クリスマス後の事件


  
  
  
  
                                              クリスマス後の事件 (上)
                                              マタイ2章11-18節
                                              特別養護老人ホーム

                                 (1)
  今年もクリスマスが終りました。

  この特別養護老人ホームでは、楽しいクリスマス会がありました?しませんでしたって?エッ、しましたって?ご馳走がいっぱいだったんですか。よかったですね。

  教会では、もちろんクリスマスをしましたよ。イエス様の誕生にまつわる羊飼いの話や3人の博士たちの美しい話です。そこに、全ての人に希望を与える素晴らしいメッセージがありますからね。

  しかし今日は、クリスマス後の話です。イエス様がお生まれになった後、どんなことが起こったかお話したいと思います。それは、楽しい話や美しい話ではありません。とても悲しい話です。ヘロデという王様がベツレヘム一帯の2才以下の幼児をすべて殺させるという、実際にあった大変恐ろしい幼児虐殺の話です。ええ、2才以下の子ども達をみんな殺したんです。

  私は先々週、お芝居を見ました。ここに中国人の方がいます。上海の近くの出身です。そのお芝居は、今から72年前に起った南京大虐殺のお芝居でした。今月の13日がその72周年にあたりました。日本軍が3日ほどで、20万とも30万とも言われる人たちを虐殺した、とても恐ろしい事件でした。

  南京に攻め込んだ日本軍は、次々家を襲いました。ドアをこじ開け、中に乱入すると家族の前で先ず男たちが先ず殺され、次に娘たちが、また母がズボンを兵達の手で無理に脱がされ、下着を取られ、数人の日本兵に押さえ込まれて、陵辱され、彼らもその後銃殺されていく。胃が痛くなるほど重々しい芝居でした。

  それと同じく、この幼児虐殺の話しは私たちの心を暗く重くします。イエスの誕生の後、こんなむごたらしい話があったと驚く方があるかも知れませんが、聖書はうそを言わない。人間の現実の姿をありのままに告げるのです。

  ヘロデ王は、3人の博士たちをベツレヘムに送り出すとき、「幼子が見つかったら知らせてくれ。私も拝みに行くから」と、まるで好意を寄せているかのような口ぶりでした。博士達も、もちろんご報告しますと約束して出かけたでしょう。だが、後でヘロデの企みを知ったのです。それで、ヘロデの所に帰らず、別の道を通って東の国に帰って行ったのです。

  博士たちが中々帰ってこない。で、騙(だま)されたと知った王は、烈火のごとく怒りました。直ぐベツレヘムとその周辺一帯に兵を送って、2歳以下の男の子を皆殺しさせました。ベツレヘムだけでなく、その周辺一帯の子ども達も皆殺しにしたんです。もうこれは大変悲しい事件です。ヘロデをはじめ独裁者というもの横暴さ、凶暴さを知らされる場面です。突然の出来事に、あちこちの家から悲鳴が聞こえたでしょう。

  皆さんのご主人や奥さんは、優しいでしょ。独裁者の夫ではない?優しかった。ああ、そりゃあ良かったです。家庭で独裁的な男が王になったら大変でしょうね。ヘロデは王位を守るために、部下を殺し、親戚を殺し、最後は妻まで殺したんです。

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  余りにもひどい皆殺しに、マタイ福音書を書いた人は、思わず旧約聖書に出てくる、ラケルの悲痛な叫びの言い伝えを書き添えました。

  ラケルというのはとっくの昔に亡くなった人ですが、彼女は墓の中から、激しく泣き悲しんだというのです。子どもがすっかりいなくなったので、悲しみの余り誰からも慰められるのも望まなかったと言うのです。それ程ひどい事がヘロデによって行なわれたのです。

  病気や事故なら諦めもつくでしょうが、これほど勝手なひどい殺害はありません。親たちはどんなに憎んでも憎み切れず、無念さの中で、決して慰められようともしなかったでしょう。

  私は5年前に、クリスマス後の時期にアウシュビッツ強制収容所を訪ねました。それはドイツのお隣、ポーランドにあります。この時期は零下10度、15度になるとても寒い地です。気候のいい季節でなく12月末に訪ねたのは、凍てつく寒さの中で殺されていったユダヤ人たちのことを思うためです。1日に3千人が殺されました。それが何年も続いて、全部で150万人が殺されました。先ず巨大なガス室で殺され、次に焼かれて灰にされ、川に捨てられたり、穴に埋められたりしました。私もそこを見ました。まるで大きな工場のような建物でした。ですから、強制収容所はどこにもお墓はありませんが、非常に広大な墓地とも言えます。

  このアウシュビッツ収容所に15、6歳の時に入れられた人が、その体験を書いています。エリ・ヴィーゼルという人で、ノーベル文学賞をもらいました。むろん殺されそうだったのですが、丁度戦争が終わり解放されて助かったのです。「私たちからほど遠からぬ所で、穴から焔(ほのお)が立ちのぼっていた。巨大な焔が。そこで何かを燃やしていた。トラックが一台、穴に近づいて、積荷を中に落とした。…幼児たちであった。赤ん坊!そう、私はそれを見た、我と我が目で見たのであった。」

  こんなことは、決して起ってはならない事です。断じてあってはならない。でも、世界でしばしば起る。

  イエス様の家族は、イエス様を殺そうとしたヘロデ王から逃れるために、夜中のうちに遠いエジプトに逃げました。生まれて間もないですから、産後間もないマリアさんは大変だったでしょう。それにエジプトに行くと言っても、そりゃ大変な道です。日本では考えられないような道ですよ。それに飲み水も、食料もないんです。その上焼け付くような暑さです。でも無事に逃げることができた。その後、逃げたのを知らずヘロデ王はイエス様が生まれた周辺の2才以下の男の子を皆殺しさせたわけです。これはむろんイエス様の責任ではありません。ヘロデという人間の悪がこうさせたわけです。

  でも、イエス様はこの子たちの死は人ごととか、ご自分とはまったく無関係だとは思われなかったでしょう。やがて、イエス様が十字架にかかって死なれたのは、殺された2才以下の子どもたちの無念さ、親たちの悲しさを贖う死でもありました。イエスが十字架上で叫ばれたのは、人類がなめて来たあらゆる無念さを、一緒になって神に叫ぶためでした。十字架上で神に叫ぶことによって、無意味な中で死んでいった人たちやその家族と、共にあろうとされたのです。


  聖書に、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」という言葉がありますが、イエス様こそ、心の底から喜ぶ人と共に喜び、泣く者と共に泣き、苦しむ者と共に苦しまれた方です。私たちを、一人としておろそかにされません。我がことのように心配し、嘆き、悲しみ、助けて下さるのです。

  キリストが一緒になって叫んで下さるから、神様が一緒になって叫んでくださるから、私たちはどんな事にも耐えられるのです。耐えられるだけでなく、辛いことを持っていても人々に希望のともし火をともす勇気を与えられるのです。
 
          (つづく)
                                  2009年12月28日


                                      板橋大山教会   上垣 勝

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