人類の最後尾に立つ


   3571mのユングフラウ・ヨッホに赤い郵便ポストがありました。懐かしさに思わずハグしました。  
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                                              この年をどう閉じますか (上)
                                              黙示録22章6-13節


                                 (1)
  今年最後の礼拝に、新旧約聖書の最後の章を選びました。聖書は最後を閉じるにあたって、何を語っているのか。それを、この年を閉じるにあたってご一緒にお聞きしましょう。

  ヨハネは、次のような天使の言葉を聞いたというのです。「私を拝むのをやめよ。私もまた神に仕える者である。神を礼拝せよ。」天使礼拝や偉人礼拝でなく、神のみを礼拝しなさいという戒めです。これらは当時の世界のあちこちであったことですが、今の日本にはまだあります。

  それから、「時が迫っている。私はすぐに来る」という言葉が繰り返し語られていました。この「私」とはイエス・キリストです。やがて再び来られるイエスの再臨は近いとの預言です。それに続いて、「私はアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである」という、今日の中心の言葉がありました。

  一言で言えば、神とキリストは人間と世界の起源であり、目標である。私たちがそこから出発し、そこに向かって歩んでいる方である。万物の始まりであり、終わりをなす方であるという意味でしょう。これと似た言葉はローマ書でもパウロが語っています。

  詩編に、「あなたの中に私の源がある」とありますが、聖書の最終章は、更にそれを深めて語るわけです。しかも、キリストはオメガであると言うのです。アルファとオメガは、ギリシャ語アルファベットの最初の文字と最後の文字です。ですから、キリストは世界のしんがりであられる。人類の最も後ろから、重い十字架を背負ってゆっくりゆっくり、全人類の罪を背負って倒れそうになり、だが確実に担って歩んで下さっている方である。誰も、自分は除け者であるとか、見捨てられた者だとか、取り残されている者ではなく、更に遅れて最後尾からキリストが重い荷を背負って歩いて下さっている。だから勇気を出そう。あなたの背後から歩いている者がいるから、心配せず希望をもって歩こう。

  キリストが、「オメガ」しんがりであるとは、そういう喜びの福音、慰めの福音です。キリストは人類の最後尾に立って、静かにこの世界をご覧になっているのです。

  しかもその方は、「アルファ」であると言うのです。最も後から歩いておられる方は、歴史の初めからおられ、最も先頭を行かれる方である。人類の明けの明星、希望の星となって、人類の最先端に立って困難な道を切り拓いて歩いている方である、ということです。

  つづめて言えば、私たちは前後、両側からキリストの愛に囲まれて進んでいる。誰もその恵みの大きな腕から排除される者はいないという事です。

  今日の黙示録はそのように語ります。

                                 (2)
  さて、このクリスマスまでの期間、私はイエスの十字架の出来事を考え続けていました。捕えられたイエスは、色々な場面で侮辱され、辱められ、暴力も振るわれ、なぶり者にされました。誰も公にイエスの側につこうとする者はありませんでした。

  もし私たちが、誰かからあのように罵倒され、殴られ、唾を吐きかけられたら、屈辱に到底耐えることはできないでしょう。どうして赦すことができるでしょうか。決して忘れることはできません。

  だがイエスは、「父よ、彼らをお赦しください」と言って、彼らを父なる神に委ね、執り成していかれました。何という驚くべき愛でしょう。しかも十字架刑の磔になった上に、脇腹を槍で刺し貫かれる中で、「父よ、私の霊をみ手に委ねます」と大声で叫んで、息を引き取っていかれました。その生涯は愛の闘いの連続でしたが、最後をみ手に委ねていかれたのです。
 
           (つづく)

                                 2009年12月27日


                                      板橋大山教会   上垣 勝

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