宣教に関わる人たち (上)


                                   トゥーンの市役所
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                                 宣教に関わる人たち (上)
                               フィリピ4章15-20節
 
                 (1)
先週は10節以降の所から学びました。そこには、フィリピの人たちがパウロになした心遣いのことが述べられていました。今日はその続きです。
 
今日の所には、フィリピの人たちは、パウロの福音宣教のために度々支援を行い、フィリピの町があるマケドニア地方を出発した時も、「もののやり取り」でパウロの働きに協力してくれたこと、当時そういう教会はフィリピ教会の他、一つもなかったと書かれていました。
 
また、パウロがフィリピを去って同じ州内のテサロニケにいた時も、パウロの「窮乏を救おうとして何度も物を送ってくれました」と言います。
 
今日の箇所は、そういう物のやり取りへのお礼を書いていまして、思想的にそう重要なものを含みません。ですから、こういう所はサッと飛ばして読まれることが多いですし、説教として余り取り上げられません。しかし、私は少し変わり者であるためか、内容が薄いと思われるこの所にも、奥に何か大事なことが秘められている気がして今日は真正面から取り上げました。
 
パウロとフィリピの人たちの関係は、むろん物のやり取りのレベルではありません。ですから、この物のやり取りの中に隠れているもっと深い精神的な関係を表しているように思えるのです。
 
話しは変わりますが、私は30代後半に、信濃町教会に3年間いました。その時、20代の女性から結婚問題で相談を受けました。もうすっかり忘れましたが、何か悩ましいことがあったようです。しかし私の勧めに勇気を得てでしょうか、やがて彼女は結婚したようです。というのは、私は約束の3年で他の教会に移りましたから、その後のことは詳しく存じ上げません。
 
その方は信仰的には教会につながりませんでしたが、しかし私がその後、青森に赴任し、そして福井に移って長くそこに留まり、そしてこの大山教会に来ましたが、約30年間、イギリスにいた期間は除いて、私の行く先、行く先すべてに後を追いかけるようにして、盆暮れには教会への献金とお菓子をご主人の名義で送って来られました。現在も続いています。お子さんが小さい時は、お子さんの絵を封書に入れて送って来られました。
 
30年間一度もお会いしたことがなかったのですが、大山にまいりまして、ある日一人の婦人の来訪を受けました。それがこの方でした。都心にお住いで、ご主人は税理士か公認会計士をなさっていて、素敵な50代の婦人になっておられました。
 
私はその方のお話からも、30年間の変わらない誠実なあり方からも、この婦人はとても信頼のおける、間違いのない方だということを思わずにおれませんでした。お金持ちの中には、ケチな方や態度の大きい方がいますが。というと、知人のあの人、この人の顔を思い浮かべたりする方もあるかも知れません。しかしこの方はそんな所が少しもない方でした。結婚に迷いましたが、アドバイスがどの程度利いたか分かりませんが、結婚に踏み切り、それがベストだったようです。
 
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パウロとの物のやり取り。しかしその背後には、信仰の本質的な次元での出会いがあったに違いありません。確かにフィリピに教会が生まれたのは、紫布という高級な布地を扱うリディアという婦人がパウロの話を耳にする中で、極めて深い信仰に入ったからです。1人の信仰者が全体に及ぼす影響は計り知れません。その気風がこの教会に生きて働いていたからかも知れません。彼女はご主人に相談もせず、「私の家に来て、そこを根拠地に伝道して下さい」とパウロに頼み、家に泊めた女性です。相当しっかり者の女性だったのでしょう。
 
これらは使徒言行録16章に出ていますが、獄吏の一家もフィリピで救われました。彼は、パウロを通して敵をも愛する信仰に出会いました。獄吏は、フィリピを襲った大地震で自害せざるを得ない窮地に立たされ、そこでキリスト教と出会います。これまで彼はローマ帝国の偉大さに絶対的な信頼を置いていました。だがキリストを知って、彼のローマ帝国信仰が崩れ、帝国は偉大だが一度失策を起こせば、死によって償えと命を要求する暴力装置であること。だが、キリストにはローマ帝国を遥かに越える偉大なものがあることを、その身で知りました。
 
それで、リディアも獄吏もフィリピ教会の中心にあって、パウロの厳しい困難な伝道に腰を入れて支えることになったのでしょう。
 
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パウロとの物のやり取り。その背後には、今もキリストの救いの次元において、フィリピの人たちが自分たちを切磋琢磨しようとしている有様が容易に想像されます。
 
パウロが17節で、「贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなた方の益となる豊かな実を望んでいるのです」、と書いているのがそれでしょう。
 
「豊かな実」とは何かと言いますと、それは4章1節によれば、「主によってしっかり立つ」こと、信仰の確信を抱いてしっかり立つことです。それが「豊かな実」です。また2章の有名な言葉によれば、当時の宗教的にも倫理的にも乱れた闇夜のような社会の中で、キリストの命の言葉をしっかり持って、「星のように輝く」ことでもあったでしょう。確かにフィリピ教会の人たちは、夜空に輝く星のような所があったようです。更に1章で、フィリピの人たちが、キリストにおいて、「一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦」い、「どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはない」ことでもあったでしょう。豊かな実とはそういう信仰的な確かな生き方です。
 
また、パウロを支援するのは、彼ら自身が、「ひたすら、キリストの福音にふさわしい生活を送」ろうとしているから、だったに違いありません。パウロの信仰にあやかりたい、パウロの信仰を今も今後も見習いたいという信仰的な気持ちです。
 
パウロは今、獄中にいます。ところが、彼が投獄されたことによって、かえって「福音の前進に役立ち」、主にある兄弟たちがますます信仰的確信を得、「恐れることなく、ますます勇敢にみ言葉を語るようになった。」1章にそう書かれていますが、フィリピの人たちはそういうキリスト信仰にあやかりたいがゆえに、こうした支援をしたのでしょう。
 
また、パウロの方も贈り物を受け取って、18節で、あなた方の贈り物は、神に捧げられた「香ばしい香りであり、神も喜んで受けて下さるいけにえです」と述べています。
 
フィリピの人たちは実際的にはパウロを支援しています。だが、その支援は地上的にはパウロに送られていますが、それは神に届けられ、献げられるいけにえや喜ばしい香の香りと同じものであるというのです。
 
愛は、時には相手が気づいている以上に深い所から相手のことを捉えます。そして、相手の魂の中に分け入り、その魂が目指す所を見分けるのです。パウロは今、フィリピの人たちから贈り物を受けて、それをしているのです。ですから、今日の所を浅く読んでは、パウロの信仰またフィリピ人の信仰を浅く理解してしまうでしょう。
 
パウロはフィリピの人たちの心、思い、魂を、天に向けさせ、獄中にありながら彼らの信仰の指導をしているとも言えます。
 
パウロは地中海を中心とした当時の世界伝道、世界宣教に携わっていました。彼の宣教を支援することは、神の宣教、神の伝道を支援することであり、神の伝道の片棒を担ぐことであったわけで、実際、彼らの贈り物は神に献げられたいけにえであり、天に宝を積んでいるのであり、彼らも宣教を支援し、宣教に関わる人たちであるとパウロは見なしていると言っていいでしょう。
 
     (つづく)                          2010年3月21日
 
                                    板橋大山教会   上垣 勝
 
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