あなたを手のひらに刻みつけた (上)


グリンデルヴァルトからアイガーを見る。右方が有名な北壁。登山鉄道はこの北壁の岩の中を曲がりくねって貫通し、山の向こう側のユングフラウ・ヨッホ3454mに出ます。 
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                                        あなたを手のひらに刻みつけた (上)
                                        イザヤ49章14-21節

                                 (1)
  今日の15節、16節に「母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、私があなたを忘れることは決してない。見よ、私はあなたを、私の手のひらに刻みつける」とありました。

  以前にいた教会で、ある方にこの言葉を書いて誕生カードを差し上げたところ、「このみ言葉を読み、涙で胸がいっぱいになりました。主は、私のような小さな者にも心をかけ、一人ひとりを掛け替えのない者として愛して下さいました。天の父なる神様の愛と恵にただ感謝でいっぱいです。毎日のお祈りありがとうございます」というお礼の葉書を頂いたことがあります。

  その方は、信仰に入られた時、「自分のような者でもいじけなくてもいい。邪魔者と思っている者でも生かして下さる方がおられると知って、嬉しくて洗礼をお受けしました」と語っておられました。

  戦後家族が四散して不幸な少女時代、青年時代を送られた方です。火傷で何本か指を失い、片目が潰れて見えず、その上難病を抱え、更にパーキンソン病にもなられた方ですが、信仰に入った後、ある教会の婦人から優しいご主人を紹介されて、その後も肉体的には重荷を抱えていましたが、家庭的には恵まれて感謝の日々を過ごしておられました。

  仏教の強い環境の中でイエス様と出会われましたが、「どんな不幸も、前世の因縁と考えなくてもいいというのが救いでした」ともよく言っておられました。

  親に捨てられた経験、忘れられた苦痛の激しさは私には想像を超えています。結婚で幸福を摑んだ方でしたが、その痛みは晩年になっても疼いていたようです。そのために、この言葉は骨身に沁みたようです。

  「あなたを、私の手のひらに刻みつける」とありますから、神がご自分の手のひらに、ノミで彫るように決して忘れないように彫り刻んで下さるというのです。墨で書けば数百年であっても、石に彫り刻めば数千年、数万年残るでしょう。そのように神は決してあなたをお忘れにならない。この言葉は私たちに勇気を与えます。

  また別の方ですが、少年時代に京都で教会学校に熱心に通っていましたが、成人して医者になり、すっかり教会から遠ざかりました。しかし50歳を過ぎてまた教会に戻って来て、私のいた教会で洗礼を受けられました。

  「私はあなたを、私の手のひらに刻みつける。」この言葉は、この方にもピッタリ当てはまりました。神様は彼の幼き魂に、み言葉の種を播いて下さったのです。種が芽を出すには時間がかかりました。しかし時が来て確実に芽を出したのです。以前、東大の検見川グランドで古代蓮の種が見つかったことがありました。2千年前の種でしたが生きていて、花を咲かせました。これは当時ビッグニュースになりました。それと同じく、神の手のひらに刻まれるなら、何年経とうと信仰が芽を出し、花をつけ、実を結ぶようになるに違いありません。ですから、私たちは神の呼びかけを大事にしていきたいと思います。

         (つづく)

                                2009年11月29日


                                      板橋大山教会   上垣 勝

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