18歳で同棲


                            古都ベルンの再建。



                                              和解に生きる人 (上)
                                              コロサイ1章21-23節


                              (1)
  今日の21節は、「あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました」とありました。コロサイ教会の人たちの以前の「悪い行い」とは、具体的にはどういうものだったのでしょう。

  3章5節以下を見ますと、「地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝に他ならない」とあり、「あなた方も以前、このようなことの中にいた時には、それに従って歩んでいました」と書かれています。性的な不潔さ、その際限のない貪りと欲望。これが「悪い行い」と言われている正体でしょうか。

  キリスト教ローマ帝国に広がる時代。倫理的、道徳的退廃が帝国に蔓延して、目も当てられない状態になっていたと言われます。コロサイの信徒たちも神を知らず、かつての異教徒の頃には、こういうことにふけっていたのかも知れません。

  3章にはその他の「悪い行い」も書かれて、8節に、「今、そのすべてを、即ち、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨て去りなさい」とあります。性的・物的な欲望だけでなく、対立や争い、ケンカや罵り合いなども日常的にあったのでしょう。

  興味深いのは、パウロが、「あなたがたは、悪い行いによって心の中で神に敵対していました」と書いていることです。

  近年、社会に悪い行いがひしめき合っている感があります。国技とはいえ、相撲界は次々色んな問題が出ますし、政界も産業界も脱税とか贈収賄とか、詐欺とか日常茶飯事です。腐敗の温床は根っ子から摘み取り、仕切り直さなければならないでしょう。

  パウロは、これらの悪い行いは表面的にはそう見えなくても、心の中で神に敵対しているから起るのだと言いたいのでしょう。これは倫理や道徳の問題でなく、もっと深い問題。根本的には心が神から離れ、神に背いていると、自ずと的外れな退廃的な生き方になると言うのでしょう。

                              (2)
  さて、22節、23節は今日の聖書の中心です。パウロは、「しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、ご自身の前に聖なる者、傷のない者、咎めるところのない者として下さいました。ただ揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなた方が聞いた福音の希望から離れてはなりません」と語りました。

  なぜ、心の中で神に敵対するのかというと、神の愛を知らないからです。だが、神が私たち一人ひとりをどれほど責任的に、わが事として愛して下さっているかは、キリストの他どこへ行っても分かりません。ヨハネの手紙に、「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、私たちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」と書かれています。「神が私たちを愛して…御子をお遣わしになった。ここに愛があります」十字架に集中的に神の愛が表わされています。その愛を知る時に、神への真実な愛も生まれます。

  青年時代のアウグスチヌスがそうでした。信仰深い母を持っていましたが、母にとってのアウグスチヌスは「涙の子」でした。心配で、心配でならない。一体全体どうなるのか、一言注意すれば2倍、3倍の反発となって返って来たでしょう。ですから、ハラハラして見守るばかりだった。

  少年時代すでに問題児でした。18歳で同棲です。親は結婚を認めなかった。今でも、18歳で同棲されると親はハラハラせざるを得ないでしょうね。ハラハラしない親はもう投げちゃっているんでしょう。

  彼はその後、急に精神的な世界に目覚めます。人生の意味を探り、真理探究の広い世界に入って行きます。だが通俗的キリスト教に反発して、マニ教という異教的な宗教に走って頭角を現しますが、やがてマニ教にも行き詰まりを感じました。黒人の彼はアフリカからイタリアに渡り、ミラノで教授になりますが、偶然にアンブロシウスの説教に触れて、初めて本格的なキリスト教信仰に出会って回心して行きます。

  アウグスチヌスの青年時代の魂の放浪生活は、神の愛がどれほどのものか、神の愛の真実と深さに触れる機会がなかったからです。だが、ひとたび神の真剣な愛に触れるや、たちまちキリストへと全身全霊をもって方向転換しました。

  18歳で同棲しても、それが最後で行き詰まりでなく再起は可能なのです。我が身を振り返っても、青年時代には誰しも失敗があるものです…。

      (つづく)

                                          2010年7月25日

                             板橋大山教会   上垣 勝

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