色即是空とグノーシス


                古都ベルンの歴史を語る装飾画。アーケードは有名で全長6kmとか。



                                              万物との和解の福音 (上)
                                              コロサイ1章15-20節


                              (序)
  コロサイ教会は、トルコの内陸部を流れるリュコス渓谷沿いの町に生まれた小さな教会です。町は小さい町でしたが、ギリシャとアジアが出合う交通の要衝にあたっていたので、東西思想と文化交流の重要な町でした。

  パウロはこの小さな町に生まれた小さな教会に手紙を送って励ましたのです。それは東西の思想が次々と流入して教会が翻弄されそうになってしまったからです。

  その思想とは、当時ギリシャからインド付近まで広範に流行していたグノーシス思想という哲学でした。今日の所に、このグノーシス思想との対決が色濃く現われています。

  グノーシスとは、簡単に言えば、肉体や物体を悪と考え、霊を善と考える思想です。これがキリスト教に影響を与えて、一つの哲学思想に変えようとしていました。もしそうなれば、イエスの地上の出来事は歪められ、十字架の出来事は捨てられたでしょう。

  彼らは、イエスは肉体を持たなかったと考え、イエスは地上を歩いても足跡を残すことはなかったとさえ説きました。イエスが肉体を持つように見えたのは、幻影に過ぎないと主張したのです。彼らにとっては、イエスの受難も十字架の死も無意味です。イエスが十字架で血を流しても、それが地上に平和を打ち立てたり、神と人との和解を作り出す決定的なことではないと説いたのです。

  彼らは世界を悪と考えていました。現世を否定したのです。天地万物を創造したのは善の神でなく、悪の神であるとも説きました。グノーシスが仏教に影響を与えたことは良く知られています。その影響の中で、仏教の色即是空の現世否定の考えが成立したと思われます。あるいは、この点については仏教がグノーシスに影響を与えたかも知れません。

  いずれにせよ、グノーシスは現世に否定的ですから、世界は神の素晴らしい世界であるとは考えません。神は世界を造り「よしとされた」などと考えなかったのです。

                              (1)
  さて、今日の直前の9節以下でパウロは、コロサイの人たちが、「神の御心を十分悟り、全ての点で主に喜ばれるように」と呼びかけました。また、「神をますます深く知るように」と繰り返して語っています。

  最近、立て続けに、何人かの見知らぬ方から色んな相談を受けています。それぞれ担っておられる問題は違いますが、よく聞いてみると、根本の所に生きる拠り所を持っておられないところから来ていると思いました。生きる根拠、人生の支えを持っておられないようで、ご自分でもそう言っておられる方もありました。

  パウロは、時代や国は違っても、人が生きるにおいて一番大切なものは何かをよく見抜いていました。人の足場はとても浅いもので、何かがあるとすぐに崩れます。仕事も、家庭も、健康も、蓄えも、何かことがあるとすぐに尽きたり、容易に駄目になったりします。だが神に根拠を置き、神をますます深く知っていく生活は私たちの存在の足場、基盤を強固にします。

  ある婦人をお訪ねした時、その方の父親の苦しみと不幸な人生、そして報いなく不幸の中で亡くなった事を聞きました。またその方自身の重荷も訴えられました。「神に祈っても、神は父の病気を治してくれなかった。神はえこひいきされるのか」と問われました。私も何と慰めて言いか、すぐには言葉が出てきませんでした。

  その時、以前に礼拝でお話ししました、讃美歌533番「どんな時でも」の作者。これを作った7才の女の子の話しをしました。骨にできた悪性のできもの。骨肉腫のために、耐えられない痛みの中で亡くなった、教会学校に来ていた小学1年生の女の子のことです。その子が、この詩を作って死んでいったことをお話しました。

  そして、その方の前でこの歌を歌いました。「どんな時でも、どんな時でも、苦しみに負けず、くじけてはならない。イエスさまの、イエスさまの、愛を信じて。どんな時でも、どんな時でも、幸せを望み、くじけてはならない。イエスさまの、イエスさまの、愛があるから。」するとその婦人は泣き出されました。

  7才の女の子が、イエス様に生きる根拠を置き、神に根ざして、ますますイエス様の愛を信じ、苦しみにくじけてはならないと自分を励ましている事実の前で、大人の自分の考えの浅さ、生き方の甘さを思われたのでしょうか。

  パウロは11節で、「どんなことも根気強く耐え忍ぶように」と言っていますが、この女の子は、病苦の中で「神をますます深く知」り、根気強く祈り、苦しみに耐えたに違いありません。

        (つづく)

                                           2010年7月18日

                             板橋大山教会   上垣 勝

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