アレオパゴスのパウロ


                        なかなかの演奏で聞き惚れました

  
  
  
                                              それは全く無駄だったのか (上)

                                              使徒言行録17章16-34節


                              (1)
  パウロが古代の哲学の都アテネで行なった演説は大変有名です。今もアテネに行くと、アレオパゴスの丘の麓に、パウロの今日の演説がギリシャ語で記念板に掘られているそうです。ヘレニズムとヘブライズムと言いますが、ヨーロッパの精神的母体であるギリシャキリスト教の2大文化の画期的な出会いが今日の所に出てくるわけで、これは感動的な場面です。アテネエルサレムギリシャ哲学とキリスト教。この出会いなしに2千年の世界の現在の歴史は決してなかった筈です。

  聖書の神を堂々と宣べ伝えることが哲学の発祥地でなされたのですから、どんなに強調してもし過ぎることはありませんが、それ以上に際立つことは、パウロの説明の仕方、話のスタイルです。偶像礼拝を批判することにおいて、パウロは少しも遠慮しませんでした。ただ彼は、相手の姿をしっかり受け止めながら話しています。

  「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、私は認めます。」このほめ言葉は、アテネ人への賛辞だけでなく皮肉が込められていると見る人もあるでしょう。しかし、明らかに彼は先ず相手を受け入れ、相手の立場を認めています。

  パウロの話しは堂々としたものでした。私たちは職場でも家庭でも、新しい、根本的に画期的なことを述べようとする時には、声が引きつると共にどうしても対決的な調子が出ますが、彼はそれを少しも緩めず、しかも相手と対話するために相手に合わせるまれな能力を持っていたようです。

  彼はアテネに着くと、町の人たちの生活を詳しく見ました。すると、「町の至る所に偶像があるのを見て憤慨した」とあります。彼の気性を窺わせます。憤慨までしなくてもいいのにと、私たちは思いますが、そこが文化の違いです。ギリシャ神話の神々の像に花や供物が供えられ、灯明が灯され、拝まれているのを見て、彼らの人間崇拝に辟易し、神への冒涜だと思ったのでしょう。

  それでユダヤ教の会堂や広場で色々な人と論じ合い、エピクロス派やストア派の哲学者たちとも論じ合ったようです。広場というのは、日本の伝統的な文化には全くないものですが、アゴラと言われて、古代ギリシャの町の中核をなす広場です。そこで生活や文化、政治の議論がなされたようで、こういう中で市民が町や国を変えていく市民文化が育ったのでしょう。

  それで、アレオパゴスの評議所でも語るように求められたパウロは、アテネの大勢の人たちの前で語りました。それが今日の聖書箇所です。

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  彼は偶像を見て憤慨したとありましたが、実際の議論では感情的ではありません。そこに彼の人間としての成熟、器の大きさがあると言っていいでしょう。私たちは、いや私自身、ここから学ぶことが多くあります。
  
  彼は、道を歩いてアテネの人が拝んでいる色んなものを見ていると、中に、「『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけ」ましたと語って、そのことをお話しましょうと語って、天地創造の神を初め、神と人間の関係、偶像でなくまことの神を礼拝するべきだということを順々に説きましたが、いずれにしろ、アテネ人たちの実生活と関係した身近な事実から始めました。

  「聞くに早く、語るに遅く、怒るに遅くありなさい」と、ヤコブ書にあります。またイエスは、「聞く耳のある者は聴きなさい」と言われました。

  私たちはしばしば言いたいことだけ言って、他の人の言葉を真面目に聞こうとしないことがありがしないでしょうか。職場で、家庭で、あちこちのグループでそんな人が時々あり、いや、私たち自身カッカして言いたいことだけを言っていて、そんな姿をしている自分が嫌になることがあります。

  だがパウロは語る力と共に聞く力、相手に耳を傾ける力を持っていました。コップの水は空にしなければ新しい水を注ぐことはできません。相手が言いたいことをすっかり聴けば、こちらの言い分も聞いてもらえる可能性が出て来ます。相手の心が空になった後で水を注がなければ、入りません。

  パウロアテネの町を観察しただけでなく、アテネの人たちの胸の中に飛び込むために、28節では有名なギリシャの詩人の一節も引用していますし、聖書の言葉をギリシャの哲学的な考えに言い換えて語っています。

  パウロは、聞き手がどんな状況や生活の中で生きているのかを考えて語るのです。これは今日、異文化とどう対話するか、キリスト教が別の社会にどう入り土着化するかの問題であり、この面でも示唆深いものです。

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  これはまた日本文化の中にキリスト教がどう根づいていくのか。社会に埋没せず、同時に社会から遊離せず、社会とどう関係し、どう切り結んでいくのかの問題でしょうし、広く一般的には異質な人とどう関係を結ぶかの問題です。

  明治以来、キリスト教は学校教育に力を注ぎ、幼児教育から家庭教育、女性の教育、そして大学教育に力を入れたのでキリスト教主義学校が多く生まれました。社会福祉や医療でも貢献し、音楽や絵画や文学でもキリスト者の働きがありました。日本社会そして日本人の心の奥深くに、その精神構造に影響を与えるまで深く入って行くにはまだまだ時間がかかり、課題も多くあります。これは永遠の課題かも知れません。

  パウロがここでしていることは、大胆な試みのひとつです。信仰はこのような大胆な試みをします。失敗は成功の元と言います。イエスは、私は昨日も今日もまた明日も進んで行くと言われましたが、私たちも失敗を恐れず、前進して行かれるイエスの後から進んで行きたいと思います。むろん適応というのは、真理を切り捨てることによってなされるのではありません。命をなくし形骸化した適応は意味がありません。

  「自分を愛するように、自分の隣り人を愛しなさい」とイエスは言われました。この生き様を社会の中で表わすには様々な困難があります。だが、塩が塩味をなくせば、ただ捨てられて踏まれることになるでしょう。そのためには塩味をなくさないように、その塩味が繰り返し新たにされて行き、充電されていかなければなりません。

  パウロアテネの人に、聖書のメッセージの中心を薄めず語りました。彼は聖書の簡潔な、だが適切な要約を行ない、人間初めあらゆる万物を統べ治め、人間に命と息と全てのものを授けられる神の愛のご支配、また罪の赦しを説こうとしました。

  パウロが来るまでアテネにはキリスト者は皆無でした。だがパウロによって数名の信仰者が誕生しました。ただ、そうした社会で信仰を言い表すのは勇気が要ります。時には疎外されたり、仲間から外されたりするかも知れません。だがキリスト教の歴史を振り返るとき、そのような中で男も女も、「時が良くても悪くても、み言葉を宣べ伝えなさい」ということを胸に刻んで生きました。

  話しは変わりますが、妻は今、水泳に凝っているようです。プールに通ううちに名前は知らないが顔見知りが出来てきたそうで、会うと、ニコッと会釈してくれたり、プールから上がると、もう上がるんですかと親しみを込めて声を掛けてくる若いきれいな女性がいるんだそうです。

  女性たちの世界は判りませんが、中には剣のある言葉を吐いたり、態度の悪い人もいるんだそうですが、この女性はなぜか好感を抱いてくれているように感じていたそうです。

  そしたら、先日ベンチに一緒に座ったら、話しが弾んで、その人はハッピーロード近くの何とかいう喫茶店にケーキを卸しているという話になったので、興味をもって聞いたんだそうです。そると、その店はカトリックの神父さんが始めた喫茶店で、彼女は何曜日かは手伝っているというのです。それで、一度行って見たいと言ったら、身を乗り出して、「ぜひお出でください」と言って、「これまで教会にもお誘いしたいと思っていたんですが、いらっしゃいませんか」とカトリック教会に誘われたそうです。まさか牧師夫人とは思っていなかったんです。

  妻は、伝道なんて考えて行っていません。ただ金鎚を治したい。泳げるようになりたい。それだけです。心構えが違います。この若いきれいな女性はプールでも伝道の機会を考える信仰深い方です。パウロのように勇気がある。見上げたものです。こういう時、「彼女の面でも拝んで来い」と言うべきなんでしょうが、そこはじっとこらえています。でも反対に、彼女をこの教会の何かの会に誘ったらどうだろうという話をして…。こっちも只者ではない…。

  それにしても、こっちも、あっちもびっくりしたわけです。もしかするとこの方を通して、イエス様が私たちの教会に、「時が良くても悪くても、み言葉を宣べ伝えなさい」と声を掛けて下さったのかも知れません。それは十分ありうることです。

  いずれにしろ、もし私たちの信仰について尋ねられた時、短くても、相手の心に残る話をしたいものだと思います。信仰の魅力というかイエスの魅力を証しできればどんなにいいでしょう。遠慮していれば言い出せませんが、「あなた方が語るべき時には、聖霊が語る言葉を授けられる」とありますから、信仰の素晴らしさ、惹きつけられるものを神に信頼して語ることが出来ればと思います。

          (つづく)

                                           2010年7月4日


                              板橋大山教会   上垣 勝

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