つぶやかず疑わない (上)


 
 
   
                                               
                                              フィリピ2章12-18節
  
    
                                 (3)
  さて、パウロは更に、「何事も、不平や理屈を言わずに行ないなさい」と語った後、「そうすれば、咎められる所のない清い者になり、邪まな曲がった時代の中で、非の打ちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう」と語りました。

  むろんこの事も、キリストの従順に根拠を置いてのことです。なぜなら、イエスの従順には無尽蔵の富が隠されているからで、そこから、人間に対する希望も慰めも、勇気も大胆さも湧き出ているからです。

  パウロは、すでに1章27節から実際的な忠告をして来ました。今日の箇所は、そこから始まった勧め全体の締めくくり、結論です。そして、その中心にキリストの従順が置かれているのです。

  私たちの生活の中心にキリストへの従順が置かれているでしょうか。パウロは、2千年前の人だけでなく、今日の私たちにも、そのことがなされるようにと、ここで語っているのです。

  次に、「邪まな曲がった時代の中で、非の打ちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう」と述べます。

  むろんパウロは飛行機に乗ったことがないわけですが、先週からイギリスから来た若い女性が我が家に4泊しています。シンガポールから香港経由で来ました。成田は都心から少し離れていますから、夜景はどうだったでしょう。まだお聞きしていませんが、見えればものすごく綺麗だったでしょう。下界のことでなく、1万数千メートルの上空を飛びますと、下界はいかに厚い雲で覆われ、たとえ嵐が吹き荒れていても、上空の成層圏はいたって澄み切った美しい青空です。夜だと、星は下界では信じられないほどキラキラとまばゆく輝いています。

  キリストの従順を根拠にして生きる時、「いかなるよこしま」、「いかなる気むずかしさ」、いかなるねじけた時代、意固地な社会、「歪んだ」、「堕落した」、「そっくり返った」、「常軌を逸した」社会にあっても、星のように輝くとパウロは言っているのです。「よこしまな曲がった時代」というのは、そういう色んな意味を持っています。

  人々がひん曲がっているのに嫌気がさし、世の中が嫌になって教会にやって来た人が、教会の中もひん曲がっているのを知って、洗礼を受けて暫らくして、教会を飛び出して行ったことがある教会でありました。中に入ったら、人の集まりであって、聖なる所ではないと思ったのです。

  確かに人間があまりに前面に出て、キリストが引っ込んでしまう。人間の個性の強さが、神を覆い隠してしまうことがあります。没個性になるのではありませんが、持って生まれた個性はキリストによって一度砕かれ、清められて用いられなければなりません。

  ただ、パウロが、よこしまな時代の「中で」、星のように輝くと言っているように、「中で」という事が大事です。キリストを根拠とするなら、飛び出す必要はないし、飛び出さないで、そこでも信仰的な証しはできるでしょうし、その中で証をすることが大事です。

                                 (4)
  丁(チョン)海連さんという婦人がおられました。この人は、日本社会で「一粒の麦」として生きた方です。人知れぬ所で、良い働きをされましたが、単立教会の牧師でいらっしゃったので、また名誉を求めることのない方でしたから、殆ど知られませんでした。

  58歳で韓国人宣教師として来日しておられます。58歳です。そして22年間、80歳まで地域伝道をされました。彼女は戦前に、平壌(ぴょんやん)で安利淑との出会いがありました。安利淑さんのことはご存知でいらっしゃると思います。念のために申しますと、戦前に神社参拝を拒否した朝鮮人女性で、戦後「たといそうでなくても」という感動的な本を出されました。今もどこかで手に入るかも知れません。戦前の日本を知る絶好の書です。安利淑さんは、その後日本に渡って、国会で、韓国のキリスト教の解体に抗議してビラをまきました。日本人はそういう事実を殆ど知りません。国会とは帝国議会のことです。日本人で、誰もそんなことは考えなかった時代に、国会会でビラをまきました。そして日本が敗戦を迎えるまでの7年間、平壌の刑務所に入れられました。彼女も、パウロ同様、いつ殉教の死を遂げるか知れない危ない状況でした。

  元の、丁(チョン)さんに話を戻すと、丁さんも安さんの影響を受けて神社参拝を拒否して学校を放校になりますが、やがて姫路に来てミッションスクールに入りました。16歳のことです。

  その後、将来、宣教師として立つために日本と韓国で看護学を身につけます。韓国ではソウル大学看護学科を出るという優秀な人で、名門のソウル梨花大学の先生もしました。しかし牧師になるために神学校に行き、33歳で卒業しました。そして韓国の各地でいい働きをして、その後、単身で来日して、足立区で伝道を始め22年間伝道されたのです。

  この女性の偉大さは、日本人と韓国人を全く区別なさらなかったことです。その上、先生は日本社会で最も疎外されている人たち。中でも、精神障害者に深く関って行かれました。市川の国府台の精神病院での働きは際立っていました。その人たちを一人ひとりこよなく愛して、そこから何名かの受洗者も出ています。この病気の方を愛し、交わりを続けるのは大変疲れることもあったでしょうが、「一粒の麦」の信仰的な愛を生き抜かれました。

  また後には、何人もの死刑囚との文通をなさって、忍耐の要する慰め手として、誠実に何人もの死刑囚と文通を続けられました。また、処刑を後から知って、断食までしてとりなしの祈りを捧げられたといいます。

  日本人もできないことを、この韓国人の婦人はなさって、最後は81歳になってパーキンソン病になり、やむなく韓国に帰国されました。パーキンソン病は実に大変な難病です。その後、今度はアルツハイマーの症状が出始め、3年前に85歳で天に召されました。日本のキリスト教界にも、また世間にも殆ど知られずに、全てを与え尽くして召されました。

  「よこしまな曲がった時代の中で、星のように輝き」とは、単にそのよこしまさを批判するのでなく、主を証しするこういう輝くような真実な歩みを指すのではないでしょうか。批判をするだけでは星のように輝きません。星のように輝くには、福音を実際に生きねばなりません。

  いずれにせよ、パウロは「星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう」と、語っています。「命の言葉を保つ」とは、それを堅く取って離さないこと、それを放棄しないこと、そしてその言葉の前に無私になって聞き入ること。それを生きることです。私は詩編119篇の素晴らしさをやっと分かりかけています。そこには、命の言葉を保つとはどういうことか、色んな角度から書いていますから、お家でお読み下さい。

  丁(ちょん)さんは、「命の言葉をしっかり保って」おられたからこそ、かつて朝鮮人を蔑視し、戦後も蔑視し続け、自分も安利淑もそして多くの同胞のキリスト者たちも迫害し、殉教の死に至らしめた日本人のために、憎しみを超えて、ただ愛するために、58歳で宣教師として来日されたのです。そして日本人も愛さない人たちの隣人になって生きられました。

  私の目には、丁(ちょん)さんは星のように輝いて見えますが、皆さんの目にはどう映るでしょうか。

  「何事も、つぶやかず疑わない」。「不平や理屈を言わずに行ないなさい。」イエスこそ、そのような方であり、そのような輝きをもって今日の世界をも照らし続けています。

  「何事も、つぶやかず疑わない」。「不平や理屈を言わずに行ないなさい。」どうかこの意味を、今週、それぞれが置かれている場所で考え、深めて行きましょう。

            (完)

  注)丁 海連先生のことはこの夏頃、「一粒の麦として」という題で方丈舎から出版されます。出版基金に協力される方は、一口2千円です。協力者には一冊贈呈があります。

                               2009年5月24日

  
                                        板橋大山教会   上垣 勝


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  (今日の写真;ヴェズレーのホテルの朝食。)