愛は多くの罪を覆う (下)


            ジュネーヴの聖ピエール教会の講壇にはその日の聖書箇所が開かれていました。 

 
  
                                              愛は多くの罪を覆う (下)
                                              第Ⅰペトロ4章7-9節
  
  
  
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  「愛は多くの罪を覆うからです」とも語ります。むろんこれは、私たちが人に要求するものでなく、自分に言われているものです。では、愛はどのように間違いや罪を覆うのかと問うでしょうか。だが、「どんな仕方で」ではなく、多くの罪を覆う愛が私たちに命じられているのです。

  愛は罪を暴(あば)くのではなく、覆います。愛は罪を暴くのでなく覆うということに心を留めたいと思います。罪を覆うと言っても、罪を隠すのではありません。隠すのでなく、罪を鎮めるのです。

  それは、罪や過ちの有害さを取り去るために、取り組むことでもあります。罪が破壊的な力を持たないように、くつわをかけることです。

  愛こそ罪の有害さを食い止めることが出来ると、聖書は語っているのです。愛はいわば、濡れタオルです。火が燃え始めた時に、そのタオルを素早く投げる事によって消し止められます。そのように、愛は罪や間違いが広がることをいち早く消すことが出来るのです。素早さが命です。他のものに燃え移ると、消すのはた易くなくなります。

  しかし現実には、火の手が上がると頭が真っ白になりますから、素早くとは中々行きません。ましてや人間の罪の場合は、事実を確かめなければならないし、人々の見解の違いがある時は更に手間取るでしょうし、後手後手に廻る場合もあります。

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  では、万一燃え広がった時はどうするのか。その時には、癌でいえば大切開が必要になるかも知れません。切開をしても、手遅れなら命を落とす場合もあるでしょう。だからこそ迅速さが大事です。

  話しは飛びますが、今、全世界で問題になっている核兵器の廃絶や地球温暖化を止めるためのCO2の削減問題、また南北格差の膨大な広がりの是正。世界大に広がったこの火も出来るだけ迅速に消し止めなければなりません。

  皆さんは、ご自分の子どもが毎日、空腹のまま寝床に就いていいと思うでしょうか。しかし、今世界で空腹のまま寝床に就く人が10億人いるのです。ここ一年ほどで、この40年間で最もひどい情況を迎えたと国連機関が報告しています。そんな事が本当はあってはならないことでしょう。

  今日の少し先に、「賜物を生かして仕えなさい」とありますが、世界大になったこの火を鎮めるために、創造性豊かな賜物を進んで差し出す人はどこにいるのでしょうか。僅かでもいい、自分を捨てようとする人、神さまのために時間を割こうとする人はここにおられるでしょうか。

  良きサマリヤ人のたとえ話をイエスは語られました。強盗に襲われ、半殺しになった人を助けるために、サマリヤ人は隣人になって介抱しました。隣人になるためには時間を割かねばなりません。サマリヤ人が手当てをしましたが、強盗が襲われた直後ですから、自分も襲われるかもしれないのです。身の危険を顧みず彼がそこに留まったのは、半殺しにされた人が不憫でならなかったからです。そういう人の隣り人になる人は、皆さんの中におられるでしょうか。

  先週、私たちが長く献金を送っている「山谷兄弟の家伝道所」に、バザーで出た男物の衣類を届けてまいりました。狭い伝道所の入り口を身体を横にして入ると、6人の人が、ドヤの人たちのために弁当作りをしていました。遠くからボランティアで来る主婦たちですが、この方たちが作るおいしそうな愛妻弁当のような弁当を見て、きっとドヤの人たちは励まされていると思いました。印象に残ったのは、ボランティアで来ておられる女性たちの顔が輝いていることでした。皆、実にいい顔をしておられました。

  最初は、ドヤの人たちへの恐れがあったかも知れません。しかし、それ以上にその人たちの置かれた困難な情況を知って、進んで週何日か来られるのだと思いました。ここにも、世の片隅にある火種を消し止め、キリストによる希望のしるしをこの片隅に創ろうとしている人たちがあるのだと思って、嬉しくなりました。

  オバマ大統領の評判は一時より下がっていると言われます。しかし、彼は世界大に広がった火を消し止めようとして大統領になりました。支持する人もありますが、意地悪く水を引っかける人たちもあります。水ならいいのですが、火に油を注ぐ人たちです。

  そういう時に、ノーベル賞委員会の委員長が記者会見で、「彼一人ですべてが解決出来るわけではない。世界がオバマ氏を助ける必要がある」と語ったのは、世界の人々に勇気を与えるメッセージでした。火事場に火消しが入ったのに、それを見殺しにすることはできません。昔の江戸の火消しは、火消し頭(がしら)が纏をもって火事場に飛び込むんです。それで、纏い持ちを死なせちゃならないから、皆一丸となって死に物狂いで水をぶっ掛けるんです。今は、そうしなければならない時です。この委員長はそれを世界に発表した。ノーベル賞委員会も勇気のいることだったでしょう。オバマさんも不死身ではありません。病気になったり、仕事が過重になって、潰されないように切に願わざるをえません。

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  話はそれましたが、愛はいわば罪の火を鎮める濡れタオルです。ですから、「心込めて愛し合いなさい」という勧めが本当に大切なのです。

  愛は、罪を鎮める鎮静作用があるのです。実は8節の言葉は、箴言10章からの引用です。ただそこでは、この言葉の前に、「憎しみはいさかいを引き起こす」とあります。憎しみの心は鎮静作用どころか、いさかいを引き起こし更にそれを煽り立てます。破壊的です。現実社会にはそういうドロドロした罪が働いています。だから鎮静作用が重要なのです。「心を込めて愛し合いなさい」とは、心を込めた愛を選び取りなさいとの意味でもあります。

  言葉を変えて言えば、愛は平和を創り出すのです。平和を創り出すには、相手の欠点でなく良い所を発見し、彼のどこに望みがあるかを考え、今日の聖書にあるような意味で思慮深く振舞うことが大事ではないでしょうか。

  現代人は警察犬のような所があります。臭いものを嗅ぎ回して、ワンワン吠えるだけでは問題は解決しません。

  イエスは十字架について、濡れタオルで火を消し止められたのではないでしょうか。罪の火を消し止められました。「愛は多くの罪を覆う。」この言葉はイエスにおいて真に妥当するでしょう。ただイエスにだけ妥当するといって、私たちはこの言葉から身を引くべきではありません。希望のイエスが再び来られるのです。平和のキリスト、弟子たちの間に立って、「あなたがたに平和があるように」と語られた復活の主が来られるのです。

  だから、「天は喜び、地は躍れ。主は来たりたもう。来たり-たもう」と歌うのです。ですからまた、「何よりも先ず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆う。不平を言わずにもてなし合いなさい」と、私たちに勧められるのです。

       (完)


                                  2009年11月1日


                                      板橋大山教会   上垣 勝

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