油断なく心を守れ (上)


 ベルンの時計塔。塔は東面にも西面にも時計があります。先日の写真は東面の時計、今日のは西面の時計です。時計は週に何回か、人間が全身でテコを上下してゼンマイを巻きます。1人が30年ほど担当し、それが500年続いてきました。  
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                                              油断なく心を守れ (上)
                                              箴言4章18-27節


                                 (1)
  今日は久し振りに旧約の箴言です。箴言の箴は中国の竹の針です。体の患部をこの針で刺して、刺すことによって治療するのがこの針ですから、今日の聖書は痛いです。人によっては猛烈に痛いかも知れません。また人によっては、気持ちいい方もあるでしょう。もう少し強く刺してほしい。もうちょっと横も刺してほしいと願う人もあるかも知れません。

  ただこの針は、神がその指をもって私たちをお刺し下さるものです。他の人を刺そうとしないで下さい。たとえ針であっても、武器にも凶器にもなりますから、使い方を間違わないで下さい。

  22節に、「全身を健康にする」とあります。それが箴言の目的です。そして、その為には20節にあるように、「わが子よ、私の言葉に耳を傾けよ。私の言うことに耳を傾けよ」とあります。2度にわたって繰返されるのは、主の言葉に絶えず耳を傾けるのがとても重要だからです。

  「心に納めて守れ」とも説かれています。大事に心に納めるのであって、仕舞って置くだけでは仕方がありません。箴言によって心を糾し、頭を柔らかくほぐして、在り方を調整して生きるためです。

                                 (2)
  今日の箇所は読めばお分かりになるでしょうが、いつものように少し注釈を加えさせて頂きます。

  ここに2つの道が、正しい者の道と邪まな者の道が記されています。一つは神に聞き従う人の道で、輝き出る光の道、進むほどに光は増し、ついに真昼の輝きとなると言われます。もう一つは神に逆らう者の道で、闇に閉ざされ、何に躓いても知ることはないと語られています。実際には本人も気づいているのでしょうが、気づいていない振りをしているのかも知れません。これは詩編82編や73編を想起させられます。

  ただ、これは私たちの感覚と少し違うところがあるかも知れません。というのは、真に抜け目なく邪まな者は、何に躓いたかを分析し、二度とシッポを捕まれないように悪賢く振舞うと思うのですが、箴言はそこまでは踏み込んでいません。

  第一の、高潔な道を選択することは、必ずしも成功が保証されるものではありません。高潔さと成功、繁栄は必ずしもつながりません。しかし右にも左にも逸れない人たちは、神の約束の下に生きる人たちです。その歩みは方向性をもっています。確かな歩みが約束されて、その道は夜明けの光のようで、明るさを次第に増し、真昼に至るのです。だが他の道はますます狭くなり、知らぬ間に行き詰ってしまうというのです。

          (つづく)

                               2009年11月22日



                                      板橋大山教会   上垣 勝

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