一粒の砂とも和解する


           古都ベルンは熊・ベアと関係があるとか。そのいわれが描かれた旧市街の装飾画。



                                              万物との和解の福音 (下)
                                              コロサイ1章15-20節


                              (2)
  今日の箇所に「御子」という言葉が、原文では12回出てきます。また「すべて」という言葉も8回出てきます。この箇所は、当時教会で歌われていた御子キリストへの賛歌だったろうと言われています。フィリピ書2章にも別のキリスト賛歌が出てきます。

  この賛歌は、御子はどういうお方かを歌っています。御子キリストは、いかにグノーシス思想と違うかが歌われているのです

  少し難しくなりますが、先ず、御子は万物が造られる前から、神によって生まれた方であり、万物は御子によって、御子のために造られたと、大胆に歌います。万物は御子のために造られたとは、万物は御子の栄光が表わされるために造られたという意味です。万物も物質も現世も悪ではありません。万物は、み子をほめたたえるという光栄ある地位を占めています。

  また、自然や万物は御子と無関係にあるように見えますが、本来、御子の被造物であり、その支配下にある。だから彼ら被造物もキリストに導かれ、キリストという目標に向って進んでいるというのです。

  また、御子は万物よりも先におられ、御子は見えない神の姿であって、万物は御子によって支えられていると歌います。キリストの先在性という大切な視点です。キリストの先在性とキリストによる万物の保持が歌われるのは、キリストによって造られたものは、キリストによってその存在が意義付けされるからです。

  ローマ書に、「被造物は虚無に服している」が、「同時に希望も持っている」とあります。また、「被造物も、いつか滅びへの従属から解放されて、神の子どもたちの栄光に輝く自由にあずかれる」のを待っているとあります。人間のみならず、動植物も、山や川や海や無機物たち、また元素も、キリストによってその存在の意義が明らかにされる。それを待望しているというのです。

  18節以下では、御子は教会の頭であると語ります。また御子が死者の中から最初に復活し、神の力によって死人の中から最初に生かされ、死という究極の力に勝利して、第一の者になられたと歌っています。

  そして最後に、父なる神は、御心のままに、満ちあふれるものを、余すことなく御子の内に宿らせ、キリストの内に、神の主権と権威、支配と王座とを授け、十字架の血潮によって地上に平和を打ち立て、天地万物を、ただ御子によってご自分と和解させられましたと述べています。キリストの内に満ち溢れるものを宿らせとは、神の神性のことです。神は御心によって、キリストの内に神の神性をことごとく宿らせられたということです。

  人間を上から支配する、宇宙的な霊、天使的な存在というのはありません。週刊誌には占いのコーナーなんてあります。いわゆる「霊」が信じられたり、宿命という形や、運命の星という形で宇宙的な諸霊が言われたりします。だがそれは皆人間が考えた発想です。キリスト以外に、権威と主権をもって人間を治めているものはないと考えるのです。

  キリストは教会の頭であり、同時に世界の頭であられ、第一の方です。十字架で血を流すことによって平和を樹立し、神は、この御子によって万物とご自分とを和解させられたのです。

  万物、神の被造物は救いに至らなければなりません。救済が創造されたものの目的です。その時、万物に平和が訪れます。神がキリストによって万物と和解される、その時、天地創造の永遠の目的が達せられるのです。

  グノーシス哲学に直面した当時の教会は、このように御子の永遠性を語り、その実在性、その救済の意義を説いて人々を励ましたのです。

                              (3)
  私は青年時代に製鉄会社を辞めて牧師の道に進みましたが、その理由の1つは、大企業の素晴らしい技術力、生産力、巨大な組織力にも拘らず、人間の精神や魂がこれらの巨大な力とどう関係するのか疑ったからです。精神や魂が薄っぺらでも、素晴らしい目を見張るものを作り出せることの「空しさ」でした。

  マックス・ウエーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という書物は、「精神のない専門人、心情のない享楽人、この無のものは、かつて達せられたことのない人間性の段階まで既に登りつめたと自認するのだ」と書いています。日本を代表する大企業、それは日本自身でもありますが、精神や魂をなくしながらも、専門人としては名声を得ていました。大企業の重役たちは高給を取っていますが、心は享楽的です。しかも人間性の高い段階まで登りつめたかのように高慢で、自惚れているように感じたのです。

  たとえ機能的に高度に発達したテクノロジー、技術社会に生きていようと、そこに内面の命がなくなっていたら、後は腐るだけです。丁度高度経済成長が始まるころでしたが、繁栄の中に「無のもの」が忍び寄っているのを感じたのです。

  今日の聖書が、御子が見えない神の姿そのものであり、神と一体であり、万物の源をなす方であるかを語るのは、この永遠な方につながり、愛されてこそ、私たちは試練を受けても乗り越えて行けるからです。

  私たちは生まれて生き、やがて死んで行きます。誰しも皆、死によってこの生がストップします。つかこうへいさんは遺言で、信じる宗教もなく戒名も墓も作ろうと思わない。対馬海峡に散骨でもしてくれと書いていたと報道されていました。

  だが、死によって私たちの生は止っても、神に愛されていることは永遠の事柄です。エレミヤは、「遠くから、主は私たちに現われ、『私は、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなく慈しみを注ぐ』」という神の言葉を伝えました。

  ここを引用したある人が、神の「愛は父や母が私たちを愛してくれる以前から存在し、友人たちに死を看取られた後も、ずっと続くものです。それこそが神の愛であり、絶えることのない永遠のものです」(ナウエン)と書いていました。

  パウロはこの永遠なお方を、益々深く知り、深くこの方に根ざすように諭すのです。

                              (4)
  私たちは時の中を旅しています。カッチ、カッチ、カッチ、カッチと、一秒毎に秒針は時を刻んでいます。世の終末の日まで、永劫にこの時が刻まれていくのでしょう。

  しかし見方によっては、時は生まれた瞬間消滅して行きます。生まれては消滅し、生まれては消滅します。実に空しくものです。ですからギリシャ人は、時間をクロノスという言葉で表わしました。ギリシャ神話のクロノスは、自分が産んだ子どもを次々に食っていく神です。産んでは食い、産んでは食う。時間というのは、そういう考えると、化け物のような姿をしているのかも知れません。

  だがギリシャ人は、時を表わすカイロスという言葉も知っていました。それは決定的な、実り豊かな、永遠な神につながる時です。聖書にこのカイロスという言葉が出てきます。

  私たちは、時々刻々生まれては食われていく時間の中だけで暮らすでしょうか。それとも、一刻一刻が永遠なるお方につながる豊かな「時」に生きるのかです。

  パウロは、私たちは時々刻々御子キリスト、初めから実在し、世々に渡って実在され、やがて来るべき方、永遠なる方に根ざして生きている。このお方をますます深く知るように、神の御心を知るように。あらゆる点において主に喜ばれるようになるようにと勧めるのです。

  この御子によって、神は、人類だけでなく万物をご自分と和解させられました。私たちは、人々との和解の使命を持っています。だがそれだけでなく、世界に存在するあらゆる生物や物質、水や空気、石ころや土とも和解し、それらを大事にし、仲良く共に生きていくことを神から勧められているのではないでしょうか。それがこの世界に生を享けた「神の似姿」に造られた人間の光栄ある使命ではないでしょうか。

  このことは今は一見、奇異に聞こえるかも知れません。世界との和解。

  ドストエフスキーの言葉を味わいましょう。「主よ、あなたの御手のわざであるすべてを、大地を、また、大地のうちの砂の一粒一粒まで、私たちが愛することができますように。すべての木の葉、草の葉の一枚一枚を、あなたの創造なさった太陽の一条の光をも、私たちが愛することができますように。私たちがすべての獣を愛することができますように…。私たちが動物を苦しめたり、彼らから喜びを奪うことがありませんように。…」

  まだメキシコ湾の海底油田からの原油漏れが止まりません。汚染される海。魚介類や海辺の小さな生き物たちや海鳥たち。今、人工衛星の打ち上げ競争を世界がしています。新聞は今は、その問題点を故意にか報じようとしません。衛星打ち上げ技術は日本の稼ぎ頭になるかも知れないからでしょう。新聞人たちも大したエコノミック・アニマルです。しかしやがて宇宙のゴミ問題、汚染問題が警告される時代が来るでしょう。

  世界との和解。大地の砂の一粒一粒とも和解する。今日の聖書が述べるテーマは、今後人類の重大な緊急テーマになる気がします。

         (完)

                                           2010年7月18日

                             板橋大山教会   上垣 勝

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