ごく小さい事を忠実に


  ジュネーブに残る1303年の建物とか。あまり古さを感じさせられませんでしたが…。今はミュージアムです。
  
  
                                              ルカ16章10節 
  
  
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  今日の皆さんの関心はむろん昨日から始まっている教会バザーでしょう。バザーが始まると昨日と同様、ものすごく大勢のお客さんが押し寄せますから、今しばらくみ言葉の前に静まりましょう。日常生活の中で神のみ言葉に心を向けることは絶大な価値があります。それがないと生活に意味が出てきません。日常の働きが神のみ言葉につながるときに、画竜点睛のようにその働きが生きてくるのです。お金儲けだけでは人の人生は意味をなしません。

  さて、今日の聖書は、「ごく小さな事に忠実な者は大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも忠実である」です。前の訳は、「小事に忠実な者は大事にも忠実である。小事に不忠実な者は大事にも不忠実である」となっていたと思います。

  「小さな事」ではありません。「ごく小さな事」です。原文では、「ごく小さな事」とか、「最も劣ったもの」などと訳せます。また「忠実」とありますが、これは「信仰」という語と同じ言葉が使われています。従ってここは、ごく小さな事や最も劣ったものに対して真実な者、そういうものをおろそかにしない者、それらを確実に果たす者。また、そういうものの中に信頼をもたらす者という意味だと言っていいでしょう。

                                 (2)
  私たちのバザーは6月頃から数人の人たちによって毎週準備されて、塵も積もれば山となるで、先週2階から降ろされた荷物は会堂の中に溢れて、山のように積まれていました。今年は数が異常に多くて、去年の1.5倍ほどあったでしょうか。1万点以上であったはずです。昨日外に展示した時、その品物の数の多さに誰しも思わず目を見張りました。

  先日、その最後の値付けをして下さっていたところに居合わせましたら、値付けの一番終わりの時に、こんな小さなものにも当然ですが値段を付けて下さっていました。これは七宝焼きでしょう。銅板の上に七宝焼きをかけて焼いた素敵なブローチです。どなたが寄贈して下さったのか、どなたが制作されたか分かりませんが、自然なデザインで、しかも個性があって、焼いた人はこれが出来上がったとき、きっと喜びの歓声を挙げただろうと思いました。

  でも裏を返せば、そら、50円という値段が付けられています。市販では4千円とか5千円とかします。中の色の周りが銀で縁取られたものなら1万円をゆうに越えます。大山教会のバザーはたまらないほど安いですね!これはもうお早く買わなくっちゃあ損ですね。こちらのものなんか素敵でしょう。ただ50円となっているのは、ソラ、ここにちっちゃな傷があります。値付けをしていたAさんはこの傷を見逃さなかったんですね。それで50円と…。ただ、私なら傷を見れば捨てちまうところですが。

  私が言いたいのは、私たちの扱う品物には、一つ一つその誕生にまつわる歴史や物語があるという事です。また値付けにも物語があり、どんな1点の品物も手にとって値段が付けられたという事です。1万点あるなら1万の物語があった筈で、1万回の鑑定があり、1万回の値段の決定があったという事です。「小事に忠実な者は大事にも忠実である。小事に不忠実な者は大事にも不忠実である。」バザーの値付けにこれほどピッタリな言葉はあまりありません。

  1点1点の品物をおろそかにせず、同時にお客さんの接客もごく小さな出会いですが、おろそかにしないでお分ちしていく。これも、「小事に忠実な者は大事にも忠実である。…」という言葉がピッタリ当てはまると思います。

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  私がこう言いましたのは、「神は万物を造られました。」この世界には、砂の1粒1粒まで数え、微小な細菌の1匹1匹まで数え、DNAの1つ1つまで数え上げれば、神は億の何億倍の何兆倍。いやその何兆倍ものごく小さな事に心を配り、この世界を成り立たせてくださっているということを思うからです。

  神さま以上に、「小事に忠実」な方はいらっしゃらないでしょう。

  そして、神は、私という小さい者にも御目を留めて下さっています。詩編に、「私たちは何者なので、み心を留められるのですか」とあります。私という、欠けた所が多くあり、曲がった所も多くあるいと小さな者に御目を留めて、真実であってくださり、おろそかになさらない。神は、御子をも与えるほどに私たちを愛して下さったのですから、これほど真実な方は他にないでしょう。

  ですから、バザーをする中にも神の言葉を思わせられ、神さまの創造のみ業のすばらしさを考えさせられるのではないでしょうか。

  昨日バザーを開始する前にみんなで集まりました。その時、今年は第一ペトロ4章の、「穏やかに、敬意をもって」という言葉を心に刻んで接客しましょうと申しました。ごく小さい事にも忠実であるとは、「穏やかに、敬意をもって」お客さんと接していくということでもあるでしょう。

  色んなお客さんがいらっしゃるでしょう。この地域の方々と短時間でも良い出会いが出来ればとても幸いであります。

       (完)

                             2009年10月18日


                                      板橋大山教会   上垣 勝

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