森に響いたクリスマスの歌


   グリンデルヴァルトの教会墓地に墓石を洗うこんな水場がありました。日本と同じで驚きました。
                               ・    ・
  
  
                                              あなたを照らす光がある (下)
                                              イザヤ60章1-4節

  
                                 (3)
  ところで、1節は、「起きよ、光を放て」と語っています。「起きよ」と言うのですから、既に夜が明けているという事でしょう。目を覚まし、カーテンを開けよということでもあるでしょう。

  ただ、次の「光を放て」はどういう意味でしょう。これは、「光を輝かせ」とか、「光になって輝け」という意味でしょうか。そうとも取れます。

  しかし「あなたは光になれ」と言われても、光に到底なり切れない自分がいる時は苦しくなります。「世の光になって、世の中を照らせ」ということだとすると、逃げたくなる気もします。すっかり光になれない自分がいるからで、そんな自分が光を演じようとすると、偽りになる気がするからです。世を照らさなくてもいい。偽善者にはなりたくないからです。「光を放て」という命令が強くかざされると、それに裁かれて、かえって萎縮してしまいます。律法になるからです。

  私はここを新約聖書から読みたいと思います。イエスの光に照らされて読むのです。すると、「この世はまだ暗く、闇が世界を覆っているが、シオンは主の光に照らされている。世に先駆けてシオンには光が照っている。その光を反射すればいい」ということです。自分の力で光を放つのでなく、キリストの光を反射するのです。キリストの方を向いていさえすれば、月のように自分では気づかず反射しています。

  パスカルは、「天使を演じようとすると悪魔を演じる」と言っています。オバマさんは今度の演説で、戦争と平和についてかなり突っ込んで語りました。オバマさんの色んな演説は、大学の政治学部とか社会学部、人文学部、また神学部でも取り上げられていると思います。「正義の戦争というのはある」と語った所が、今後度々論争に上がりそうです。「正義を演じようとして、悪を演じる」のが人間の弱さであり、愚かさであるからです。

  それはともかく、光になるのでなく、光を反射して生きなさいということです。

                                 (4)
  カナダには広い平原や森や湖が豊富にあります。西海岸のバンクーバーの町に行った日本人が驚くのは、都会から車で15分も飛ばせば、原生林が何百キロにわたって続く深い森になることです。森の中には3mにも達する巨大なクマが住んでいます。彼らは自然と共生しながら暮らしています。

  今日は後で讃美歌254番を歌いますが、この作詞者はジャン・ド・ブレビュフという神父さんです。楽譜の左上に1593年から1649年とあります。日本で言えば、豊臣時代から徳川初期に生きた人です。キリシタン時代から、キリシタン弾圧の時代です。

  ブレビュフ神父は、その時代にカナダに渡り、ヒューロン湖の森に住むヒューロン人に伝道しました。彼らは森の寒い小屋に住み、兎などを狩りし、その毛皮を利用して生活する狩人たちでした。彼も日本に来た宣教師たちと同じように、土地の言葉を覚え、土地の人たちと共に暮らし、人々から信頼を得て行きました。そしてある年の12月アドベントの季節になって、ヒューロン人たちがクリスマスを心から祝える歌を作ろうとして書いたのが254番の歌詞です。

  「小鳥も飛び去る、冬のさなか、星よりまばゆいみ使いらの、喜びの声が響くよ、森の中。…北風吹き込む小屋の中の、つぎはぎだらけのうさぎ皮に、くるまれたみ子を、急いで探し出せ。」ベツレヘムの馬小屋ではありません。布でなく、うさぎ皮にくるまれているイエスです。「…森の狩人よ、御前にひざまずけ。」羊飼いでなく、狩人が跪(ひざまず)きます。「…森の民、自由の子どもらへ、平和と喜びのプレゼント。…」曲はフランス民謡から取ったようです。

  こうして生まれた歌はヒューロン人たちのクリスマスの歌になって好んで歌われました。ところが1649年にイロクォイ人がヒューロン人たちを襲いました。彼らはキリスト教に不寛容で、ブレビュフ神父も捕えられ、拷問のすえに殺され、殉教の死を遂げました。そしてキリストの光はヒューロンの森から跡形なく消えたようでした。この讃美歌はそんな歴史をもっています。

  ところが百年後、ロレッテという町で、そこにやって来た神父が土地の人からこの歌を聞いたのです。調べてみると、百年前に数百キロ離れた所から逃げて来たヒューロン人が伝えたクリスマスの歌だと分かったのです。

  ジャン・ド・ブレビュフ神父もヒューロン湖の人たちに、「あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く」と説いた筈です。既にあなたの上に輝いている。闇の力はいかに強くても、闇は光に勝たないと宣べ伝えたでしょう。3、4節にあるように、「国々はあなたを照らす光に向かって来る。王たちも射し出でる輝きに向かって歩んで来る。…みな集い…息子、娘たちはあなたのもとに進んで来る」と説いたかも知れません。そしてキリストの光の訪れを喜び合ったでしょう。

  その彼らが滅ぼされました。しかし何人かは遠くに逃げ、異郷の地で信仰を守り続け、この歌を歌い続け、やがて、20世紀の終わり近くに日本のプロテスタントの讃美歌集に採用されたのです。「讃美歌21」は20世紀の終わりに、21世紀になったらこの歌集を歌おうという主旨で出版されました。そして21世紀になり、2009年12月のアドベントに、大山教会の私たちに歌われるのです。彼らがこの歌の中で告白した信仰が、400年後の私たちにまで確かに届いたのです。

  彼らはキリストの光を、弱い光で反射したかも知れません。一旦、消えそうになりました。しかしその弱い光は持ち運ばれ、私たちに届いたのです。イザヤ書は別のところで、彼は「傷ついた葦を折ることなく、暗くなった灯心を消すことはない」と書いています。消えそうな彼らの火を消されることはありませんでした。神は弱った光や傷ついた人の命を消すことはありません。私たちも、主キリストの光を反射したいと思います。弱い光かも知れません。だが弱くても、今ある恵みを生きたいと思います。

                                 (5)
  丁海連さんのことを夏にお話いたしました。日本の軍国主義時代に神社参拝を拒否して学校を追放された韓国人女性です。その方がやがて看護婦になり、戦後韓国の名門校、梨花女子大でも働きます。やがて牧師になり、宣教師になって日本に来て、日本人への憎しみを越えて足立区で伝道し、国府台病院の精神病を患う人たちの友になられました。それだけでなく多くの死刑囚の友になって、中々日本人もできないことをされました。

  丁先生のことが書かれた本で読んで、丁先生は、韓国でも日本に来てからも、毎朝4時から早天祈祷会をしておられたことを知りました。私は脱帽です。到底できません。

  足立でのことですが、その祈祷会に1人の婦人が出席するようになりました。彼女は朝早くビル掃除に出かけるので、教会の前を通るといつも朝早くから電気がついている。そんな早朝に会うのは新聞配達ぐらいです。それで親しみを覚えまた不思議にも思って何があるのかと教会を訪ねます。すると早天祈祷会というのをしている。それで毎日出席するようになられたのです。彼女は2人の子どもを抱え、飲んだくれの夫がいるので、ビル掃除をし、その後もう一つ別の仕事もして一家を養っている主婦です。最後は離婚しますが、もう祈りなしにはやっていけない。

  むろん洗礼を受けても日曜は殆ど礼拝に出れません。せいぜい月1か2回です。でも一生懸命に信じ、祈り、生きて家族を養っている。丁先生の本にそんな在日韓国人婦人のことが出ています。

  その方のことを読んで、この婦人も弱い光かも知れないがキリストの光を反射しておられると思いました。弱くても真実を帯びた光だと思いました。

  弱い光だったらいけないでしょうか。それでいいのではないでしょうか。弱い光であっても人を励ましますし、私を確実に励ましました。誰でもキリストにある人は光を反射していると思います。大きいことを求める必要はありません。意味は違いますが、「一寸の虫にも5分(ぶ)の魂」です。5分の光でも反射すればいい。弱く、小さな生き様の中にも真実があればそれでよろしいのです。

  「あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。」この光は終末的な光です。この光は最後的に闇に勝利してくださる光です。どんなに闇が荒れ狂っても、キリストが最後的に勝利して下さるのです。その希望の光を仰いで行きましょう。

  私たちの抱える数々の矛盾、その最も深い所にも復活のキリストが来て、光あふれる福音によって最後的に勝利してくださる。「神、我らと共にいます」は、そういう事ではないでしょうか。

         (完)

                                 2009年12月13日

                                      板橋大山教会   上垣 勝

  ホームページはこちらです:http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/