「落穂拾い」の刺繍


                      ユングフラウ・ヨッホから見えるスイス・アルプス
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                                              クリスマス後の事件 (下)
                                              マタイ2章11-18節
                                              特別養護老人ホーム
  
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  20日のクリスマス礼拝に、Aさんが、ミレーの「落穂ひろい」を刺繍にして持って来られました。これがそうです。余りに素晴らしいので暫らくお借りしました。

  色合いがとってもよくて、色が微妙に変化していくグラデュエーションが見事です。Aさんは左手は利きません。足も悪い方で、こんな風に歩かれます。普通5分のところを15分かかって。目も片方は不自由です。ですから右手だけで、一針一針クロスステッチして刺繍なさる。大変だったと思います。1ヵ月半かかったそうです。片手で糸を結んで、鋏で切る作業などもありますから大変だったと思います。

  一針、一針、この刺繍に命を注ぎ込み、命を縫い込んで行かれたんでしょうね。

  私たちも、一日一日、一刻一刻、人と出会ったり、話したり、色んな事を行なうときに、その事柄に命を注ぎ込み、命を縫い込むようにして生きたいと思います。イエス様が共におられるのですから、勇気をもってそのように生きたいと思います。この特別養護老人ホームで働く職員の方も、皆さんと共に生きることに命を注いでおられます。それがこのホームの財産でしょう。

  「落穂拾い」の人たちというのは、麦が収穫されたあと、畑に残った落穂を拾って生きている人たちです。この人たちは、土地も財産もない極貧の人たちです。家には子どもがお腹をすかして待っているかも知れません。しかし、貧しくても精一杯生きている。ミレーはそういう人たちを描いたと言われています。

  Aさんは、ミレーの「落穂拾い」が大好きだそうです。子ども時代から両親とは生き別れで、天涯孤独、たった一人。大人になっても戸籍さえなかった方です。だから「落穂拾い」の人たちの苦労がよく分かるからかも知れません。

  人生は刺繍と似た所があります。表は整って美しくても、裏を返せば、そら、複雑に糸が絡んでムチャクチャです。何がなんだか分からない。人生の裏側では、人に言えない色んな悩みや苦しみがあり、叫びも、涙も、呻きもあります。皆さん、そうじゃありません?私なんか、いっぱい悪いことをしてきて、刺繍の裏のようにまったくムチャクチャ、まとまりなんてないです。

  でも、そんな人間でも、神様を仰いでいく時、私たちの人生が一枚の絵のように、美しさはなくても、目立たなくても、首尾一貫した一枚の絵のように神様が織って下さるんです。どんなにムチャクチャな失敗の多い人生であっても、キリストの十字架の血によって、私たちの罪や醜さを洗って、それも用いて織って下さるんです。

  罪や醜さだけではありません。イエス様は私たちがなめて来た色々な無念ささえ、ご自分のこととして負って下さって、それらも織り込んで、人生の帳尻を合わせて下さるのです。

  そういう方がお生まれになった日、それがクリスマスなんです。

  喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に心の底から泣いて下さるイエス・キリストは、万事を益として下さらない筈がありません。

           (完)

                                  2009年12月28日


                                      板橋大山教会   上垣 勝

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