あなたは強くされる (上)


    ジュネーブの旧市街にある古本屋です。よく見てください。左側の書籍棚は道路にじかに面し、閉店時に蝶番のある木の扉をパタンと閉めるだけでいいのです。たいへん新鮮な印象を受けました。



                                                                                            イザヤ6章1-9節

                                 (1)
  今日の聖書箇所は、タイトルが「イザヤの召命」となっています。この箇所にはイザヤが預言者となる原点が記されていますが、そこから学びたいと思います。

  1節に、「ウジヤ王の死んだ年のことである。私は、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。…」と書かれています。

  「ウジヤ王の死んだ年」とありますから、紀元前742年、今から2750年ほど前の、なんとも古い古い時代のことです。

  金曜日から、牧師館に、台湾人の若い女性が泊まっています。彼女はイギリスに長くいて今、博士号を取ろうとしています。どんなテーマですかと聞きましたら、「古代中国、特に唐時代の歴史」だと言っていました。唐ですから古代中国と言っても1200年ほど前のことです。しかし彼女は中国だけでなく、日本の平安期の歴史にも、その頃の朝鮮や東南アジアの歴史にも興味を持っていて、将来は東アジアの歴史を包括的に考えようという意欲的な女性です。日本人にもそういう意欲的な女性がいると思いますが、こういう国際的な大きな視点を持った歴史家が生まれることはとてもいいことですし、大きな喜びです。

  「ウジヤ王の死んだ年」という書き出しです。彼は52年間も南王国を治めた賢王でした。彼は砂漠のあちこちに塔を建て、農業を発展させ、国力を伸ばしました。ただ勢力を増すとともに増長した時期もありました。それで余り評価しない人たちもいますが、その失敗後は決して表に出ることなく、息子に王宮を取り仕切らせたといいますから、私は出処進退をわきまえた優れた王であったと思います。色んな失敗をしても、色んな理屈をつけて総理大臣を続けるというような人ではなかったんです。

  ですから、ウジヤ王が死ぬと人々は将来に不安を抱いたのは当然です。当時、北王国の方は大国アッスリアの脅威にさらされ、20年後に滅亡しますから、南王国もその脅威を感じていたでしょうから、賢王の死は南王国の人たちにとって不安要因になったでしょう。それと共に豊かな時代というのは、人間の力に過信しがちです。それへの漠然とした不安も生まれていました。今の日本でも同じような所があります。

  ウジヤが死んだ年、イザヤは、天にあるみ座に神が座しておられ、衣の裾が地上に伸び、神殿いっぱいに広がっているのを見たと言うのです。

  という事は、南王国の繁栄は自分たちの努力の結果だと考えていたが、神こそこの国をご支配しておられるということをイザヤは突如知らされたのでしょう。イザヤは貴族階級の祭司出身です。王国の内情を熟知しています。彼も当然、この国の繁栄は自分たちの実力で、自分たちが造り上げたと考えていたのです。

  だがそれは全くの錯覚で、実は神の衣の裾が地上に達し、神殿いっぱいに広がるほどに、神が恵みをこの地いっぱいに与えて下さっていたことを忘れていただけでした。そこに眼が行かなかったのです。そこに王だけでなく、自分の傲慢があったとイザヤは悟るのです。

  他の人の傲慢でなく、自分の傲慢に気づく。そのことが非常に大切です。

                                 (2)
  イザヤは更に幻を見続けます。今度は神の天使であるセラフィムがいて、神を賛美して飛び交って歌っています。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地を全て覆う。」

  全地に主の栄光が満ち溢れているから、52年にもわたる豊かな繁栄があったのだという事は、イザヤには革命的な発見でした。それは、これまでの常識を覆す経験でした。

  イザヤは4節で、「この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き…」と書きました。天使たちの賛美の歌声で、神殿の大きな敷石が、そして大地が揺れ動くほどの、自分の全存在が足元から大きく揺り動かされるような経験をイザヤはしたのです。

  私たちは今回の旅で、しばらく時間があったので、スイスのベルンという町を訪ねました。その町は宗教改革時代にツヴィングリが活躍した宗教改革の町として有名で、現在は町全体が世界遺産になっていて、しかもスイスの首都です。ツヴィングリは戦争で40歳代に亡くなったので余り知られていませんが、ルターやカルヴァンと並ぶ巨大な信仰者です。

  彼が活躍した教会に行きました。ツヴィングリの名前がある所で記念写真を撮ろうとして探しました。しかしどこにも見つかりません。それで受付の女性に聞きましたら、にっこり笑って、彼の名前はどこにも刻まれていないと答えました。

  彼はどこにも自分の名を刻まなかったのです。自分の名が重要だと考えなかったのです。ただ神の栄光が表わされればいいと考えたのです。私はこの姿勢にとても教えられました。自分の名、自分の栄誉ではない。神のみ心が地上に実現すればいい。そういう単純な生き方、信仰でいいのでないかという事です。

  その後、私は教会の100mある高い塔に登りました。そこからの眺めは素晴らしいです。何しろ第二次世界大戦にも戦災にあわなかった、中世がそのまま残る世界遺産ですから。皆さんをお連れしたかったですね。

  塔に登って私はしばらく楽しんでいました。すると教会の鐘が鳴り始めたのです。それはものすごい大音響です。しばらく聞いていましたら、何か妙なんです。目まいがするような、酔っ払ったような。なぜだろうと思いました。朝からワインを飲んだわけでないし…。そして気づいたのは、教会の鐘の大音響によって塔が、教会が船のように前後に揺れているんです。まるで教会が神に向かって身体をゆすって喜び歌い、躍っているって感じなのです。教会の塔に巨大な鐘があるのは神を賛美し、歌うためだと思いました。

  この教会は1421年に建築が始まり、1893年に完成しました。450年以上かかって完成した教会ですが、むろん宗教改革当時はすでに塔も鐘もありましたから、これまで500年以上にわたって、一日も休まず、巨大な鐘を打ち鳴らして神を賛美し、声高らかに歌って来たのです。それを思って感動の余り、いても立ってもおれませんでした。

  しかしあんなに教会が揺れていたら、いつか教会が崩れるかも知れません。だから百年に一度ぐらいは塔の修理が必要なのでしょう。

  そんなことを思いながら、階段を降りて巨大な鐘の真横に来ました。そこはたまらないほどの音量です。その時、また不思議な感情に捕われました。それは、今私は教会の鐘の側に立っているというより、神の心臓のすぐ側、神の内臓の中にいて一緒に働いているというような奇妙な思いでした。

  神が、私を包んでくださっているという実感、何事があっても、神の祝福の中に置かれているという強い思いを持ちました。私は愚かな人間ですから、こんな大音響をもって、「恐れることはない。私はここにいる」といって下さっているという気もしました。ルターも塔の体験というのをしましたが、私も生まれて初めて塔の神秘な体験をいたしました。今回の旅行の最も大きな収穫はこの塔での主なぬ体験であったと言うことができます。

  しかし、今日の預言者イザヤは塔でなく、「神殿の入り口の敷居が揺れ動」いたと言うのですから、塔が動く以上の徹底的な根底からの神の力強いご支配の経験だったと言えるでしょう。

      (つづく)

                            2009年10月4日


                                      板橋大山教会   上垣 勝

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