私の糧は涙ばかり


             アインシュタインの鋭い言葉で胸がスッとしますね。誰かの顔も浮かびません?


  
                                              心の渇きを紛らわさないで (上)
                                              詩編42編2-12節


                              (序)
  今日の42編に「私の魂は渇く」とあります。この詩編は私の青年時代の特に好きな詩編でした。その頃、私の魂はカラカラに渇いていたからでしょう。その渦中にあっては、自分は何に渇いているかも定かでありませんでしたが、無性に魂の渇きを覚えて、仏教に行ったり、詩を投稿したり、小説を読みふけったり、知らない町をさ迷ったり。都内もフラフラ、この場合は酔っ払ってさ迷いもしましたし、鎌倉や鶴見のお墓もさ迷いました。迷うて出たわけでありませんが、生きることに迷うている姿だったと思います。

  渇きは、内なる促しとなって私たちを引き回しますから、色々と引き回されました。精神的な放浪の時代であったと思います。しかし、今から思うと、その渇きが私を前進させ、最後的には、3節の「神に、命の神に、私の魂は渇く」とあるように、神へと向わせたと思います。危険な所にいたこともありますが、今は、本当に良かったと思っています。

  神の手が私を掴んでいたから、この歩みが出来たわけで、もし神が掴んでくださらなければ今頃はどんな生活をしているか分かりません。今も放浪の生活をしてるかも知れません。

                              (1)
  この詩編の著者は、「私の魂はあなたを渇き求める」と語り、神を「命の神」と呼んで、「命の神に、私の魂は渇く」と語っています。

  むろん人間ですから、経済的な渇きも、知識への渇きも、精神的な渇望もあったでしょうが、彼の渇きは、「命の神」とあるように、存在の奥深い所から生じている渇きを暗示しています。それは彼の実存を覆い、存在全体を占めて、命を脅かす渇きにもなっていたことを示唆しています。

  このような渇きを抱く者にとっては、神なしに生きることは到底耐え難く、神を失った生活は少しも生きているとは言えないものだったでしょう。彼にとって、地上の生活は、神を見出し、神をほめたたえる時にはじめて心が満ち足り、喜びが生まれる生活であるからです。

  詩編87編に、「私の源は、全てあなたの中にある」とありますが、この信仰者も同じように、自分の源は、原点は全く神の中にあると考えています。その唯一の神を失って生きることは、どんなに物が豊かに溢れ、生活が安定し、美味しいものを頂ける身分であっても、画竜点睛を欠くと言うか、最も大切な一点を欠落する生活になります。

                              (2)
  この信仰者は、イスラエルから遠くバビロニアに捕囚となって連れ去られた人の一人かも知れません。「いつみ前に出て、神のみ顔を仰ぐことが出来るのか」とあります。

  異郷の地にあっても、神を仰いでいたのでしょうが、異郷で神を仰ぐのと、エルサレムで巡礼の群れに混じって神を仰ぐのとでは、彼にとっては質的に違うのでしょう。まして捕囚の身では、人間として扱われませんから、心は決して晴れません。

  ですから、この詩編を特徴づける冒頭の言葉、「涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、私の魂はあなたを求める。神に、命の神に、私の魂は渇く」と叫ぶのです。

  高地の草が枯れ、水もなくなると、鹿は本能的に谷に降ります。だが苦労して谷底に降りても、そこにも水がありません。雨が何日も降らず、全地がカラカラに渇いて、谷はまったく水のない涸れた谷になってしまっているからです。アフリカの旱魃によって、サバンナで倒れている動物の死骸の光景を思い出します。谷に下りて、谷にも水がないことを知れば絶望が襲います。

  しかし、ここにあるのは動物でなく、国外にあって強制労働の過酷な重労働を課され、牛や馬のように棍棒で叩かれ、扱われている人間です。彼は、「昼も夜も、私の糧は涙ばかり」と書いています。

  今の日本では、強制労働でなく別の理由で、「昼も夜も、私の糧は涙ばかり」というような生活を強いられている方々もあるかも知れません。それも大変だと思います。

  「悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる」と、イエスは言われました。「昼も夜も、私の糧は涙ばかり。」そのような深刻な悲しみは、イエス以外、どこに行って慰められるでしょうか。

  この信仰者は、言葉の不自由な外国にあって、背後から棍棒で叩かれながら重労働を課され、その上、「人は絶え間なく言う。『お前の神はどこにいる』と。」傷口に塩をすり込むかのように、無慈悲な言葉や態度を情け容赦なく浴びせかけられるのです。

  不況が世界を覆っています。先日、時々見るケンブリッジの新聞をインターネットで見ていましたら、あそこは森の多い静かな大学町ですが、ポーランドから働きに来ている青年たちがイギリス人のヤクザから、「ポーランドに帰れ」と言って罵られ、怒った彼らが詰め寄りましたが、反対に5、6人のヤクザに殴られ、蹴られて、半死の重傷を負って刑事事件になったことが記事になっていました。外国で生きることは、不況の時代にはどこでも厳しさが加わります。妻はアジアや南アメリカ、欧米人にボランティアで日本語を教えていますが、日本にいる外国人にも今は厳しさが増しているようです。

  この信仰者は、過酷な重労働を課せられる捕囚の身ですから、もっと大変で、その上今言いましたように、「お前の神はどこにいる」と嘲笑的な言葉を浴びせられたのです。

  嘲笑というのは一番カッと来ます。私も会社にいた頃そんな経験がありますが、カッと来ましたね。そんな中で、5節や7節にあるように、昔日の懐かしい思い出を思い出すのです。

                              (3)
  5節の「魂を注ぎ出して思い出す」とは、懐かしさの余り、涙がこぼれそうになって、ありし日の事を追憶することを言うのでしょう。

  若かりし日、エルサレムの巡礼に加わった日々のことです。山の上にある町エルサレムに到着して、喜びの歌を歌い、感謝の祈りを捧げる人々の声の中を、巡礼の群れと共に神の家、エルサレム神殿に詣で、皆と共にひれ伏した事です。当時、少しもうらぶれた所がなく、快活で、晴々した日々が自分にもあったことを、懐かしく、涙にぬれて思い出すのです。

  7節以下も、過ぎ去った日々の思い出です。今も昔も、人間はルーツを探ったり、源流に行くのが好きなようです。ここにあるのは、ヨルダン川をさかのぼり、源流にまで踏み入った若き日の思い出でしょう。ヨルダン川は、雪をいただくヘルモン山の霊峰とミザルの山ふところに源を発します。ほそい水流を集めて谷川となり、やがて砕け散って流れる滝や激流となり、奔流となって山を下り、静かに平野を流れます。その冷たい速い水流が、谷川をさかのぼる彼の背中で、砕け散り越えて行った、その懐かしい思い出です。水の冷たい感触が今も昨日のように思い出されるのでしょう。

  だが、これは単に渓流をさかのぼった時の懐かしい思い出ではありません。パレスチナのカラカラに渇いた大地と違い、水の豊富な、尽きないヨルダン川の源流のように、かつて主は、私に慈しみを豊かに送ってくださったのです。夜には感謝の歌を主に向って歌ったのです。溌剌(はつらつ)とした神への祈りが、自分にあったこと。神も応えて下さったことの思い出です。

  すなわち、エルサレム神殿へ上った時も、ヨルダンの水源、大自然に遊んだ時も、そこには神さまの恵みが溢れ、喜びが尽きなかったのです。

  だが、その時から何年たったか、7節にあるように、今、「私の魂はうなだれて、あなたを思い起こす」のです。今は、頭を上げる力もなく、ただうなだれるしかない。なぜ神に見捨てられ、敵に虐げられ、嘆きつつトボトボと下を向いて歩く身になったのか。

  なぜ、神は私を忘れられたのか。なぜ、なぜ、と何度も繰返しています。6節、10節、12節。そしてこの詩編は次の43篇に続きますから、43篇の2節、5節にもあって、10回にわたって、なぜを繰返しています。

  「私を苦しめる者は、私の骨を砕き」とあります。苦しめる者は、捕囚の逆境の中で痩せ細った私の背骨を棍棒で打ち叩き、牛馬のごとくこき使い、「お前の神はどこにいる」と嘲り、「お前の神に聞いてもらえ」と罵るのです。それが一生続くように思えるのです。


          (つづく)

                                      2010年6月6日


                       板橋大山教会   上垣 勝

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