愛の洞察力を (上)


   
   

                                              
   
                                           フィリピ1章3-11節
 
 
                                 (序)
  今日も皆さんと神様の前に集まり、礼拝できることを嬉しく思います。遠くから出かけて来られた方、また足を引きずりながらキリストに心を向けるために来られた方、一週間の疲れを神様の前に癒すために来られた方、また初めての方や久し振りの方など。今日もお互いに元気にお会い出来たことに、真実、喜びを感じます。

                                 (1)
  さて、パウロはフィリピの人たちに獄中から手紙を書きました。1、2節の挨拶の部分は、今年最初の4日の礼拝でお話させて頂きました。今年は月に1、2回この手紙から福音を聞こうとしています。今日はその続きです。

  彼は挨拶の後、「私はあなた方のことを思い起こす度に、私の神に感謝し、あなたがたの一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈ります」と、フィリピの人たちのために先ず祈っています。これは、神への喜びと感謝に満ちた祈りです。

  これは祈りですが、私たちが教会に来て誰かに会った場合も、本当は先ず今日も会えたことを喜び合い、感謝することが必要なのではないでしょうか。私が初めてテゼ共同体を訪ねた時、全く見知らぬ東洋人がただ一人で訪ねたわけですが、私を迎えた若い青年たちは真実に心を開いて喜び迎えてくれました。何千人も集まっているのに、まるでその日の主賓のように迎えられました。その一瞬、ここには本当のものがあると直感的に感じました。それは生涯忘れえぬ経験でした。

  教会では、礼拝に来られる方々を、先ず受付の方が顔を合わせ、お迎え下さいます。今日もAさんが、Aさんはいつもですが、にこやかにお迎え下さいました。受付の方の最も素晴らしい奉仕は、皆さんを気前よく喜びをもって迎えて下さる事です。この気前良さが大事です。受付の方が気前いいと、教会全体が気前よくなるものです。もしちっとも歓迎して下さらないなら、初めて来た方は心躍りません。私はそんな教会に行った事がありましたが、ガッカリしました。心躍るような歓迎をされると、玄関を入るまでは、この次にしようかと躊躇していても、やっぱり来て良かったということになります。

  でも、教会は営業用のスマイルじゃありませんよ。気前いい、温かい歓迎の心が大事です。自発的な気前よさです。

  パウロは冷え切った獄中から、喜びをもって感謝と祈りを捧げたのです。「私はあなた方のことを思い起こす度に、私の神に感謝し、あなたがたの一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈ります。それは、あなた方が最初の日から今日まで、福音に与っているからです。」

  パウロは第2回伝道旅行で、初めて現在のトルコの東部から縦断して西海岸のトロアスに来ました。ほぼ1500キロの驚くべき旅です。その地は、トロイの木馬で有名なトロイヤ戦争があった所です。彼はそこから海を渡り、サモトラケ島に寄って、対岸に渡りフィリピにやって来ました。サモトラケ島というのは、皆さんもよくご存知の、大空に翼を羽ばたかせた優美な女性の像、サモトラケのニケの彫刻が150年前に発見されたので有名な島です。

  海を渡ってと言いましたが、ほぼ200キロ離れた大海を渡りました。すると、そこは言葉も風土も人種も違うヨーロッパです。住人たちは、これまでの目の黒いアジア系から眼の青いヨーロッパ系の人たちになります。

  パウロはこの町にヨーロッパ伝道の第一歩を記し、そこに生まれたのがフィリピ教会でした。恐らく彼は、キリストの福音がユダヤ人やアジア人だけでなく、ヨーロッパ人にも受け入れられて行くのを驚きと感謝をもって味わったことでしょう。ましてや、彼らが「最初の日から今日まで福音に与っている」ことを知るのは、獄中のパウロにとって、当然大きな喜びであり、力強い励ましになったでしょう。

  今年は、私たちの教会創立50周年を迎えます。それで記念文集を出そうと皆さんに文章をお書き頂きました。出版は先になりますが、編集のために、集まった30人程の文章を先に読ませて頂いていて、ここに集まる方々の層の厚さに大変ビックリしています。こんなに味のある、多様な方々と一緒に教会に集まっているのだということを再発見し、大変嬉しいこと、光栄なことだと強く感じました。

  パウロが書いているように、長く福音に与っている方々や、教会は育児などで暫らく中断したが、再び復帰してからずっと礼拝に与っている方々、また色んな試練を乗り越えてイエス様の所に来られた方々を見るのは喜びですし、後続の方々があるのも感謝に思います。

  パウロはそのことを率直に喜んでいます。ですから7節で、「監禁されている時も、福音を弁明し立証する時も、あなた方のことを共に恵みに与る者と思って、心に留めている」と述べまして、続いて、「私が、キリスト・イエスの愛の心で、あなたがた一同のことをどれ程思っているかは、神が証しして下さいます」と語ったのです。

  文章にすると、思いの百分の一も言い表せていないと思うことがないでしょうか。そんな時は、本当にじれったくなります。ラブレターなどはそうでしょう。

  パウロは、フィリピの人たちへの熱い思いを十分言い表せないことに、じれったさを感じて、こう書いたのでしょう。しかし、パウロのこの手紙は実に思いやりに溢れています。とても獄中にあるとは思えないほどです。「私の血が注がれるとしても」と語っているように、いつ処刑されるか分からない危機的状況にあるとは決して思えないものです。

                                 (2)
  さて、6節と10節に、「キリスト・イエスの日までに」とか、「キリストの日に備えて」という言葉が出て来ました。

  私が初めてこの言葉を目にしたのは青年時代です。この教会では毎月、「戦争責任告白」を唱えますが、これを1967年3月に教団議長名で出した鈴木正久牧師が、その後しばらくして、肝臓がんで、あと僅かの命であることが突然解って、病床から教会や家族、また日本基督教団の人たちに向けて口述筆記なさった文章を読んだ時に、この言葉がキーワードとして記されていました。うろ覚えですが、5月末に入院し7月初めに亡くなられました。急ぎ足で天に召されました。

  当時、本人への癌の告知は殆どされませんでした。癌を患って死に行くことの酷さが宣伝されて、相当恐れられていました。ですから、本人が癌宣告を受けることなど、ほぼ100%なかったでしょう。ところが、鈴木牧師は自ら望んで受けたのです。本当に勇敢な決断力のある人でした。

  その口述筆記の中で、私たちは、死に向かって望みを抱いて生きていくことはできない。死は無であり、闇であり、虚無であるから、どうして希望を抱いて無や虚無に向かって生きて行けるだろうか。

  だが、パウロは、「キリストの日に向かって」と書いている。自分はこの言葉を、病床で娘に読んでもらって、確かな希望を得た。私たちには死は最後ではないのだ。死を越えて、その向うに、キリスト・イエスの日がある。これから自分は、「キリスト・イエスの日に向かって」生きていく。癌は、肉体を食い滅ぼすかも知れない。だが、私という人格は、たとえ肉体は滅ぼされても、死を超えて、キリストの日に向かって生きて行くことができる。喜びを抱き、皆さんのために祈りつつ、生きて行くことができる。そういう意味のことがユーモアさえ交えて綴られていました。

  私は、鈴木先生に導かれましたから、他の人以上に深い感慨をもって読みました。

  パウロも獄中にありつつ、肉体の死への恐れを越え、また世の諸々の権力への恐れをも越えて、キリスト・イエスの日、地平線かなたにある神の恵みの到来の日に目を向けて生きているのです。単に生きているのでなく、喜びをもって生き、且つフィリピの人たちに力強い喜びの書簡を宛てたのです。

  キリスト・イエスの日に向かってという信仰は、以上のように、死の力や恐れを爆破し、しかも、どんな状況に置かれた人にも希望を与える力を持っています。

        (つづく)
                                     2009年1月25日


                                      板橋大山教会   上垣 勝


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  (今日の写真は、ホントネー修道院の聖ベルナルドス像。二匹の魚が跳ねているのは、あちこちで湧き出すこの修道院の泉で魚が放たれ、養殖されていたからだと思います。1千年前のことですが。)