教会とは (下)


 レマン湖から滔々と流れ出す河口に、幾つかの壮麗な建物が流れに逆らって建てられていて、人間が持つ意志というものを感じさせられます。ここはクルーズの乗り場にもなっています。
  

  

                                             教会とは (下)  
                                             Ⅰコリント1章1-9節
  
  
  
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  さて、召し出された者というのですが、これは一回だけ呼ばれ、召されたのでなく、呼び続けられ、召され続け、キリストとの交わりに入れられ続けることです。「召し出す」とはそういう意味です。私たちからいうと、キリストに聞き続け、そこに留まり続けるのがエクレシアであり、教会であるということです。

  皇居のお堀は、昔は玉川上水が流れ込んでいました。それできれいに浄化されていました。しかし、今は流れ込む水がありません。それで夏にはアオコが発生して、ドロドロと腐ったような色になります。

  キリスト者も絶えずキリストにつながって、キリストから命の水を注がれていなければ、濁ってきます。しかし、キリストの言葉を注がれ続ける時、たとえ濁ったり、腐ったりしていた人間も変えられていきます。

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  最後に申し上げたいのは、エクレシアはキリストの体である教会を建設するために呼び集められているということです。これはパウロの書簡全てで語られていることです。むろん建設するだけでなく、呼び集められた者がこの世に派遣されるという側面がありますが、それはこれまでもお話ししていますし、今日はその点は触れません。

  で、教会の建設のために呼び集められたということが、最初に申しました、「キリストの名を呼び求めている全ての人と共に、召された」とあるのと関係します。別の箇所では、「主は、人々から見捨てられたのですが、神にとっては、選ばれた尊い、生きた石なのです。あなた方自身も、生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい」(Ⅰペトロ2章)とあります。

  エクレシアである教会は、共にみ言葉に聞いていきます。共に聞いて教会を建設して行きます。この場合、牧師も信徒も一緒にみ言葉を聞いているのです。私たちの羊飼いはただ一人、キリストだけです

  共に聞くわけですから、毎週の礼拝が教会を建設していく大切な業なのです。断言しますと、礼拝に出席することなしに、共に教会を建てていくことはできません。礼拝出席が大事なのは、そこに理由があります。

  私たちの教会の木曜の聖書の学びに、信徒の方々が聖書の学びをして発表して下さるのは、信徒も牧師も、一緒になってみ言葉を学び、聞くためです。信徒の方に聖書の学びを押し付けているのではありません。

  これは教会の会議においても言えます。教会の会議は、普通の多数決とか会議制とか民主主義とは違います。教会は教会総会が一番大事な会議ですし、役員会や色んな会議があります。また一般には会社の重役会議とか、町内の総会と言うのもありますし、国会もそうです。それらは多数決で決めます。教会でもむろん多数決です。

  しかし、一般の会議と教会の会議は違うのです。このことは、皆さん十分わきまえておいて頂きたいことです。教会の会議は単に手続き的に多数決で決める会議でなく、共にみ言葉を聞くための会議なのです。一緒に神のみ心を尋ねていく、そういう前進的な、求道的な、共に真理を探究していく、羊飼いの声を聞き分けていく会議です。自分を相対化して、この、神のみ心を共に尋ねるという事が大切です。

  いや、本当は一般の会議もそうあらねばならないのですが、しかしそんなことはなされません。手続きとして多数決であれば合法的となって、それで押し切っていったりします。私はこういうのは、教会でも、いや日本基督教団の総会や常議員会でも数で無理に押し切っていくという、教会会議と言えないことが起りますから、共にみ言葉を聞く会議であるという点を強調しておきたいのです。それがないと必ず非人間的なことが起ります。

  反対からいえば、共にみ言葉を聞いていくときには、必ずそこに福音が現われ、すべての人にとって慰めとなり励ましとなることが起ります。ですから、異質な者同士が謙虚になって対話し、やがて新しい価値観を共に発見して行くことが大事になります。

  「教会とは」という題で、まだまだ大事なことがありますが、今日はこの後すぐに食事に入りますので、以上でお話を終わります。

  昼食後、今日の説教をもとにフリートーキングの時間があります。その時、①み言葉を聞くためにご自分がどういう工夫をしているかということ。それから、②今お話した意味で、教会をどう建設するのかなどが、話題に上がるとうれしく思います。

         (完)


                               2009年11月8日


                                      板橋大山教会   上垣 勝

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