一つである喜び


    カルヴァンが活動したジュネーブの聖ピエール教会の説教壇。後ろにカルヴァンの椅子があります。  
  
  
  
  
                                              思想でなく活けるキリスト (上)
                                              フィリピ2章1-5節


                                 (序)
  今日の箇所には、新婚の人たちに書いて差しあげたい言葉がありました。「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして。」これはきっと喜ばれます。

  それはそうとして、私たちは日常生活の中で時々、一致はいかに大切で致命的なものかを感じることがあります。仲間が何人かで一緒に食事をしている時に、仲間であっても、しらっと白けた空気が漂うことがありますし、反対に家族が久し振りに一緒に集まり、食卓などを囲んで楽しく会話が弾み、皆一つであるのを味わっている時に、目の前にあるこの平和がいつまでも続くように願ったりします。

  そこでは仲間外れはいません。家族であっても一人ひとり色んな事情を持ちながら、普段は別の所で生活しています。しかし、成長するまで、同じ釜の飯を食って来た家族であることを思う時に、過去の色々な行き違いや誤解はまったく解消したわけでないが、確執が影をひそめ、やわらかな赦しの思いがそれぞれを包み、隔たりがそれほど重要でなくなっている。

  そういう、一つであるという思いはまたとない喜びの時ですし大切な瞬間です。一致が事実になっているからです。それは神からの一つの贈り物であると言っていいでしょう。「見よ、兄弟が共に座っている。何という恵み、何という喜び。」この歌は私たちの心の願いを言い表してくれています。

                                 (1)
  フィリピの信徒への手紙の学びは1月から始まり、すでに3章の半ばまで進んでいますが、今日は2章に戻って、1節から5節を再度取り上げました。前の時は11節までを取り上げて、6節以降を重点的にお話ししましたので、今日は5節までを取り上げたわけです。

  これまでも申しましたが、これはパウロが獄中からフィリピ教会にしたためた手紙です。彼は命の危険に曝されていますが、今、詳細にわたって「一致と喜び」について書きます。まるでこれが最後の手紙になるかも知れないような、心を込めた手紙です。

  「そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、霊による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たして欲しい。」

  何と心のこもった行き届いた言葉でしょう。「同じ思い」とか、「心を合わせ」とか、「一つにして」と何度も繰返されています。「同じ思い」とは、他の人たちと同じ思い、一つ思いになる事です。

  ただ、人の心は深い謎のような所があって、中には、「なぜ、私が皆と同じようにならないといけないのよ」と、同じになることを嫌う人たちもあります。人から、そうさせられると思うと反発するわけです。フィリピにもそういうキリスト者たちがいたのかも知れません。

  ですからこの点が重要です。なぜなら、キリストはへりくだられたからです。確かに律法学者やファリサイ人たちとは公然と戦われました。だが、普通の人たちに高飛車であったり、高慢であられたのでは決してありません。むしろ、キリストはへりくだられました。その違いを知らなければなりません。

  それでパウロは続けて、「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。それはキリスト・イエスにも見られるものです」と語るのです。

  「利己心」とあるのは、利己的な思いや功名心、また自分が一番であるという支配欲のことです。「虚栄心」とあるのは、安っぽい自慢と訳している聖書があります。天狗になり、威張る態度でしょうか。「へりくだる」というのは、タペイノフロシュネーという語ですが、心の低さであり、慎ましさであり、他者を尊ぶことです。ですから、「互いに相手を自分よりも優れた者と考え」なさいと次に書かれているのです。

  そして、この「へりくだり」こそ、キリスト・イエスにも見られるものですと語って、今日は取り上げませんが、6節以降の非常に大事な箇所へと話が進められています。

  すなわち、1節から5節までを背後から支えているのは、キリスト・イエスの実際的なへりくだりであり、愛であり、憐れみであり、慈しみであり、他者のことを考え心にかけられたキリストです。一切はキリストを原点とし、源とします。そこに立ち返りなさいというのです。

           (つづく)

                               2009年10月25日


                                      板橋大山教会   上垣 勝

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