雄弁な足あと (下)


  
  
   
                                                                                            フィリピ2章19-24節


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  さて21節は、「他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めています」と言います。これはグサッと心に刺さりますね。フィリピの人たちの中にもグサッと刺さった人があったかも知れません。しかし、グサッと刺さってもここには真実がありますから、刺すと同時に、自分のことだけを求めていちゃあならない、イエス・キリストのことを求めてもっと心を広く持たなくちゃあならないと、生き方を正されもしますし、癒されもするかも知れません。

  テモテはイエス・キリストのことを求めているのであって、自分のこと、今日流にいえば、自分の自己実現を求めているのではないというのです。

  現代人は自己実現を求めています。それはほぼ百%良いことだと思っています。私も自己実現は大切だと思います。ただ、真の自己実現ならいいんですが、エゴに近い自己実現になっているところが問題です。ジコチュウの自己実現です。これは微妙なところですが、とっても大事なところです。

  信仰が自己実現のためであるという場合があります。もちろん私の救いのためにキリストが来られたということは事実ですし、私が救われなければ、どうしてキリストは私の救い主だと告白できるでしょう。しかしキリストが自分の救いにとって役立つからというのでは、役立たないと思える時には、次の役立つものを探すという生き方になりかねませんか?それは自分が主人公であって、キリストを僕にし、召使として仕えさせているのです。

  そうではなく、キリストが私の主である。私の王である。その時、まことの救いがやって来ますし、パウロやテモテのようにキリスト・イエスのことを追い求めるという真実な生き方にもなって行きます。

  22節で、「テモテが確かな人物である…」という言葉が出てきました。テモテが信頼に値する人物であるのは、自分のことを追い求めるのでなく、イエス・キリストのことを追い求める人物であったからでしょう。今の状況の中で、神のみ旨は何だろうか。この時代の中で、キリストに従うとはどういうことだろうか。それを追求して行くのがキリスト者です。

  テモテはイエス・キリストのことを追い求め、神に信を置くゆえに、教会共同体の中に信頼を創り出す人であったのは想像するに難くありません。いや、神に信頼をおく人は、人間関係が絡む難しい事柄においても、そこに信頼を創り出そうとするものです。争いでなく、信頼の繋(つな)がりを創り出そうとします。

  金曜の夜に、反貧困ネットワークの「もやい」の人に信濃町教会に来ていただいてお話をお聞きしました。そこで話題になったことの一つは、「人のつながりを創って行くこと」でした。何故ホームレスになるのか。そこには失業、病気、人間関係、社会状況、色んな転機があって、階段を転げ落ちるように落ちていって、お金を失い、信用を失い、住まいを失い、ホームレスになって行くことが話されました。

  そういう中で、「もやい」は、その人たちも堂々と生きて行ける社会を創ろうとしておられると思いました。トコトンまで落ちると、誰も信用してくれません。家族も知人も信用してくれません。実は、自分自身もこんな自分がこれ以上生きていていいとは思えない。そういう中で、自分も生きていいのだという自尊心の回復、自分への肯定、信頼が大事ですし、社会からも生きていって欲しいと望まれていることの発見が大事だということです。そういう場を創り出そうとしておられます。これは大変福音的な業だと思いました。むろんキリスト教は別のことで社会的な働きをしていますが、こういう働きも福音のわざとして本当に重要だと思いました。

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  さて、「雄弁な足あと」ということと、テモテが「確かな人物」としてフィリピの人たちから認められていたこととは関係します。雄弁な足あとと言っても、大きな業をなしたからとか、多くの人に影響を与えたからそれが雄弁であると言っているのではありません。彼は自分のことでなく、キリストのことを追い求めたのです。人の目に留まらぬ小さい業の中にも、雄弁に語る足あとが残されていることがあります。

  暫らく前、何人もの方が「一粒の麦として」という本の出版支援をして下さり、著者に送金しましたら、著者の高橋さんから、忙しい校正作業の中、感謝の便りを下さいました。それに出版後援会長の関田先生にも葉書をして下さったそうで、関田先生からも便りを頂きました。小さい業なのに、こんなに喜ばれて大変嬉しいことで、ここに皆さんにご報告いたします。

  「一粒の麦として」の丁海連牧師は、10代の時、朝鮮で神社参拝を拒否して学校を放校になりまして、やがて日本に来て、姫路にある「日ノ本学園」に入学されたことを暫らく前にお話ししました。

  関田先生は、その「日ノ本学園」を、九州での講演の帰りに訪ねて来られたそうで、その時のことを便りに書いておられました。日ノ本学園で古い学籍簿などを丹念に調べて分かったのは、日本に来て入学した時は、創氏改名が強制ですから日本名を名乗らされて入学していました。しかし、卒業名簿は朝鮮名、本名になっていたんです。昭和16年の卒業ですから、卒業名簿の片隅ですがこれは凄いことだと私は思います。当時の校長の見識がこの小さな足あとに如実に残されていると、関田先生は書いておられました。そして更に調べましたら、この校長先生は戦争中、投獄されていたそうです。

  この方は、自分のことを追い求めたのでしょうか。この方もテモテのように、キリストのことを追い求めた「確かな人物」であったに違いないと私は思いました。

  信仰の小さな足あとも雄弁に語ります。その時代にはその雄弁さは分かられないこともあります。無視されることもあるでしょう。だが、後になって神様が明らかにされるのです。

  人生は小さい事からなっています。飛行機の整備を見たことがありますが、実に小さい無数の部品の点検と補充と取替えなどからなっています。それがなければ乗客の安全な旅はありません。私たちは皆、小さな足あとを主の目の前に残しています。大きな業を望み過ぎてはいけません。いや、大きな業も小さな業の積み重ねからなります。

  「雄弁な足あと。」イエス・キリストの足あとこそ雄弁です。家つくりらの捨てた石。イエスは十字架につけられて捨てられました。それが隅の頭石になったのです。社会を造る指導者たちが捨てたんです。彼らは捨て去ったと思いました。だがその石が、神によって社会を支える石になった。イエスの足あとは消されたんです。でもその足あとが多くの人を造り変えるものになりました。

  このイエスガリラヤの漁師たちに、そして今日の私たちにも、「私に従って来なさい。」私の足あとに従いなさいと言われます。イエスの前を行くなんてできません。イエスは私たちの前に立ち、また横に並んで歩んでくださいます。

  私たちの足あとは雄弁かどうか知りません。ただ、雄弁なイエスの足あとについて行きたいと思います。

         (完)
                                  2009年7月19日

                                         板橋大山教会   上垣 勝


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  (今日の写真は、パリ・オルセー美術館の前で-b )