キャンプで生まれ育ったウクライナ人だそうです。両親はヒットラー強制収容所で苦労をなめて、戦後イギリスに移住したようです。

  向こうは凄いと思います。最近イギリスの労働党の党首選があって新しい党首が決まりました。ポーランド出身のユダヤ人です。そういう人が堂々と党首に選ばれます。こちらでは考えられないことです。

  この作家はウクライナ人で、両親はナチス・ドイツの強制収容所で苦労をなめ、その後、難民生活時代に生まれイギリスに移住した人です。

  だが、両親は殆ど苦労を語らず、強制収容所の困難や悲劇は相当なものだったでしょうが、恐らく死の淵まで行ったでしょうが、祖国の美しい話ばかりを話してくれたんだそうです。お母さんは、「悲しい時こそ、かえって前進的であった」そうで、後ろ向きの事を語らなかった。そういうお母さんの姿を小説に描いたそうです。

  「知恵と知識の宝が、キリストの内に隠されている。」キリストを見上げるとき、途方に暮れる中でも希望が生まれるのです。ブラザー・ロジェさんは、「あなたの中に試練が生まれ、外からは誤解が起る時、決して忘れてはなりません。心配事で苦しめられ心が騒然となるまさにその場所で、新しい創造的な力が生まれつつあるのです。その所で、疑いから信頼へ、魂の渇きから創造へと向かう道が現われるのです」と語っています。

  重い課題を持っていても、必ずその荷は軽くされます。その荷はキリストに預けて、僅かに残るパンと魚を神に祝福していただく。するとそれが思わぬ展開をし始めて、創造的な力さえ現われてプラスに変えられて行くのです。

  パウロは長い伝道旅行において、また異郷の地で投獄されるという経験さえしながら、キリストの内に知恵と知識の宝がすべて隠されているという事を味わっていたに違いありません。

        (完)


                                       板橋大山教会   上垣 勝

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