キリストにあって8月15日を思う


                          アヤ・ソフィア教会の入り口
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                                              キリストの体に属する喜び (下)
                                              コロサイ1章24-25節




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  今日は8月15日で、65回目の敗戦記念日を迎えました。今朝は、千鳥が淵の戦没者墓苑であった祈祷会に参加したいと思っていましたが、今朝は体がきつく残念でしたが行けませんでした。

  8月になり皆さんも、広島・長崎の被爆のこと、戦争や平和のことを普段より多くお考えだと思います。

  今年は広島の被爆者追悼式に米英仏の大使が始めて参加しました。だが、アメリカ駐日大使は被爆者に原爆投下を謝ったかどうかという問題が残りました。あの原爆は戦争終結に必要だったという見方と、日本の降伏は時間の問題だったのに原爆を落としたのは行き過ぎだった、アメリカの謝罪を強く要求するという見方があります。

  私たちは敗戦記念、終戦記念日を迎えましたが、韓国人にとっては8月15日は1910年以来35年にわたる日本の支配から解放された歓喜の日、感無量で迎えた喜びの日でした。中国や東南アジアの人たちも同様でした。

  先週教会の方々と元兵士たちの証言とドキュメンタリ映画を見に行きました。満州から香港、そして最後はニューギニアで敗戦を迎えた今92歳になる元衛生兵の話は、戦争の空しさを強く思わされました。食料が尽き、密林に隠れて毎日がただ食糧確保と病気との闘いで、ニューギニアだけで10数万人の日本兵が餓死しました。「英霊」と言ったりしますが、アジアの解放の戦いとかお国のための戦争どころではなかった実情をつぶさに聞きました。あの戦争は本当に無謀な闘いでした。

  この8月を過ごす中で改めて、A級戦犯たちは日本国民に、負けたことをお詫びするのでなく、戦争を起こしたことを心から詫びてから処刑されるべきだったと思いました。むろん昭和天皇も、国民と諸外国に詫びるべきで、戦後40数年も在位したということは大きな間違いでした。昭和天皇が死を迎える前に謝罪して欲しいと署名活動をしましたが、あれは間違っていなかったと思います。天皇は謝罪せずに亡くなったために、あの戦争は間違いではなかったかのような錯覚を与えたと思います。

  来週の8月22日は韓国併合100周年です。韓国に対しては、この併合以来の無謀な植民地支配の謝罪、韓国語を奪い、韓国人の本名を奪って日本名を名乗らせ、土地を奪い、命を奪ったことのお詫びを心からしなければなりません。そうでなければ信頼し合えるアジアの平和構築はできません。

  今日は先ほど皆さんにも戦争責任告白を読んで頂きました。この教会が第3日曜日に戦争責任告白をしているのは、このお詫びと関係していますが、日韓併合100周年の機会に謝罪をしっかり言い表さなければ、当分その機会がなくなります。

  私は金曜日にまた一人で出かけて、今度は韓国人で日本軍の軍属になって働いた人たちが、戦場で足をなくし、腕をなく、中には顔に被弾して全盲になった上、口蓋や鼻の辺りが破れてものすごい形相になっている人などの訴えを撮ったドキュメンタリ映画を見ました。大島渚監督の「忘れられた皇軍」でした。

  戦後何年頃までか、傷痍軍人が白い服を着、兵隊の帽子をかぶり、電車の中や駅前や街角、縁日また神社などで乞食をしていた人たちがいましたが、私は今回初めて、この人たちは韓国人で日本軍に従軍して戦場で肢体をなくした人たちであったことを知りました。重い障碍を持って、仕事がなく、日本でどれほど苦労されたかを知りました。それはもう言語を絶する苦労だったと思います。

  先ほどの顔に被弾して全盲になり、口や鼻がメチャメチャになった人は、何と日本人と結婚していました。その女性は東京大空襲全盲になった人だそうです。それで結婚したんですが、この夫婦を支えているのが何と妹さんでした。戦争の悲惨さの姿がここに象徴的に出ていました。

  また、100年前の日韓併合がミンビ殺害に始まりどのようになされて行ったかをたどり、その後起った3・1独立運動の生き証人を韓国に訪ねるドキュメンタリ映画も見ました。総督府が行なったことの酷さ、朝鮮人がどれほど苦しみまた提岩里教会焼討ち事件など、私たち教会内ではよく知っていることですが、その焼き討ちで何がなされたか、現地に取材した牛山純一監督「あの涙を忘れない!日本が朝鮮を支配した36年」という映画を見て、日本はどんなに謝っても謝り切れないと思いました。一旗上げようと韓国に渡った人物たちが、総督府と組んでどんなに悪辣なことを実際にしていたかが克明にたどられていました。

  韓国で酷いことをし、戦後いち早く逃げ帰った人物の追跡もされて、故郷で静かに眠る墓が映し出され、その人の長男が提岩里教会焼討ち事件その他の被害者の遺族などとテレビ対面する場面もありました。

  申し上げたいことは、人間の弱さであり、愚かさであり、ずるさであり、しかも勲章などをもらっていますが、人はあっけなく死んでいく身であることです。そこには人間の織りなす歴史の深い謎があり、時代の波に弄ばれる姿があります。支配者といえ、無限でも永遠でもないのに、他国を侵略して傲慢なことを仕出かして謝ることなく死んで行きます。

  そんな無責任なあり方でいいのか、です。やはり、戦争を知らない世代の人たちも、あの戦争から私たちは何とか学び伝えなければならない、それが今生きる私たちの使命だと思いました。

  パウロは「キリストの体に属する喜び」に生きました。彼もローマ軍の残忍さ、戦争の愚かさと恐ろしさを知っていたでしょう。この世の現実の姿を熟知していたでしょう。

  だが、彼はそういう現実を知りながら、「キリストの体に属する喜び」に生きたのです。ここには無限の喜びが、永遠の喜びがあります。それは天に連なる喜びであり、決してなくならない喜び、苦労し甲斐のある喜びであることを知ったからです。

  どんな仕事に生きるにしろ、キリストの体に属して人生を生き、真の喜びに与るあり方をしたいと思います。

          (完)

                                        2010年8月15日


                             板橋大山教会   上垣 勝

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