涙と共に種まく人 (上)


  
  
  
                                              Ⅰペトロ2章3-5節
                                              詩編126篇5-6節

                                 (1)
  今日は礼拝後に、定期教会総会が控えています。それで第Ⅰペトロ2章を先ずお読みいただきました。

  ここに、「あなたがたは主が恵み深い方だということを味わいました。この主のもとに来なさい」と語り、イエスは人々から捨てられたが、「選ばれた尊い生ける石なのです」とあり、あなた方も「生ける石として用いられ、霊的な家、すなわち神の教会に造り上げあげられるようにしなさい」とありました。

  これは信仰生活にとって大変大事な要点だと思います。というのは、キリストにとって生きた石として用いられるために、まず「主が、恵み深い方だということを味わ」うことが大事だからです。

  今年は既にバザー用品が毎週のように届けられています。良いものが山のようにありそうで、楽しみです。大山教会のバザーで「得をした」と思った人は、翌年もバザーに来られます。教会バザーで、「味をしめた」からです。味わい知ると教会バザーと聞くだけで、居ても立ってもおれないかも知れません。

  何事も先ず、味わい知らなければ、次の一歩は起りません。

  ここには求道中の方もおられます。私は求道中に、洗礼を受けたいと思うのですが中々できませんでした。自分などはまだダメだと思うんです。まだ資格がないと思ったんです。神を愛することも、人を愛することもまだ足りないと思いました。

  だがこの3節は、「あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました」と語ります。これは、何か目に見える現実的な恵みを得て、それを味わったということではなく、少し前の1章18節以下にある、「あなた方が先祖伝来の空しい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、傷や汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです」ということを指しています。空しい生活は、前の訳では空疎な生活となっていました。命のない、愛のない、時には虚無的な生活です。しかし、キリストが空疎な生活から、神の子とするために贖い出して下さったのです。

  「金や銀のような朽ち果てるものによらず」とあるのは、キリストの贖罪の愛は、お金ではとうてい買うことのできないものだからです。その恵み深さを受け入れて、味わって生きているのがキリスト者です。キリスト者というのは、人間に先立つ、神の先手の恵みに触れた人たちです。

  イエス様は、弟子たちと私たちに向かって、「あなた方が私を選んだのではない。私があなた方を選んだ。あなた方が出かけて行って実を結び、その実が残るように」と言われました。私たちがキリストの手を掴んでいるのではなくて、キリストがしっかり私たちの手を掴んで下さっている。そこに信仰の確かさ、救いの確かさがあります。これが、私に洗礼の一歩踏み出す勇気を与えてくれました。

  第Ⅰヨハネもこう書いています。「私たちが神を愛したのでなく、神が私たちを愛して、私たちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」私たちが神を愛することが、信仰の根拠でも、出発点でも、原点でもありません。神の愛が原点であり、根拠です。

  個人だけでなく、あらゆるキリスト教会も、この神の選びと愛に基いて存在し、活動しています。ですから、「あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。この主のもとに来なさい」と言って、主のもとに集められるよう呼びかけているのです。その呼びかけは、愛と恵みの呼びかけ以外ではありません。空疎な生活を営んで来た者にとっては、慰めに満ちた、ありがたい呼びかけです。

  教会が建てられるということは、一人ひとりが神に選ばれた、「尊い、生きた石として用いられ」るということです。キリストがお用い下さると言うことです。引っこ抜かれた棒杭のように命のない者。欲の強い、人のために本当に役立って来たかどうか分からない者が、キリストのために生きた石として使ってくださる。これはもう身に余る光栄というほかありません。

  ペトロもパウロもトマスも用いられて、「霊的な家」に造り上げられていきました。それは彼らの力によってではなく、ただ神の一方的な恵みであり、神の働きによりました。

  先週木曜日の聖書の学びで、パウロが、「しかし働いたのは、実は私ではなく、私と共にある神の恵みなのです」と書いていたのも、こういうことです。

                                 (2)
  教会の歩みは素晴らしいこと、良いことづくめでしょうか。だが、現実の歴史の中を歩むということは、決して良いことづくめではありません。

  パウロは教会をあちこちに建てて行きました。しかし、例えばテモテに送った手紙を読むと、その教会形成のために、多くの涙と労苦があったことが記されています。

  例えば、デマスという人物は、信仰によって歩んでいたに拘らず、やがてこの世を愛してパウロを見捨てて行ったといいます。また銅細工人アレクサンドロは、「私をひどく苦しめた」とあります。また、パウロは獄中からテモテに手紙を送っているのですが、「最初の弁明の時は、誰も助けてくれず、皆、私を見捨てました」と記します。個人だけではありません。ある時は、「アジア州の人は皆、私から離れ去りました」と書いています。パウロでさえ失望落胆が多くあったのです。辛いですが、それがこの世の現実です。

  大山教会の初期、大塩先生の時代に一つの事件がありました。それはその時代の激動がこの教会をも飲み込んだことから起ったものですが、藤沢の修養会で、青年たちが先生をただ一方的に批判して教会を去って行ったことです。

  教会の将来を担うと、皆が信頼を寄せていた青年10人ほどが、大挙して去ったのです。恐らく申し合わせていたのでしょう。どんなにかショックだったことでしょう。大塩先生は、心がズタズタにされ、眠れぬ日々を過ごされたことでしょう。

  その人たちは、その後自分たちが語ったものを誠実に生きたかどうか分かりません。中には、仲間に扇動され一緒に立ち去って、先生と教会を裏切るようなことをしたのを悔いて、今は「悪かった」と思っている人があるかも知れません。

  しかし数人の青年が残りました。それが大塩先生と教会を支えました。彼らが用いられて、再び教会を形成していく「生きた石」になったのです。切り株が残されて、根元から蘖(ひこばえ)が生まれました。残った人たちが、主のところに来て、「生きた石となって用い」られました。一人一人、涙を経験しながら用いられていったのです。

パウロが経験したように、私たちの教会も似たことを経験してきたのです。

          (つづく)

                         2009年4月19日

                                      板橋大山教会   上垣 勝


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  (今日の写真;今日は、フランス中部、ヴェズレーの聖マドレーヌ教会の外壁のレリーフB。)