ペトロのイースター!


                       イスタンブールのアヤ・ソフィア寺院(2)
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                                              喜びの余り忘れちゃった (上)
                                              使徒言行録12章1-17節


                              (1)
  今日の1節に、「その頃、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した」とありました。

  このヘロデ王ヘロデ大王の孫ヘロデ・アグリッパ1世のことです。彼はローマ貴族に混じって育てられ、子ども時代はやがてローマ皇帝となるクラウディウスという少年とも親しく過しました。西暦41年にクラウディウスが皇帝になった時、彼はローマにいました。

  その年、エルサレムの方は年の始めから緊迫した空気に包まれていました。というのは、1月に皇帝カリグラが何者かの手で毒殺されたからですが、その毒殺と関係があったかどうかは分かりませんが、彼はエルサレム神殿に自分の像を建てさせ、それがユダヤ人の猛反発を食らって暴動が勃発しそうになる矢先の事件でした。このためアグリッパは直ちにローマからエルサレムに戻り、人心の掌握に努めました。

  彼が先ずエルサレムで行なったのは、伝統的なユダヤ教の律法トーラーに忠実な保守派グループの支持を得ることでした。

  それで何をしたか。ユダヤ教徒が憎んでいたキリスト教徒を迫害することでした。先ずヤコブを殺し、ペトロも殺すことによって、敬虔なユダヤ人の関心を引きつける事でした。

  今も昔も、政治家というのは地盤確保のためにあらゆる手段を用います。その一つの例です。

  当時のユダヤ教徒キリスト教徒に反感を抱いた理由は、ユダヤ人と異邦人との隔ての壁を薄くし、垣根を低くしたからです。キリスト教が、もはやユダヤ人も異邦人もない、皆一つだと主張するまでになっていたからです。

  そういう中でヤコブは剣で惨殺されました。王自らの手によってか、家来の手によってかは分かりませんが、ユダヤ人の歓心を買うには自ら斬首する方が効果はあったでしょう。

  「ある人々に迫害の手を伸ばし」とありますから、他にも捕えられた人たちがあったかも知れません。

  ヤコブ殺害が「ユダヤ人から喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした」と書かれています。

  強権的な政治家というのは社会の空気を素早く読み、それを断行していくところがあります。イエスを処刑したピラトもそうでした。

  そこでペトロは捕らえられ、4人一組の兵士、4組に引き渡され、地下牢に24時間4交代で監禁されました。アグリッパ王は時期を見計らって、過越祭後の日曜日に、ですからイエスが復活されたイースターの日に民衆の前で殺すつもりでした。

  「教会では、ペトロのために熱心な祈りが神に捧げられていた」と書かれています。

                              (2)
  聖書をたどりますが、ペトロ処刑の前夜、彼は2本の鎖につながれ2人の兵士の間で眠っていました。番兵が戸口で見張っています。これ以上厳重な警戒はないと重々しい厳戒態勢が敷かれていました。

  ところが警戒厳重な地下牢に何者かがやって来て、ペトロのそばに立ち、光が牢内を明るく照らしたのです。聖書は、主の天使であったと記しています。兵士たちの肉眼には、天使の聖なる姿は入らなかったのでしょうか。

  レンブラントが描いた有名な「エマオのキリスト」は、パリのルーブル博物館にあります。クレオパともう一人の弟子は、エマオ村の宿で、中央に座った復活のキリストを、驚きのあまり固唾(かたず)を飲んで見守り、キリストの平和なお顔は光り輝いています。イエスがパンを取り、賛美の祈りをして、それを裂いてお渡しになると、彼らの眼が開かれてイエスだと分かったとルカ福音書に記された、一瞬の場面を描いたものです。

  この絵の前で佇みながら私は不思議に思いました。料理を運んで来た宿のおかみさんです。彼女だけはまったく何の驚きもない顔をしていることです。イエスの姿が目に入ってもいないかのようです。それは、ダマスコ途上のパウロは復活のイエスの強い光に撃たれ声を聞いたが、彼の従者は光もイエスの姿も見なかったのに似ています。

  兵士たちは天使がそばに来ているのに全く気づきません。同じ現象に触れ、同じ場面にいながらその場面の深い意味や真理に触れる人と触れない人があることを、明らかにしているのでしょう。

  天使はペトロの脇腹を突いて、「急いで起き上がりなさい」と言ったとあります。天使も人間の一番こそばい、くすぐったい所を知っているんですね。

  ペトロが起き上がると鎖は手から外れ、次々不思議なことが起って、彼は第1、第2の衛兵所を通り抜け、町に通じる鉄の門に来ると扉がひとりでに開いて、通りに出ると天使が離れ去った。

  この辺りの科学的解明はできませんが、嘘とは思えません。何らかの思いがけないことが起こったに違いありません。

  今、チリでは33人の工夫が地下700mの坑道に閉じ込められて、2日間で缶詰のツナを1スプーンとビスケット1枚で2週間ほど生き延びま、やっと地上と連絡が取れました。絶体絶命の中で、リーダーの厳格な規律と、彼に全員が信頼を置いて従ったからだと言われています。ただ救出にあと4ヶ月かかるというので世界中が注目しています。

  ペトロはだが、絶体絶命の牢の中から思いがけない救出をされたのです。通りに出た彼は我に返って、「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わし、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆる目論見から、私を救い出してくださった」とつぶやいたと記されています。

  彼は今、腹の底からキリストがなされるその本当の真髄に触れたのです。目からうろこが落ちるようにして、本当のことが分かったのです。これまで、イエスに従って来ました。十字架のイエスにも復活のイエスにも出会いました。ペンテコステを経験し、み言葉がユダヤからガリラヤ、そして外国人にも広がるのを経験しました。それでもまだ分からないことが多くあった。

  だが処刑の前夜、突然の不思議な出来事によって救出され、アグリッパ王の手から解放された。しかもこの日は、イエスが墓の中から甦ったイースターの日です。ペトロは牢の中から救われ、自分の身にイースターの出来事が起ったことを経験したのです。処刑を待たなくても独房で死人同様になっていたが、イエスが墓から出て来られたように彼は牢獄から出てきた。これを復活と言わずに何と言えるでしょう。

  この事件は出エジプトの出来事にも連なる事件です。出エジプト記に、「主はあなたたちをエジプト人の手から、ファラオの手から救い出された」とありますが、今日の所には、「今、初めて本当のことが分かった。主が…ヘロデの手から…私を救い出してくださった」とあります。

  ペトロは自分の身に主の復活を経験し、出エジプトを経験した。彼の喜びはどんなに大きかったことでしょう。彼は、神が世界を支配しておられることを、神は闇の中でも見ておられることを、そして神の手は決して短くないことを直感的に本当に知ったのです。

  これはその後のことでも言えます。ペトロがこの後、仲間が集まっている家に行って門の戸を叩くと、取次ぎに出たロデという女中は、ペトロの声を聞いて、「喜びのあまり門を開けもしないで家の奥に駆け込み、ペトロが門の前に立っていると告げ」た。だが、人々は「あなたは気が変になっている」と叱ったとあります。

  ルカ24章を見ると、イエスの復活を聞いた時も、弟子たちは、「たわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった」とあります。復活のことを信じられなかった弟子たちと、ロデの言葉を聞いて、ペテロの復活が信じられなかった人々は酷似しています。

  イエスの復活もこの事件も、人間が起こしたものではありません。神が起こされた事件です。だが、弟子である彼らもすぐには信じることができなかったのです。

         (つづく)

                                          2010年8月29日

                             板橋大山教会   上垣 勝

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