父が、まさか洗礼を受けるとは


スイス・トゥーン湖の河口にあるトゥーンの町は手のひらに乗りそうな小さな町。その町の高台に聳えるかわいいトゥーン城を訪ねました。
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                              葬 儀 説 教
  
                                  焦点があっていく人生 (下)
                                  聖書:「私の好きな16の聖句」(省略)より

  
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  さて、I さんは、妻のNさんに遅れること丁度10、1984年に洗礼を受けられました。不思議です。洗礼も奥さんの10年後、亡くなるのも丁度10年後。奥さんがいつも10年先立っておられます。

  その切っかけは、心臓病に倒れた時のことです。大塩清之助先生が病院に一緒に付き添って行かれました。意識が戻ると、「こわいよ!こわいよ!」と叫んで、大塩先生に、「イエス様、助けてください」ってすがり付かれたんです。大塩先生も、急にイエス様にされて大変でしたでしょう。この死の経験が、最大の契機になって大塩先生から神の愛を深く学んで洗礼を受けられました。すると驚くべきことに、あれ程の大酒飲みがピタッとやんだのです。本当ですよ。酒を目にするのも嫌になった。まるで、イエスのみ衣に触れた時、長血の女の血のもとがピタッと止まった事件のような出来事でした。

  先ほどの聖句に、「どんな被造物も、私たちの主イエス・キリストにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」とありました。I さんは、何故か新改訳聖書で選んでいますが、この聖句は少し前から読むと、「死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、キリスト・イエスにおける神の愛から、私たちを引き離すことは出来ない」となっています。長いから前半を省かれたのでしょうが、冒頭から読むと、「死も」キリスト・イエスにおける神の愛から私たちを引き離すことは出来ないとなっているわけです。これを選んだ1年後、まさか最後を迎えると思っても見なかったでしょうが、死も私たちをキリスト・イエスにおける神の愛から引き離すことは出来ないと、思っていたのは確かでしょう。

  死は全ての人を脅かします。絶対的な力をもち、誰もそれから免れえません。死は究極的な力だと思えます。だが、その絶対の力も神の前では絶対のものでも、究極のものでもない。死によって無になるのでもない。死の力は、究極の一歩手前のもの、究極以前のものに過ぎない。いや、キリストの十字架と復活によって、死の力は既に打ち破られている。死も、私たちを神の愛から引き離せない。

  そういうキリストにおける人間存在の深い真相を知っていかれたと想像されます。

  そしてこれは、先ほどの、「今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました」という聖句と関わってきます。死に打ち勝つ復活信仰です。終末的な希望の信仰です。復活にキリスト教の真髄があります。そこへと心を向けておられたということです。

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  ところでこの16の聖句に、「顔が、水に映る顔と同じように、人の心は、その人に映る」というのがありました。これも好きな聖句として選んでおられますが、これはどういう意味でしょう。単に、人の心はその人を映すということでしょうか。或いは、人の立ち居振る舞い、その人柄にその人の心が映っているという意味でしょうか。いずれにしろ、何か含蓄のある言葉も選んでおられますが、それは何よりも、I さん自身が人生の含蓄を深めていたからこそ、こういう言葉をお選びになったのではないでしょうか。

  信仰というのは、一生ものです。長く続けてこそ、真理がゆっくり見えてきます。その中でマイナスがプラスに転じることも多くあります。I さんたちの歩みには、そういうものが幾度か見え隠れします。

  Nさんが、10年ほどご主人の看病を受けて2000年に召されたことさえ益になりました。むろん最初は夫のI さんが欝になるほどでしたが、やがて奥さんの死が転機になって、I さんの信仰が一段と深められて行ったのは、誰しも認めるところです。

  それが、「私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。私が動かされないように、私の右におられるからである」という選ばれた聖句でしょう。主なる神、まことの神を目の前に仰ぐことによって、社会の変化や人間関係の色々な変化によって右往左往させられることがあるのが私たちですが、私たちが動かされないように、主が私の右におられる。主が、私たちの確かな錨(いかり)となり、ブイとなって、小舟のような私たちが時代の中でたとえ激しく弄(もてあそ)ばれても、流されないようにしてくださる。足が滑らないようにしてくださる。この聖句を選ばれたのは、そういう信仰に導かれていたからだと思います。

  息子さんは、「父は、まさか洗礼を受けるとは思わなかった」と、「そういう人ではなかった」とさえ言っておられますが、確かに過去にはそういうところがあったのでしょう。だが、私たちは息子でも娘でも、父や母の姿をすべて知ることはできません。特に、その魂の中に起っている変化を覗き見ることはできません。

  I さんはこうして、晩年には、その魂が向かうべきものへ焦点が一つに絞られて行ったといっていいでしょう。信仰という、唯一の幸いな道へと絞られていったのです。

  それが最初に選ばれた聖句でしょう。「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。」言とはキリストを指します。すると、「はじめにキリストがおられた。キリストは神と共におられた。キリストは神であった。」となるでしょう。

  天地の創造の始めからおられ、神と共に存在し、神でもあられるキリスト。人生の始源であり、歴史の源でもあり、私たちの命を造った根源である方に、照準が合って生きていかれたということです。

  最後に、I さんが息子さんのためにこの様な願いを書いておれます。息子さんもご存知でない祈りですが、ご紹介いたします。

  「自分は小学校しか出ていません。本を読んだり、書くことは苦手ですが、主イエス様がとりなして下さっていることを感謝します。1人息子(T)が強く、そして優しい心を持っていってくれますように。」

  これは、お父さんがTさんに残された最大の遺産です。どうか信仰の良い遺産を引き継いでいってください。この遺産は、金銭のような使えばなくなる遺産ではありません。この遺産を受け取り、それによって生きるなら、いつまでもなくならず、それによって、これから起るかも知れない人生のどんな困難にも確かに立ち行くことが出来るに違いありません。

        (完)
  
                                2010年1月8日

  
                                     板橋大山教会   上垣 勝

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