私たちの永眠者記念礼拝
ジュネーヴからレマン湖畔沿いにローザンヌを通りモントルーに着くと、この駅からいよいよゴールデン・パノラミック・ラインが始まっていました。
あなたは死者の中から復活する (上)
フィリピ3章10-11節
(1)
今日は永眠者記念礼拝です。この教会で信仰生活を送り、先に天に召された人たちのことを覚えて礼拝しています。前に20人程の方々の写真が飾られ、ありし日を偲んで礼拝をしています。
しかし、永眠者記念礼拝というのは、狭く私たちの教会の召天者だけを覚えるのではありません。この日は、世界の2千年に亘る主にあって召された全ての人を覚えた礼拝です。そのため、この日は「聖徒の日」とか「諸聖徒の日」と呼ばれます。
いずれにしろ今日は永眠者を覚える礼拝ですが、今日は「子ども祝福式」を先ほど行ないました。生まれて間もない子どもから小学生まで、人生の春を、また生後1年も経たない人生の早春ともいえる時期を過す子どもたちの祝福を行ないました。
この2つを同じ日に行なうのはそぐわないのでないか。世を去り召された者と、今芽吹いてこれから育たんとする者を、同じ礼拝で覚えるのは無理でないかという意見もありました。しかし矛盾でなく、むしろ死と命という2つのものが同時に覚えられる礼拝こそ、大きな喜びであり感謝だと捉えて、「永眠者記念礼拝」と「子どもの祝福式」を例年同時に行なっているのです。
讃美歌575番に、「球根の中に花が秘められ」という歌があります。そこに、「生命の終りは生命の初め」という歌詞が出てきます。その意味は、キリストにある者にとって、人生の終わりは復活の命の初め、新しい生命の始まりだということです。しかしそれと共に、信仰を持ち、キリストに向かって召されていった人たちの命の終りは、後に続いて新しい命が誕生することで世界に希望が与えられ、願わくは、この子らも自分たちと同じようにキリストを信じ、信仰者として歩む人に育って欲しいと願って、天に召されたであろうことです。信仰の継承への願いを抱いて御国に召されたということです。
とすれば、永眠者を覚えるこの日こそ、幼い者たちを心から祝福し、その人生をキリストが導いてくださることを祈るのは、最もふさわしい日と言えるでしょう。同じ日にこれらを持つのは矛盾していません。つながっています。
ある人が亡くなった日に、ある子が生まれて、これはあの人の生まれ変わりだと言われることがあるように、召された人たちに代わってこの子どもたちが神様から送られて来た。やがて信仰を持つように育って欲しい、こういう喜ばしい願いをもって、永眠者記念礼拝をしているのです。身内の永眠者を強く覚えれば覚えるほど、どうか後に続いて育っていくこの若い魂のことを大事にして頂きたいと思います。
(つづく)
2009年11月15日
板橋大山教会 上垣 勝
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