喜びは憐れみを育む


                     アヤ・ソフィア寺院で見つかった聖母子像(3)
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                                              喜びの余り忘れちゃった (下)
                                              使徒言行録12章1-17節



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  今回の教会建築の話しが起る中で、不思議なことが2つ起りました。2人の求道者の方々が建築に弾みをつけてくれました。一人は、テレビのビフォー・アフターに応募下さって方です。採用寸前まで行きましたが、資金難が一番のネックで駄目になりました。

  それからもう一人の方は、だいぶ前に建築献金の申し出がありました。初め、私は信じられませんでした。教会員なら分かりますが、求道者の方です。耳を疑い、そんなことがあるだろうかと足が震えました。まさに先ほどの不信仰な弟子たちと同じです。

  何度かお話を聞く中で、私は教会の窮状を率直にお話しするようになりました。その結果、その方が考えておられた数倍のものを惜しまず献金したいと約束して下さったのです。普通ではありえない、桁が違う大金を献げて下さいました。神がその方を訪れ、働きかけて下さったとしか思えません。

  しかもその方は、教会員でない自分が、こんな事をさせて頂いていいのでしょうか、教会員の皆さんに悪いのでないかと遠慮がちに言ってくださっています。本当にありがたいことです。

  こういう事が大山教会に今、実際に起こってリフォームが現実になりました。今日のペトロの奇跡に近い奇跡が起っているのです。他教会で殆ど聞かないことがこの教会で起っているのです。本当に神のなされる事は私たちの思いを越えています。

  しかもその方だけではありません。他教会の方で、まとまった献金を考えて下さっている方が2人出て来ました。工事中、牧師が仕事できないのはいけないと言って、自分が持つからどこかに引っ越すようにと勧めてくださるのです。実際にどう引っ越すかは未定ですが、そこまで私たちの教会のことを案じ、祈ってくださる方がある。このことに篤く感謝したいと思います。

  こうなると、私は恐ろしくなります。もっと猛烈に働かなければいけないのかと、強迫観念に迫られるのです。でも強迫観念でなく神さまの御手に委ねて、マイペースで大らかに行こうと思います。

  この教会に赴任してから、私自身の中では「ただ神の栄光のために」ということを貫いて来ましたが、その中で今お話した方々が神の軍勢のように教会を外側から取り囲むように現われて来まして、このことは皆さんにぜひ知っておいて頂きたいと思い、大山教会は復活のキリストにじかに触れているのでないかと思ってお話しました。

  次のことは私個人のことですが、バザーとリフォーム工事の諸準備が始まり、暫く前から2階の和室は「祈りの部屋」として使えないので、イコンなどは牧師館の書斎に移しました。この移動はとてもいい経験でした。というのは、書斎に移す中で、やはり牧師には「祈りの部屋が必要」であること、次の仕事の書類や何かで気が散る部屋でなく、もっぱら神とキリストに向かう部屋が牧師に不可欠であると確信するようになりました。牧師は先ず仕事に向かうのでなく、先ず神に向う存在であることを教えられました。いや、これはキリスト者また本来人間すべてに必要なことです。

  宗教改革者のマルチン・ルターが、自分は魂が渇くと聖書を持って急いで祈りの部屋に飛び込むと書いていたのを思い出します。20歳代で読み、40代でも読みましたが、その時はよく分かりませんでした。しかし今、牧師とは何か、キリスト者とは何者かを教えられつつあります。また、私の尊敬する何人かの人たちが、神と交わる祈りの部屋を持っていた意味を今、初めて悟りつつあります。

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  最後に、ペトロは自分の身に起った事柄を兄弟姉妹に話すと、「ヤコブ ― これは殺されたヤコブでなく、イエスの弟ヤコブのことです ― と兄弟たちに伝えなさい」と語って、「そこを出て他の所へ行った」とあります。

  ペテロはどこへ行ったのでしょう。エルサレムは危なくて住めません。彼は直ちに町を出て、各地の伝道の緒についたのです。苦難が返って、主の福音が大使徒ペトロによってユダヤ以外の各地に伝えられるきっかけになったのです。この後、アグリッパの突然の死が起りましたが、ペトロはこの機会を感謝して宣教に努めたでしょう。神は私たちの何事も必ず益に変えてくださるのです。

  アグリッパの死後再びエルサレムに戻れたでしょうが、やがて10数年後、人々はローマでペトロの姿を見ることになります。彼は信仰者として、他の何者も神とせず、ただキリストのみを主と告白し、神を賛美しながら逆さ十字架につけられ処刑されていきます。

  「そこを出て他の所に行った。」この新しい一歩は、ローマでの処刑に至る旅路の一歩となったことは確かです。

  先ほど申しましたように、彼は獄中でイースターの出来事に触れたのです。ある人は言っています。「復活のキリストの喜びは、他の人たちの苦難に対し私たちを無感覚にさせることはなく、反対に更に敏感にさせるでしょう。私たちの内でこの大きな喜びを担っていくと共に、隣人の苦悩や苦難の中に深く入って行くことが出来るようにします。この二つは矛盾しません。喜びは憐れみと対立しません。私は、喜びは憐れみを育むとさえ言いたいと思います。」(O.クレメント)

  復活のキリストの喜びはペトロを苦難へと向わせました。復活の喜びに与る私たちも、苦難の中でも決して落胆や悲しみへと導かれません。反対に、神は苦難の中でも聖霊における歓喜へと、また勇気へと、愛へとお呼びになります。

  ペトロは喜びと勇気と愛をもって、ローマにまで福音を伝える一歩を今、踏み出したのです。

(完)

                                          2010年8月29日

                             板橋大山教会   上垣 勝

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