動物たちのそばでお産
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宝物を捧げた博士たち (中)
マタイ2章1-11節
(2)
さて、彼らが「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」と記されています。
子どものように無邪気で率直な彼らは、はるばる持って来た宝物を幼子キリストにすべて献げました。
乳香は、今は市販されていますが、当時は大変高価でした。私はこの夏、パシフィコ横浜であった「海のエジプト展」で初めて天然の乳香の香りを嗅ぎました。実に上品で、神秘な香りでした。展覧会にはクレオパトラの愛したキフィという香りもありましたが、これは余りに華やかで技巧的な、現代的な香りでした。それもその筈、資生堂が調合したとかいうことです。
博士たちは、当時、極めて高価なこの乳香と、それ以上に高価で秘薬と言われる没薬ミルラと黄金を献げたのです。何百キロの旅路ですから量は多くはなかったでしょう。東方のメソポタミアから、追いはぎが頻出する所も通ってはるばる旅するのは命がけです。しかし、最も貴重な宝物を持てるだけ持って旅に出たのです。
最も良い献げものを献げることは、いかに難しいものか、私は中学1年の時に知らされました。私は小学生の頃、大阪に住んでいましたが、クラスに伊藤君という友達がいました。友達と言っても小学生ですからそれ程深い付き合いをしていたわけではありませんが、数少ない友の中でも気が合って、決してなくしたくない大事な友人でした。
ところが、彼は5年生の時に転校して芦屋方面に引っ越していきました。しかし、彼との文通は頻繁に続いていました。やがて中学になり、彼は有名中学に入ったと聞きました。父親は医者でした。ある時、彼が3時間ほどかけて遊びに来ることになり、久し振りに会うのが楽しみで、彼が退屈しないように興味が湧きそうなことを準備して遊びました。
やがて帰る時間が来て、小さな駅に見送りに行きました。2人とも楽しい充実した一日で、友情を確かめ合えた喜びでいっぱいでした。そして彼が改札に入る時、ふっと私に向き直り、「どうして他の友達は来なかったの」と尋ねたのです。私はフイを突かれたように口ごもりました。というのは、手紙のやり取りで、彼は他の友達にも会うのを楽しみにしているとちょっと触れていたからです。私は余りそれを重く考えなかったのです。ちょっと触れていただけだし、彼が特に会いたければ、彼から連絡するだろうと軽い気持ちでそこを読み過したからです。
しかし、それは私の言い逃れで、本当は、私は、彼を他の友だちに取られるのが惜しかったのです。友情をいつまでも独占しておきたかったからでした。そのため、他の友人に声を掛けるのを意識的に怠ったのです。
私が言いたいのは、一番大事な宝物を献げるという事は、実に困難だということです。そのことを中学1年の夏休みに知りました。今から考えれば私は浅はかでした。むろん私の間違いであり、弱さであり、罪でした。私は大事な友を失いました。
だが、博士たちは一番貴重な宝物を献げたのです。しかも御殿にいたり、万人が偉大な人物だと評する人物に対してでなく、馬小屋にいる貧しい低い幼子です。夢で示されたと言っても、たかが夢です。何という大胆、何という純真、何という非常識でしょう。しかも、「彼らはひれ伏して幼子を拝んだ」のです。
馬小屋ですから、お産するような場所ではありません。動物に等しい卑しい所でのお産。光のない部屋。貧しさ。ムッとする臭さ。
しかし、彼らはそういう一切のものを見ても目に入らなかったのです。王宮に生まれると考えて来た考えを直ちに捨て、馬小屋に入ってひれ伏したのです。その柔軟さに驚きます。彼らは、ただ目の前にいる幼子と母。神がお遣わしになったお方にのみ目を留めたのです。彼らは、肉眼が見るところに従って見ず、目に見えない真理のみを見たのです。すなわち、馬小屋に神の栄光が輝いているのを見たのです。神のみ言葉が肉となり、私たちの間に宿られたことを、その栄光を見たのです。
ひれ伏して拝んだ彼らの輝いた顔は、実に明るく、平和で、喜びに満ちていたことでしょう。ここにあるのは、自分自身を忘れ、自分の利益を求めず、どんな環境の中でも真理を喜ぶ人たちの姿です。
(つづく)
2009年12月20日
板橋大山教会 上垣 勝
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