バベルの塔
イスタンブールで生活できたらどこでも生活できます。友人の家を訪ねた時、目を疑いました。
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実が熟すのを待とう (中)
創世記11章1-9節
(1)
今日はバベルの塔の箇所をお読みいただきました。創世記1章から11章までは実際にあった話というよりも、神話的な語り口で人間とは何かを語ろうとしています。ただ、全くの作り話でなく何かの事実を材料にして語っています。
イラクのバビロンの郊外に今も残る、ジグラットという高い人工的な丘があるそうです。有史以前にシュメール人によって作られたと伝えられてきました。幾千年にわたる世界の不思議の一つです。恐らくこれは、天にまで塔を届かせようと建設したバベルの塔の原型だろうと言われています。ジグラット、高層神殿と言われるものです。
今日の聖書に出てきたシンアルは、チグリス・ユーフラテス川の平原の名前です。移住して来た人たちが町を建設するため、「レンガを作りそれをよく焼こう」と言った。また、「石の代わりにレンガを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた」とありました。新しく登場したレンガは従来のような日干し煉瓦でなく、表面がガラス化した石のように固い焼きレンガです。石は割りにくく、品質も揃いません。しかし石の代わりに焼きレンガを用いれば自由自在に建物を建設できます。
また、しっくいは脆(もろ)く、至ってさくいものですが、代わりにアスファルト、コールタールが用いられるようになります。
即ち飛躍的な技術革新の時代を迎え、バベルの塔の建設が始まったと語っています。これは木造建築から鉄筋コンクリート建築への飛躍的な進歩以上のものだったでしょう。
彼らは技術的に画期的な発明をし新しいテクノロジーを駆使しました。3節の「話し合った」とあるのは、レンガの焼き方を話し合っただけでなく、頭をつき合わせて相談し、町の建設のために連帯し、団結を強化したことを暗示しています。
このような町づくりは一人ではできません。できないだけでなく、命令する者がいります。単なる命令でなく、奴隷などを容赦なく酷使し、低賃金で労働者を使役する支配者がいて可能だったでしょう。
私がエジプトで最も驚いたのは、ピラミッドでもスフィンクスでもありませんでした。そうではなく、古代に既に、やがてスエズ運河が掘られる所に運河を作ろうとしたエジプト王がいたことでした。200kmか300kmの運河をブルドーザーもない古代に作ろうなんて、狂気の沙汰です。そういう狂人達が時々歴史に現われることを思いました。
バベルの塔の建設も先端的な当時の技術を駆使した画期的な構想でした。「さあ、天まで届く塔を建て、有名になろう。散らされることのないようにしよう」と呼びかけたのです。
「さあ」は、独裁者の「集まれ、来い!」という絶対的命令です。長野の松代に戦時中大本営を移すために長い複雑なトンネルが掘られました。天皇をそこに隠れ住んでもらって、最後の一人まで戦おうとしました。そのため、強制連行で大陸から朝鮮人や中国人を集めて来て酷使し、多数の人が犠牲になりました。
スカイツリーではありませんが、シンアルの平原に天まで届く塔が作られれば、朝日に映えて輝く姿は想像してみただけでも壮観です。「有名になろう」と呼びかけていますが、ただそれは支配者が「有名になる」ためです。塔を築くために働く奴隷たちは塔のために命を落とし、消費させられて行ったでしょう。
「天まで届く塔」の「天」は神のみ座を指します。人間が上り詰めて神の域に達し、神のごとく人民を上から支配することを意味します。アダムとエヴァに蛇が、「この実を食べれば神のごとく」なると持ちかけますが、ここではこっちから神のごとくなろうと手を伸ばしたのです。
何という傲慢。何という権力欲、何という名誉欲。ここにも狂気があります。「散らされることのないように」とは、移動の制限であり、権力による中央集権的統制を指します。人の往来を監視する社会を意味します。
(つづく)
2010年9月12日
板橋大山教会 上垣 勝
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